CASE2 - 南地区の攫い魔

 長い足を組み、アルバートは顎に手を当てた。

「それで、止めようとしたら窓から飛び去ったと」

「はい……」

 アルバートの視線を受けると、デイビッドは無言で頷きメモを取った。

 捜査一日目、二回目の事情聴取。事件直後の聴取ではショックを受けて禄に話せない様子だったが、被害者の妻であるヘレン・セイヤーズは段々と事件のことを話せるようになっていた。

 しかし、事情聴取はかれこれ一時間を超えており、彼女の顔には疲弊の色が見える。皮肉混じりのジョークが消え敬語に変わると、アルバートのただでさえ人を寄せ付けない態度が更に冷たくなるのをデイビッドは早くも実感していた。空気は非常に重苦しい。

「なるほど、続けて下さい」

「夫の死体に気が付いたのはその直後です。今でも恐ろしい……」

 俯きながらそう答える彼女は、さながら寒さに耐えるように腕を組み簡素な机の灰色だけを見つめていた。

「もう息はなかったと」

「貴方も死体を見たのでしょう? 息はありませんでした。あの黒い翼に穿かれて……」

 ヘレンは話の途中でえずき、前のめりになって口を抑えた。そしてゆっくりと机の上からアルバートの方へ視線を移し「すみません」と今にも死にそうな声で呟く。アルバートはデイビッドの方を見て継続の意思表示として頷いた。

「金品などは盗まれた形跡はありませんでしたが、何か持っていかれた物はありましたか? 個人情報の類や、など」

「特には思い付きません……物音がしてすぐに部屋を出たので。紙幣や金銭的価値のある物は分かりにくい場所にしまっていました」

「現場の棚の上に埃が被っていない部分がありましたが、ご自身で動かされたりはしましたか? 何かがあったと見ているのですが」

 それはデイビッドが後から来たアルバートに一応の情報として伝えたものだった。ヘレンは怪訝そうな顔をしてアルバートをじとりと見る。

「すみません……それは捜査に関係あるのでしょうか」

「お言葉ですが、関係の無い情報から意外な糸口が掴めることもあります……どうかご協力をお願い致します」

 その言葉を聞くと少し間を置いて彼女は口を開いた。

「その辺りは手入れした記憶はありませんが、夫が動かした可能性はあります」

 アルバートは少し間を置くと、足を組み直して顎に当てた手を下ろした。

「分かりました。つかぬ事を伺い申し訳ございません。最後にもう一つ。最初と同じ質問を再度させて頂きますが……悪魔の外見について、黒い翼以外に何か記憶されていますか?」

 妻は口に片手を当てつつ目を逸らすと、首を横に振り何も覚えてないことを表明した。アルバートは顔を少し上に逸らして鋭い眼光を覗かせた。

「そうですか、分かりました。何か思い出されましたら泊まられているホテルの内線から御一報願います……娘さんを無事保護出来るよう、DCC霊能対策局一丸となって捜査させて頂きます」

「どうかよろしくお願い致します」

 ヘレンは祈るように手を組むが、視線は斜め下へと逸したままだった。




 事情聴取が終わり、二人は対策局の休憩室に居た。アルバートは灰皿のすぐ横の壁に寄りかかっている。

ジッポを閉める音と共に、煙が不規則な軌道で舞った。肺まで煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。既に正午になっていたが、窓の外は厚い雲が覆っており明るくはない。

「あの顔、嘘をついてた」

「え……嘘、ですか?」

「ああ。身内が殺された故にナイーブになるのは当然だが、目の逸らすタイミングが独特だった。本当はもう少し深掘りしたかったが、これ以上は倫理的にも立場的にもまずい」

 アルバートの言う通り、あくまで協力を求めて事情聴取している故に、発言に疑いがあっても強くは出れない。その上、今回の相手は殺された被害者の妻だ。

「本当だとして、一体どんな理由が……」

「さあな。これだけは確実に言えることだが、あの御婦人、ただ怯えてるだけじゃなさそうだ」

 アルバートは煙を見つめ考える。

「今回の悪魔……南地区の攫い魔サウスサイド・キッドナッパー。面倒な裏がありそうだ」

 DCC霊能対策局では悪魔の個体に応じてコードネームが付けられている。今回の悪魔はサウスサイド地区での事件だったので、暫定でそのまま南地区の攫い魔サウスサイド・キッドナッパーと名付けられていた。

「検死結果から得られた霊傷れいしょうの情報を見てアーカイブを探ったが同一の霊波パターンは見つからなかった。今まで身を隠していたか、何かをトリガーに今回初めて姿が顕現したかのどちらかになるな」

 問題はアルバートの言ったことだけではない。娘を攫ったのは何が目的なのか。悪魔の本能的欲求を満たす為だけに殺人を行ったのか。一向に謎は解明されないままだった。

 アルバートは今までの経験もあり毅然とした態度を取っているが、デイビッドは緊張が拭えないままだった。

 その時、休憩室へ訪れる何者かの足音が聞こえた。二人が部屋の入り口へ振り向くと、彼らと同じく黒いスーツを着た二人の男がそこに立っている。

 片目に縦に走る傷を負った強面の寡黙そうな男は芯の強そうな茶色の髪の毛を横に流しており、いかにも職人気質なイメージだ。その左隣に立つ男は長い金髪をセンター分けしており、詐欺師のような薄ら笑みを浮かべ、奥の方にいるアルバートを見つめている。

 彼はアルバートに睨まれると、数歩前に出て首をぬるりと動かしながら、じっくりとアルバートを観察した。強面の捜査官はそれを呆れた表情で一瞥するとタバコに火を付け目を閉じた。興味がないとでも言いたげだ。金髪の男はそれを見もせず、アルバートに挑発的な声色で話し掛ける。

「御機嫌よう、アルバートくん」

 目を細め白い歯を見せる。アルバートは心底嫌そうな表情で吐き捨てるように彼の名前を呼んだ。

「グレコ……」

「おいおい、未だにファミリーネームで呼ばれるなんて悲しいじゃないか。僕にはギルバートという素晴らしい名前があるのに」

「お前と五文字もスペルが被ってるのが気に食わねえ。うちの親の最大の失敗だな」

「親不孝なことを言うなあ、アルバート。その親の為にも頑張らないとね?」

 グレコのその言葉を聞くと、アルバートは煙を深く吸い込み、苛立つ心を落ち着けるようにゆっくりと煙を吐いた。

 明らかにアルバートの嫌な話題ばかり突こうとする魂胆は丸分かりだ。デイビッドは二人の間に火花が走っているように感じ、肩身の狭い思いをしてチラチラと見ていたが、偶然グレコと目が合ってしまい慌てて目を背けた。無論、手遅れである。

「君がシカゴ支局うちの新人かあ。名前は確か……」

「え、ええと……」

「デイビッドだ」

 困惑するデイビッドを見たアルバートは、グレコに向かって庇うように返答した。声は少し低く、分かりやすく苛ついている。

「しかしまあ、第四捜査チームお前の所と俺らを一緒くたにされるのは心外だな」

「おやおや、一緒くたにしてあげているんだよ。ヘイウッド捜査官も居なくなってどうするんだい? それに君の所には問題児が居るみたいだし、ね」

問題児あいつは俺もうぜえと思ってるが、お前より断然マシだ」

「それこそ心外だなあ」

 その時、舌打ちが聞こえた。アルバートでもなくましてやデイビッドでもない。奥の強面の男だ。彼がこのグレコという男とバディなのは一目瞭然だった。

「グレコ! 面倒事増やしてんじゃねえ! クーパーも構うな! ガキじゃねえんだぞ!」

 強面の男が二人を怒鳴り付けた。グレコは両の手の平を上に向けて肩を少し上げると、アルバートに顔が触れそうな程に近付き、再び白い歯を見せて挑発的に笑った。

「トレヴァーくんがそう言ってるからさ。またお話しようね」

「死んでも御免だ」

 トレヴァーというその男の煙草は、既にアルバートと同じく半分以上燃え尽きていた。トレヴァーは灰皿の中に煙草を落とすと、溜息混じりに最後の煙を吐いてグレコの同行を催促した。

「悪かったな、下らねえ餓鬼の喧嘩に付き合わせて」

 トレヴァーはデイビッドに向けて哀れみの籠もった目を向けて謝罪する。口調は荒く態度もぶっきらぼうだが、どうやら見た目よりも常識人のようだった。

「じゃ、またね。第二捜査チーム諸君」

 最後まで挑発的な笑みを見せるグレコに対して、アルバートは眉を潜めて舌打ちする。グレコとトレヴァーのバディが見えなくなると、デイビッドは困惑気味に彼らについて訊き出した。

「クーパーさん……彼らは?」

「ギルバート・グレコとトレヴァー・ブライアーズの二人だ。グレコは俺のアカデミー時代からの同期で今でもちょっかい掛けてきやがる。トレヴァーは奴に振り回されてる苦労人。第二捜査チームと第四捜査チームは班長同士も仲が悪いが、下っ端捜査官もそうだ」

 アルバートは苛立ちを抑えるように煙草をギリギリまで吸い込む。シカゴ支局は管轄の広さと人口密度故に、捜査チーム同士でも派閥があるとデイビッドは事前に聞いていたが、ここまで露骨とは思っていなかった。煙草の吸い殻を灰皿に捨てると、アルバートは首を鳴らして腕を伸ばした。

「クソ、苛ついたら腹が減ってきた」

 常に気が張っていて忘れていたが、デイビッドも腹が減っていることに気が付く。

「そうですね。朝から何も食べてないです」

「美味いダイナーがあるんだが一緒に来るか? アンタのことを俺はあまり知らないし、身の上話でもしようじゃないか」

「是非。俺で良ければご一緒させて頂きます」

 仕事を円滑にする為だけにという枕詞が付いていそうなのが気掛かりだが、デイビッドはアルバートに付いていくことにした。




 チャップマンズ・ダイナーと書かれた看板はいかにも70年代風。タランティーノの映画にでも出てきそうだというのがデイビッドの最初の感想だった。

 街の喧騒とシーリングファンが静かに回る音に上乗せするように70年代の曲が流れている。

「ここのコーヒーは美味い」

 アルバートは音を立てずにコーヒーを啜った。美味いダイナーの基準はそこなのではないかという一抹の不安を抱き料理を待つ。ジャケットを脱いだ彼らはホルスターがそのまま見えるので少し物騒に見えた。デイビッドもコーヒーを一口飲むが、確かに美味しい。

「クーパーさんはいつから捜査官を?」

「21で捜査官になったから……3年だな」

「えっ……! 3年ですか」

 驚いてコーヒーカップから少しコーヒーが溢れてしまった。デイビッドの驚きぶりにアルバートは苦笑する。

「そんなに老けてるか?」

「い、いえ。仕事ぶりを見ると更に歴が長いのかと」

「おいおい、ちゃんと名簿見とけって」

「そういえば書いてあったような……」

 若く優秀な捜査官とは聞いていたが想像以上に若い。24歳となるとデイビッドのたった2歳上だ。年齢不詳な出で立ちなのもあり驚きが隠せない。まだバディになって数時間しか経っていないが、不謹慎ながら悪魔を追い詰める時の本領発揮を見たくなってきていた。そんなことを考えているデイビッドを、アルバートは頬杖を付きながら指差した。

「それとだな、アンタはちょっと口調が堅苦しすぎる。そう畏まらずにもう少し緩めてもいいんだぜ。俺なんか主任に対してもタメ口だ」

「えっ……分かりました」

 アルバートが意外とお喋りなのに加え見た目よりもラフな人だと分かり緊張が緩む。デイビッドはこの男に段々と個人的な興味が湧いてきた。

「普通は俺が聞かれる側なんでしょうけど……クーパーさんは何故捜査官に?」

「……ああ」

 アルバートは窓の外を見つめコーヒーを啜る。緊張が緩めてしまった直後故に背筋が凍った。彼の表情は冷たく、時間が停止しているかのような錯覚すら覚えた。表情が薄いというだけでは説明が付かない、仮面のような全くの無表情。その声はぞっとするほど低く感じた。

アルバートは窓の外を見つめたまま口を開いた。

「ある組織を追う為だ」

「組織……?」

 反射的に訊ねた直後これは不味いと直感した。キースの言葉を思い出す。レヴェナントのことだけは話すな、と。組織とはレヴェナントのことなのではないか。

「それは――」

「お待たせしました」

 アルバートが何か言おうとした矢先、目の前に現れた熱々のポークチョップの皿が話の流れを遮ってくれた。デイビッドは心の中で胸を撫で下ろす。そんな彼が頼んだのはベーコンエッグバーガー。どちらの皿にも揚げたてのポテトが添えられており、見るからに美味しそうだ。アルバートは店員に礼を言うと、傍らからフォークを出した。

「と、また今度だな。料理が冷めちまう」

 フォークを渡され、デイビッドは礼を言って受け取る。アルバートは料理にフォークを突き刺し口に入れた。

「まあまあ美味いな」

 相変わらず表情は乏しいが、口で言っているよりも美味しそうに食べているのは気のせいだろうか。

デイビッドも口にしてみると、空腹なのもあり想像以上に美味しかった。

「美味しいですね」

「ここはフライドポテトが美味い。冷凍のを使わず農家から仕入れてるのが気に入ってる。あの二番通りの店とは違うな」

 アルバートは満足げにポテトをつまみ、デイビッドもつられてポテトを口に入れた。現場の写真を大量に見た後にも関わらず、食指が動いたのが意外だった。


 談笑も程々に早々に平らげ、勘定を済まそうとしていると、何やら今しがた来た客が騒々しいのに気が付いた。アルバートはソファーの背もたれに腕を置いて声を掛ける。

「一体どうしたんだ」

「ああ、アンタ対策局の人かい? どうやらジェリーズ・ダイナーの方で悪魔が出たらしい。あっちの常連はこっちになだれ込んできてるよ」

「何? あのマズ……洒落た店にか?」

 予想外の情報に思わず二人共身を乗り出す。アルバートは事実の確認として無線機を取り出した。該当する周波数に合わせると、オペレーターの無機質な声が聞こえてきた。

「――繰り返す。二番通り近郊にて悪魔発生。周囲の霊能対策員及び捜査官は直ちに現場へ――」

「……マジだな」

 アルバート達は顔を見合わせると、直ぐ様ジャケットを羽織り席を立った。

「まだ周辺に悪魔が居るかもな……ライバル店だが仕方ないっ。行くぞ」

「はいっ」

 アルバートはデイビッドの分も含めて勘定を多めに置いて立ち上がる。捜査と関係あれば上々、無くても悪魔による霊能被害を防ぐ為に動くべきだ。二人はジェリーズ・ダイナーへと車を走らせた。

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