第18話

「三ノ宮さん?」

「……迷惑、だったよな? 俺ひとりで盛り上がって何してるんだろ」

「三ノ宮さん?」

「ほんと黒田は優しいから……」


 三ノ宮さんの瞳が光る。潤む目は涙を堰き止められずに頬に落ちた。


「三ノ宮さん!?」

「失恋……なんて、何度も……体験してるのに……。ごめん」


 そう言って三ノ宮さんは背を向けた。


 ――三ノ宮さんが失恋?


 三ノ宮さんが遠くなる。

 私が手を伸ばさなければ、二度と三ノ宮さんはこちらを見てはくれない気がした。


「三ノ宮さん?」

「なぐさめなんていらないよ」

「違う」

「黒田は優しいから、気にしないでくれ」


 三ノ宮さんの背中が小さくなる。


「勘違い、してます……」

「そう。勘違いしてたんだ。君が俺のことをまだ好きでいてくれると思っていたなんて……。バカだろう? 笑ってくれていいよ」


 私は何と言えば三ノ宮さんに伝わるのか分からなくて、悲しい背中に手を乗せた。そして頬を預ける。


「三ノ宮さん。聞いてください。私は、私は、ずっとずっと三ノ宮さんが……。……今も、現在進行形で、三ノ宮さんが、……好き、です。大好きです。だからっ!」


 頬を寄せた背中がびくりと震える。


「ほんとに?」


 ゆっくりと問う声は、少し子どものように幼く聞こえる。

 三ノ宮さんがこちらに向き直すので、私は微笑んだ。


「日野は本当に幼馴染です。若い人がいないから結婚しようみたいな話になりましたが、ちゃんと断ります。だって私は三ノ宮さんが好きだから」

「本当に?」

「私はもうずっと三ノ宮さんが大好きなんです」

「俺も。俺も黒田のことが好き」

「本当に?」


 同じ質問を出せば、三ノ宮さんから「大好きだよ」と返ってくる。


「俺たち晴れて両思い?」


 恥ずかしさを堪えてこくんと肯けば、三ノ宮さんの腕が私の背中に回る。ぎゅっと引き寄せられて力強く抱き締められた。


「ああ、嬉しい。大好きだよ千紗」


 ふいに名前を呼ばれてドキリとする。


「三ノ宮さん」

「下の名前で呼んで? 知ってる?」

「もちろんです。私片思い歴、長いので」


 彼の名前は――、


誠悟せいごさん、大好きです」


 初めて呼ぶ名前はくすぐったくて恥ずかしくて、とても幸せ。


「キスしていい?」


 驚きながらも、私は周囲を確認して小さく頷いた。


 誠悟さんも左右を見回して、それから――。


 風が吹き、私の髪が重なる唇を隠してくれた。

 


 さて。

 

 とは言え、めでたしめでたしとはいかないのが現実。


 それからも誠悟さんは毎週こちらに会いに来てくれた。

 こちらに来るのが5回目になる今日。父が珍しく私と誠悟さんを畑へ案内する。

 私が最後に畑に来たのが上京前。かれこれ何年畑を見てないだろうか。


 久しぶりに足を踏み入れる畑は様相を変えていた。広大な畑の奥の方は雑草が伸び放題の荒れ放題となっている。


「お父さん……、畑どうしちゃったの?」


 畑を見ていた父は太陽を見る。


「母さん亡くなってからな、……半分潰した」

「潰した?」


 畑は父そのものの人生と同義。

 父の人生は母が亡くなったことで変わったのだと感じる。


「心配するな。貯えはある。あとは日々食べる分と物々交換出来る分と農協に出す分ありゃな、何とかなる。畑に行かん時間は家の事やらんとな……」


 太陽ではなく、父はその向こうにいる母を見ていたのかもしれない。おおらかで温かく笑顔の絶えない人だったから。


 父の視線が誠悟さんに向く。


「あと10年もしたら畑はまた半分潰すつもりだ」


 私も誠悟さんも何も言えない。

 父の視線が今度は私に向く。


「ばあちゃんな、骨折が治ったら退院だけどな、うちには帰らん」

「どういうこと?」

「看護師常駐の介護施設に入るんだとさ」

「え、施設? なんで?」


 てっきりおばあちゃんは家に帰ってくると思っていたのに。


「理由は知らん。決めた、って勝手なことばっかり。ほんと困るよな」


 そうだよね、お父さんだっておばあちゃんが退院したらベッドがいるんじゃないかって、スマホで調べてたもんね。


「まあ、ここに帰ってきたらお前をここに縛り付けると考えたんだろうさ。だけどお前をこっちに呼び戻す前に決めてくれたら良かったのにな、ばあちゃん。ちょっと遅いよな……」

「それは入院したからこそ、そう思えたんじゃないかな? きっと入院なんてことにならなかったら、この家でずっと暮らしたいって思ったはずだよ」

「そうか……」


 父はしゃがんで土を触る。


「……畑はな、素人が出来るようなもんじゃねえ。わしは教えたりしねえから畑には絶対入るなよ」

「お父さん?」

「わしの事も心配すんな。自分のことは自分でする。その代わり盆と正月には顔出せ。いいな千紗と、せっ、誠悟くん」

「は? お父さんどういうこと?」


 父の発言に理解の追い付けない私の横で誠悟さんが綺麗に頭を下げる。


「必ず守ります」

「誠悟さん?」


 頭を下げたままの誠悟さんの横を父が歩いて行く。


「家に戻るぞ。千紗、酒出せ」

「お酒なんて飲まないじゃん?」


 今日はいいんだ、と呟きながら父は家に戻って行った。父の足音が消えてやっと誠悟さんが顔を上げる。


「お義父さんはさ、千紗の好きな場所で好きなように暮らして欲しいって言ったんだよ」

「そんなこと言いました?」

「うん。だから盆と正月には絶対に帰って来なきゃお義父さん悲しむね」


 誠悟さんが手を出す。

 手を乗せろということだと感じて私は右手をそっと乗せた。


「あ、反対の手がいいな」


 首を傾げながら左手に変える。


「ちょっとだけ目を閉じてくれる?」


 頷いて、目を閉じる。何が起きるのかと少しずつ鼓動が早まる。

 閉じた目蓋の向こうで誠悟さんの手が動いた。


 薬指に冷たい感触。

 ドキドキが加速する。


「千紗、目開けて?」


 まばゆい太陽の下で、小さな太陽が輝いている。


 言葉が出なくて、代わりに涙があふれた。

 ポロポロと頬を濡らし、唇が震える。


「千紗の暮らしたい場所で一生をともにしたい。俺と結婚してください」


 私の返事はひとつしかないのに、声が出なくて涙ばかり出る。

 こんな幸せなことは二度とないのではないかと思いながら誠悟さんの胸に飛び込んだ。

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