第17話

 父が畑から戻ってくるのを待ち、病院に向かった。


 ベッドの上で起きていたおばあちゃんの顔色は良くて私は微笑む。


「おはよう、おばあちゃん」

「また来てくれたの? あら、あらら、ちーちゃんの旦那さんもいるの?」

「はい。おはようございます」

「今日はなあに? あ、分かったわ。結婚式の招待状ね!」

「おばあちゃんそれは――」


 否定しようと言葉を出す前に三ノ宮さんに止められる。


「すみません。まだ用意が出来てなく、用意が出来ましたらお持ちしますね」

「早くね。早くお願いね。ばあちゃんね、それだけが本当に楽しみでね……」


 少し疲れたのかおばあちゃんの声がゆっくりと小さくなる。


「ちーちゃんを、お願いしますね」

「はい」

「ちーちゃんはね、優しい子なの」

「はい」

「ちーちゃんね、甘えんぼさんでね」

「はい」

「ちーちゃん、寂しがり屋さんなのよね」

「はい」


 おばあちゃん、それ以上は止めてください。こっぱずかしいんですけど。


「ちーちゃん?」

「なに、おばあちゃん?」

「こんな善い人がいるのに、こっちに呼び戻してごめんね。辛い思いさせてごめんね。ちーちゃんにはちーちゃんの人生があるのに、ばあちゃんがちーちゃんの人生を曲げちゃってごめんね」


 私はすぐに大きく首を振る。

 まさかおばあちゃんがそんな風に考えていたなんて……。


「曲がってない。私の人生曲がってないから、おばあちゃんが気にする事なんてないよ? こっちに帰ってきたのも、おばあちゃんに言われたからじゃないよ。私がこっちに帰るって決めたんだから。だからおばあちゃんは謝らないで。おばあちゃんが謝ることなんて何もないよ」


 するとおばあちゃんは涙をポロポロとこぼし始めた。私はハンカチを出しておばあちゃんの目元に当てる。


「ちーちゃん」

「なに?」

「今さらだけど……」

「うん」

「自分の気持ちに素直に生きなさいね」

「…………」

「我慢することなんてないんだからね」


 私は唇を噛んで、うんうんと頷くことしか出来なかった。


 病室を出てお手洗いに行く。

 鏡にうつる私は少し情けない顔をしているように見えた。


 おばあちゃんには心配掛けたくないのに、私が1番心配を掛けている。

 全て見透かされていて、胸が苦しい。


 ――だったら私はどうするのが正解だった?


 わがままを通して、こっちには帰らない、なんて言っても良かったのだろうか。

 過去を考えても仕方ないのは分かっているが、振り返らずにはいられない。


 だけど何度振り返っても正解は分らない。

 それなのに今の状況は間違っていると言われた気がして涙がこぼれる。


 結局、こっちに帰って来ても、帰って来なくても、その選択は間違っていると思うことになるのだろう。


 ――人生の選択って難しいな……。


 自分の未来はあやふやで、いつも靄がかかっていて見えないと思っていたが、それは私が自分の未来を想像しなかっただけ。


 どんな未来を生きていきたいか描かなかっただけ。


 だから流されて、言われるがままに生きてきた結果がこれだ。


 私は鏡にうつる情けない自分に問う。


「私の未来には何がある?」


 おばあちゃんの介護?

 お父さんの世話?


 それとも……。




 トイレに長居しても心配掛けるだけだと思い、お手洗いから出る。……と、そこには三ノ宮さんがいた。


「大丈夫?」

「えっと……、はい」


 微妙な頷きで返すと、三ノ宮さんは苦笑する。


「外に出ない?」

「病院の外?」

「そう」

「でも……」


 私はおばあちゃんの病室を見る。


「新幹線の時間まで、お許しをいただいてるんだ。二人で外に出て来いって」

「お父さんが?」

「うん」


 まさか、と思う。お父さんが二人きりで外出するのを提案してくれるなんて思わなかったのだ。


「行かない?」

「ええと……」


 これってデートなのかな、と考えてしまう。


「行きたくない?」

「いえ、行きたくないわけじゃ……」

「とりあえず風に当たろうか?」


 三ノ宮さんが手を出す。遠慮がちに手を上げると三ノ宮さんにさっと握られ病院の外に連れ出された。


 病院の外は心地良い風が吹いていて綺麗な空気がすぐに肺を満たしてくれる。


 吐き出す息は灰色の靄のようで、腹の底に溜まる全ての息を深く吐き出した。


「どこか行きたい? それともどこかのお店に入る?」


 病院の周りはのどかだ。

 コンビニと弁当屋、それから古くからある喫茶店が見えるくらい。あとは電車やバスに乗って移動しなければ特に何もない場所だ。


「……あの、ちょっと歩くんですけど、向こうに川があって……。そこに行きませんか?」


 手の繋がれた先を見上げると眩しい微笑みが落ちてくる。


「もちろんいいよ」


 道路を横断して、コンビニで飲み物を買い、川へと向かう。

 土手には雑草がのびのびと繁っていた。


「あ〜、なんだかここ気持ちいいね。それに空気が違うな〜」


 腕を広げて三ノ宮さんは気持ち良さそうな顔をする。


「座るかい?」


 三ノ宮さんはそう言ってズボンのポケットからハンカチを出して下に広げた。


「どうぞ」


 三ノ宮さんは手の平でハンカチを示す。


「え?」


 ハンカチの上に座っていいよ、ということだと分かり私は首を横に振る。


「ハンカチが汚れます。私このまま地べたで大丈夫な田舎者ですので、どうぞ三ノ宮さんがお座りください」


 私はすぐに雑草の上におしりを落とす。ジーパン越しに土の冷たさを感じた。


「女の子なんだから遠慮しなくていいんだよ。俺はそうしたくてしてるんだし、黒田が使ってくれなきゃ出したこのハンカチが可哀相だろ?」


 三ノ宮さんは苦笑しながらハンカチを拾いあげ、緑の上に腰を下ろした。


「はい、カフェオレ」


 コンビニで買った飲み物を三ノ宮さんが出してくれる。三ノ宮さんはブラックコーヒーだ。


 蓋を開けて、いただきますと口を付ける。ミルクの甘さが心を落ち着かせてくれる。


「私……どうしたら良かったんですかね?」


 おばあちゃんの言葉がずっと頭の中で繰り返されていた。


「自分の気持ちに素直にって言われても……」


 言葉にすると涙が出そうになる。誤魔化すようにカフェオレをごくごくと飲んだ。


 横から風が吹き、髪の毛が顔に掛かる。それを左耳に掛けると、右側を別の指が撫でていく。


 右を見る。温かい指はそのまま私の頭を撫でた。そして次は手の平で。


「黒田はとっても良い子だよ。お祖母さんもお父さんも安心してられる良い子。だから少しくらいわがまま言ったっていいんだよ」

「でも……わがまま言ってもどうにもならない現実だってあります」

「じゃあその現実、今は閉じてみない?」

「閉じる?」

「現実を見るから苦しいんだ。頭の中だけでも逃避したっていいんだよ。今ここにいる間だけは現実から目を背けてみない?」

「現実を見ない?」

「黒田の思ってること、感じてること、ここで全部吐き出して帰ろうよ。心の中にあるものってさ他人に聞いてもらうと案外楽になるもんだよ」


 三ノ宮さんが優しい微笑みを見せながら、頭を撫でてくれる。

 それが温かくて、なんだか魔法みたいで、私は無性に三ノ宮さんに寄りかかりたくなった。



「おばあちゃん、我慢するなとか、素直になれとか、……今さら過ぎる。もうこっちに引越したのに……。なのに今になってそんな事言われても……。どうしたらいいか分らないです」


 三ノ宮さんは静かに相槌を打ちながら聞いてくれる。その空気が心地良くて、安心出来て……。だから少しずつ吐露してしまう。


「この辺、何もないけど……。山の上とか本当に何もないけど……。だけどこっちが嫌いとか、都会でずっと暮らしたいとかはなくて……。こっちはこっちで好きだし……。だけど……、私……」


 息を吐く。

 私の本当に言いたいこと。


「本当は……、仕事続けたかった!」

「うん」


 自分の心と初めて向き合って知った、自分の本心。

 そうだ、私は仕事が嫌いではなかった。


「毎日同じ作業の繰り返しって思ってたけど……、トラブルが起こった時には、どうするのが1番いいか考えて対処するのとか、やりがいがあったし……。三ノ宮さんが仕事振ってくれるのとか、『あれ』とか言われても何の事かちゃんと分かるのが嬉しくて……」


 過去を思い出し、耐えきれず涙が頬を伝う。


「三ノ宮さんが……、声を掛けてくれると嬉しくて、それだけで1日頑張れたし、一緒に残業するのも実は嬉しかったし、差し入れとかすごくすごく嬉しくて……」


 三ノ宮さんの手が止まる。

 そこで私も自分の発言の恥ずかしさに気付いた。

 

「そ、そうじゃなくて仕事っ、仕事楽しくて……」

「待って……」

「?」

「いつから?」

「いつ?」


 三ノ宮さんの顔に微笑みは消え、真剣な表情となっている。


「いつから嬉しいって思ってたの? 待って。……残業って最近なかったよね? 半年前? いや1年前に新規案件で毎日毎日残業してたことあったけど……。え、もしかしてその時から?」


 三ノ宮さんの問いが分かり、私はゆっくりと首を振る。言うべきことを間違えた。嬉しかったなんて言うべきでなかったのに。


「そ、そういう意味じゃ、なくて……」

「どういう意味? ……って、ごめん。問い詰めたいわけじゃないんだ。だけど隠さないでくれないかい?」


 そうだよね。

 酔っていたとはいえ、一度は三ノ宮さんに告白しているのだ。三ノ宮さんはもう私の心を知っている。


 先週も今週もこうやって時間とお金を掛けて私のために会いに来てくれているのだ。


 ちゃんと向き合わなければ、三ノ宮さんに失礼だろう。


 よねん、と言いながら三ノ宮さんの瞳を真っ直ぐに見つめた。


 「かれこれ4年です」

「4年? えっと、入社したのが、その頃だったっけ?」


 私は違うと首を振る。


「入社は5年前ですよ。三ノ宮さんのこと尊敬する先輩だと思ってたんですけど、4年前にはそれはもう恋に変わってました」


 かつてないほど胸がドキドキしている。心臓がバスケットボールにでもなったみたいだ。


「4年も……片思いしてた、ってこと?」


 三ノ宮さんは唖然とした表情。

 呆れられてしまっただろうか。


 4年もずっと思いを寄せられたまま隣で仕事をしていたと分かったら、そりゃ気持ち悪いと思われても仕方ないよね。


 私ってほんと気持ち悪い女だな、とへこむ。


 三ノ宮さんは三ノ宮さんで頭を押さえて「あーーー」とか叫ぶから、私は更にへこんでしまう。


「すみません」


 気持ち悪くてすみません。

 4年も片思いしてすみません。

 何度も笑顔を網膜に焼き付けてすみません。


 すみません。すみません。すみません。


「えっと……」

「ごめんなさい! 私――」

「待って!」


 二人の声が止まる。

 風が二人の間を抜けていく。髪の毛が顔に掛かるが最早どうでもいい。


「それって過去形?」

「カコ?」


 首をひねる私の前で、三ノ宮さんは何事か考え始めた。


 そしてぼそぼそとひとりごちる。


「4年も片思い? 4年もあったら心変わりしても……。他に好っ!?」


 三ノ宮の瞳がこちらに戻ってくる。


「今は? もしかしてあの幼馴染?」

「幼馴染って日野のことですか?」

「あーー、だって彼ずっと俺のこと睨んでたし……。彼とは?」

「日野と?」


 三ノ宮さんの瞳が「何かあったのか?」と言っているように見えた。


「えっと? あ、プロポーズ?」


 結婚しようみたいなことを言われたな……と思い出したのだが、三ノ宮さんの顔は真っ青になっていた。

 

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