第16話
翌日。
私は日野商店で、ぼおっとしていた。
棚を拭いて、床を掃き、たまに来店するじいちゃんばあちゃんの相手をして、それから暇になった。
誰も見てないからと大きな口を開けて欠伸をこぼすと「ぷっ」と笑い声がする。
「眠いの?」
「日野! おかえり」
「ただいま。昼寝してくるか?」
「しないよ。ごめん欠伸なんてして……。職務怠慢だよね」
「ショクムタイマン? ……俺は肉まんなら好きだけどな!」
「なにそれ、ふふっ」
「笑ったな!?」
「ごめんって。私も肉まん好きだよ」
「美味いよな!」
笑う私たちの耳に杖の音が聞こえる。店の入口を見れば隣に住む山田のおじいちゃんとおばあちゃんがいた。
「いらっしゃいませ」
「おう、じいちゃんばあちゃん」
「おうおう」
「あらま。いつの間に可愛らしいお嫁さんをもらったの?」
「そうなんだよばあちゃん! 俺の嫁さん可愛いだろ?」
「ちょっと日野!」
「大丈夫だって。明日には忘れてるから!」
日野が眩しい太陽みたいに、にかっと笑う。
「こりゃこりゃ〜お祝いじゃなあ〜」
みんながにこにこ笑う外側で、脳裏に三ノ宮さんが浮かぶ。
だけど、ここで生きていくのなら、私の未来に一緒にいるのは日野なのだろう。
日野のことは嫌いではない。
好きかと問われれば、答えに困る。
ドキドキはしないけど、安心感はある。
日野は相変わらず、そんな存在。
おばあちゃんのお見舞い優先で、お見舞いに行かない日は日野商店の店番に行くこととなった。
日野に明日行きますと言うと、日野は翌朝迎えに来てくれる。
わざわざ悪いなと思う私とは反対に、日野は「俺がやりたい事だから悪いなんて思うなよ」と言う。
そして今朝も。
家の外に車が停まる音。日野が迎えに来た。
玄関扉がガラガラとスライドされて「はよ〜っす」という日野の声。
「おはよ、今行く」
「ゆっくりでいいぞ〜」
「はーい。お待たせ」
「はや」
身支度なんて、あってないようなもの。お弁当と水筒さえ持ってればいいのだから。と言いながら、お財布とスマホとハンカチを入れたバッグを手にしている。
助手席に乗り、軽トラがゆっくり走り出す。
「あ、朝イチのバス。上がってきたな」
「そっか。今日土曜だからいつもより遅いんだ」
平日と土日祝ではダイヤが変わるし、平日は朝と夕方にもう一本ずつ便が増えるのだ。
バスがバス停で停車し、人を吐く。
それを横目にバスと離合し……。なぜか目が引き寄せられたのは、降車したのがお年寄りではなくここでは珍しい若者だったから――。
「――って、え!? 待って。日野ストップ、止まって止まって!」
「ちょ、何だよいきなり、止まるから待って」
止まった瞬間にシートベルトを外して車を降りる。
見覚えのある背中はスーツじゃなくて、グレーのパーカーだけど、それが誰なのかは顔を見ないでも分かる。
「三ノ宮さん?」
グレーの背中が向きを変える。私の顔を認めて表情がほころんだ。
それを見るだけで、どうしようもなく胸が弾む。
「黒田! おはよう」
お互いに駆け寄る。
「どうして?」
「また来るって言っただろ?」
「来るなら来るで教えてください。びっくりしました」
三ノ宮さんは笑いながらごめんと言うけど、悪いなんて全然思ってなさそうだ。
私の後ろからバタンという音。日野が軽トラから降りたのだろう。
後ろを向くと日野が機嫌の悪そうな顔をしていた。
「ごめん日野。えっと、どうしよう。お店戻らないといけないよね」
「店はまだ大丈夫だけど、それより誰そいつ?」
日野は顎で三ノ宮さんを差す。
私は三ノ宮さんの隣に立つと手の平を上に向けて、こちらはと紹介する。
「勤めてた会社の先輩で三ノ宮さん」
「三ノ宮です。千紗さんの婚約者です」
「こっ!?」
三ノ宮さん、今なんて言いました?
しれっと婚約者って言った気がするのですが?
って言うかまた名前……。名前呼ばれた。名前呼び……嬉しいな。ふふふ……じゃなくて、
「ちょっとどういう事ですか!」
「ん? だって千紗のおばあちゃん公認だろ? 結婚式にも出席してくれるって言ってくれたじゃないか」
「黒田どういうこと? 婚約者がいるとか初耳なんだけど」
いえいえ、婚約なんて私も初耳でございます。
というか、この状況なんなんですか?
誰かー、助けてくださいー!!
日野商店。レジの内側が氷点下になっているのを、私の肌は観測している。
お父さんが畑に出ている間に勝手に三ノ宮さんを上げて、一人で留守番してもらうわけにもいかず、一緒に日野商店まで連れてきたのだが……。
にこにこと微笑みを崩さない三ノ宮さんと、イライラを隠さない日野。そして肩を竦ませる私。
そこへパタパタと足音をさせて現れたのは救世主――日野母だ!
「麦茶で良かったかしら?」
「お構いなく」
日野のお母さんがコップの乗った丸いお盆をレジカウンターに置く。手伝いますと腰を上げれば、救世主は菩薩のような穏やかな顔をする。
「ありがとね、ちーちゃん。お茶請けは……、えっと
「お茶請けなんて……」
「お客様いらしてるでしょ?」
素直な日野らしくない態度に菩薩はゆったりと諭すようにそう言った。
渋々といった様子で日野は店の棚からクッキーを取ってくると手際よくレジに通す。
「それにしても、ちーちゃんにこんなナウい彼氏がいたなんてびっくりだわ〜」
「母さん、ナウいは死語」
「じゃあ何? 美丈夫?」
「何時代だよ。イケメンでいいだろ」
「やっぱり達也もちーちゃんの彼氏、イケメンだと思ってんのね!」
「んなっ! お、」
日野は顔を横に向けてバツが悪そうに「思ってねえ」と呟く。それを聞いてちょっと笑いそうになったけど、日野に悪いかなと思って唇に力を入れた。
「こんなイケメンだったら街中で声掛けられるんでしょ? なんかテレビとかに出た事ないの?」
「いえ、そういうのは」
「そうなの?」
日野母は残念そうな顔をして、おもむろにクッキーの袋をあけると、みんなに配る。
「でもちーちゃん結婚したらまたあっちに戻るの?」
「いや、それは」
「私はこっちで暮らしてもいいと思ってます」
「あら〜」
「二人で話してお義父さんとも相談しなければいけませんが」
「そうよね〜、そうよね〜。だれか達也の所にも来てくれたらいいのにね〜。こんな田舎に来る若い娘なんていないか〜。やっぱアンタ都会に出て婚活しなきゃダメね」
「母さん、俺の話はいいから。俺そろそろ配達行って来る。留守番頼んだ」
最後のセリフは私に向けて。
「任せて。行ってらっしゃい」
「行って来ます。母さんは今日は家にいろよ。井戸端会議に行くんじゃねえぞ!」
「当たり前よ。今日はずっとイケメン眺めてるんだから! さっさと行ってきなさい」
日野は三ノ宮さんに睨みを飛ばして出て行った。
「すみません」
「うちの子がごめんなさいね〜。悪い子じゃないのよ?」
「はい、大丈夫です」
三ノ宮さんは飛び切り素敵な微笑みを見せる。
菩薩はその微笑みに、射止められたようだ。
マダムまで魅了するなんて、ちょっと嫉妬しちゃうじゃないか……。
「あら〜やっぱり居るじゃない」
「ケイコちゃん、いらっしゃい〜」
その後ろには隣の山田のおばあちゃんもいる。ちなみにケイコさんは山田さん家の隣の奥さんだ。
「おはよう千紗ちゃん」
「おはようございます」
「あら? まあまあまあ! 誰かしら?」
私の隣にいた三ノ宮さんに視線が移る。
「ちーちゃんの旦那さんよね〜!」
「あら、千紗ちゃんはてっきり
「でも達也もちーちゃんも、この年まで何もなかったのよ? ただの同級生よね」
「はい」
「それでそれで、どこから来たの? 何歳? 千紗ちゃんとはいつから? それから、それから――」
ケイコさんが三ノ宮さんを質問攻めにする。
三ノ宮さんはそれに動じることなく答えていく。
私の助太刀なんて必要なくて、隣で聞いていてちょっと恥ずかしくなり、そして嬉しくもあった。
そしてそれは昼前まで続き……。
昼の支度をすると言って二人はやっと店を出て行った。
「すみません疲れましたよね?」
「ううん全然」
そう微笑む三ノ宮さんの表情に癒やされるが、しかし――。
午後にはこの地域一体の婦人たちが、ケイコさん発信の婦人会連絡網により知ることになる。
『日野商店に若い男あり』と。
そしてその日、店じまいするまでおば様たちは途切れることなく来店する。
そしてご婦人方は思う存分イケメンを堪能すると、至福の表情のまま手ぶらで帰って行くのだった。
「で、ばあちゃんたち一体何しに来たんだ!!」
と日野がそう怒ったことは言うまでもない。
家に帰り居間に行くと父は新聞を読んでいた。私ともう一つ気配を感じたのか顔が上がり、少し目を開く。三ノ宮さんに驚いたのだろう。
「ただいまお父さん」
「ああ」
「こんにちは。お邪魔します」
折り目正しく挨拶する三ノ宮さんを見ないで父は「ああ」とだけ言う。
良かった。帰れ、と言われなくて。
「夕飯準備するね。三ノ宮さんは……、あの手伝ってもらえますか?」
座っていてくださいと言おうとしてやめた。
「もちろん」
微笑む三ノ宮さんと一緒に台所に立ち、食事を完成させる。
昨日おばあちゃんの見舞い帰りにスーパーに寄っていて良かった。でなければ今頃食卓はお父さんの畑で採れた新鮮野菜のパーティーになっていただろう。
それはそれで私は好きだけど……。男の人はそうはいくまい。
「いただきます」
3人で手を合わせ、父をこっそり窺うと、父は父でこっそり三ノ宮さんを窺っているようだった。
視線を感じたのだろう三ノ宮さんが父に向くと、父は誤魔化すようにご飯を口に入れる。
「……き、君は」
「はい」
「先週仕事を休んで来てくれて、それでこの週末もやって来て……暇なのか」
「お父さんっ」
暇なわけないでしょ、と言う言葉は三ノ宮さんに制された。
「千紗さんに会うために仕事をきちんとして、会いに来ました」
土日の間に何か問題があればすぐに呼び出しが掛かるだろうし、もしかしたら月曜から出張が入っているかもしれない。そんな中で三ノ宮さんは新幹線に何時間も乗ってここまで来てくれているのだ。
「わざわざこんな辺鄙な所まで来る必要ないだろ」
「田舎だとか都会だとか関係ありません。千紗さんがここにいるから、ここに来たんです」
「だが千紗は都会にやらんぞ」
「はい」
「じゃあもうここに来るな。千紗が苦しむだけだ……」
お父さんは三ノ宮さんの事が嫌いでこんな事を言ってるんじゃない。ただ、私の事を心配してくれているだけなんだ。
「いえ、来ます」
「だから」
「私がこちらに住みます」
「仕事はどうすんだ!」
「辞める覚悟はあります」
「三ノ宮くんにとって仕事はそんなもんか」
「仕事か千紗さんか、どちらかしか選べないというなら私は千紗さんを取ります。ですが両方選ぶという選択肢があるならどちらも取ります。お義父さんが許してくださるなら畑も――」
「お義父さんと呼ぶな。まだ認めてない! この話しはもうやめだ。メシがマズくなる」
「そんな言い方しないでよお父さん。それにお父さんが質問始めたんでしょ」
父は黙る。
気まずい空気の中での食事は全然美味しくない。
早々に食べ終わった父は箸を置くと、
「明日、畑行って、それから病院行くぞ」
そう言って出て行った。
「あの、さっきの話しって……」
私が問うと三ノ宮さんはお茶を飲んで首を傾けた。
「会社辞める覚悟があるとか言ったやつ?」
「本気ですか?」
「う〜ん、正直言うと半々。ネットは繋がるみたいだし在宅で出来ないかな〜とか半分思ってる。でも残り半分ではここで畑仕事してもいいと思ってるんだよね。俺にどこまで出来るか分らないけど……。でも何事も挑戦って言うし。黒田と一緒になれるなら、それくらいの覚悟は必要だろう?」
三ノ宮さんの中に田舎に住むという選択肢があることに驚くとともに嬉しくもある。
しかし私は嬉しいのを隠して首を横に振った。
「ダメですよ。三ノ宮さんに畑仕事なんて格好悪いじゃないですか! させられません。三ノ宮さんは営業に出てこそ輝ける人です」
「ありがとう黒田」
「ほっ、褒めてませんよ。ここに来ないでって言ってるんです」
「それは出来ないよ」
「なぜ?」
「黒田を口説き落とさないといけないからね」
顔が熱くなって頭から煙がプスーと出ていく。
「困ります」
「困ってる顔も可愛いよ」
「な……」
「料理も美味しいよ」
「お粗末様です」
「俺ね、今度食べたいものがあるんだ」
「何ですか?」
三ノ宮さんの視線が私の瞳から外れ少し下に落ちる。
「ここ」
そう言いながら三ノ宮さんは長い指で私の唇をぷにっと押し潰した。
驚きに固まる私を見て三ノ宮さんは指を離すが、次に顔を近付けてくる。
――ちょちょちょちょちょ、いや待って、え? 本当に? ダメ!!!
私は両手で唇を隠す。まだそんな覚悟は出来てないし、そもそも三ノ宮さんとお付き合いしてないのだから。
しかし三ノ宮さんは至近距離で私の頭を撫でると、すっと顔を離した。
「期待してくれた?」
「し、してません。してませんから」
絶対顔が赤い。
こんなの困るのに嬉しくて、どんな反応をしたらいいか分らなかった。
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