懸念の正体は?

第5話 かの事件との接点

「もう学年末考査も終ったようですから、あとは、卒業を待つだけですな。おめでとうと言うにはまだ早いですが、ともあれ、これであの子も一人前になれますな」


 老紳士が、まずは一言。


「ありがとうございます。それは実に慶賀に耐えんのでありますが、いやあ、園長先生、実のところ、私といたしましては、懸念することがございましてね・・・」

「何か清美に問題でもありましたかな?」

「それはありません。問題ならむしろ、こちらの方です。この度卒業したからさあ弊社に入ってもらってと、そう問屋で降ろしてもよいものかと、私は、そこが懸念するところなのですよ・・・」

「ほう、あんたのおっしゃる「懸念」じゃが、わしは、なんとなくわかりました。清美を大阪に連れて帰るのはいいが、それを手放しで喜んで早速と行くのに、二の足を踏まれておいでですな?」

「ええ、まあ・・・」

「その、なんじゃ、連れて帰って仕事は良いとしても、同居して、さあ、親子として生活していけるかとか、そういうご心配、かな?」

「それも、あります。ですが、そんなことは些末なことです」

「それが些末というのは、もっと大きな問題がおありということか?」

「そうです。それは私じゃありません。清美の方です。私が24時間見守ってというわけにもいかんでしょう。そんなことをしようものなら、取返しのつかぬことになりかねません」


 ここで、老紳士の横に座っている大学生が口を開いた。


「息子や娘、孫を故郷や親元に取込み過ぎると、それこそ、津山の・・・」

「こりゃあ、哲郎! その例えは、あまりにあまりものじゃ。直ちにやめよ!」


 滅多にこの青年に対して叱り飛ばすことなどない老紳士、ここは、そんじょそこらの知らぬ者が聞けば思わず度肝を抜かれかねないほどの激情を込めて、青年の弁を止めたのである。つまりすなわち、戦前津山郊外で発生したあの事件を引合いに出しかけた青年を、老紳士がいささか厳しめに、たしなめたということである。取立ててゲンコツなども飛び交わないが、その老紳士の弁は、誰をも圧倒する激情にあふれていたのである。ところが、その事件に関わる話を岡山氏が振ってきた。何と、その事件と関わりのある人物が知人にいるという。


「実はですね、園長先生、あの事件に関しては、私も、大宮君とおおむね、同意見ですわな。実はその事件に関連して、知人に、こんな人がおりましてね・・・。お二人とも、ここはひとつ、その方に関わる話、お聞き願えませんか」

「そうですか。岡山さんがおっしゃるなら仕方ない。その件で知合いが、ねえ」


 岡山氏の取引先の知人には、被害者でこそないものの、かの事件の犯人を知っている人がいる。その人は犯人よりも一回りほど若いが、子どもの頃彼と接点があり、彼が犯行後自殺する前にも会っている。何でも、借りていたものを返しに来たそうな。

 彼はその少年に、勉強して立派な人間になれよと、声を掛けたという。

 岡山氏によれば、少年はその後猛勉強して大学を出て、現在は大阪で弁護士をしているとのこと。


「しっかり勉強して、立派な人間になれ、って、ね。あの青年のあの言葉、自らが出来なかったことを私に託されたような気がしまして。彼が一中でも津山中でも通っていれば、間違いなく、世のためになる人になったと思えるだけに、残念です・・・」


 弁護士事務所の近くにある喫茶店は、岡山氏の会社の取引先のひとつでもあり、岡山氏が個人的に気に入って通う店でもある。そこでたまたま知合ったのが、知人でもあったその若手弁護士。県北と県南の差はあるとはいえ、岡山県出身という接点で意気投合した彼ら、時に近くの酒場まで繰出して飲むこともあるという。

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