第15話

 3人で病院に行き、父は担当医の所へ。


 私と三ノ宮さんはおばあちゃんの病室に向かった。


「本当に俺入って大丈夫かな?」

「父がいいって言ってましたし、大丈夫じゃないですか?」

「そうじゃなくて、お祖母様的に。他人に寝てる姿見られたくないとかは、ない?」

「なるほど。じゃあ祖母に確認してみます」


 曇り顔の三ノ宮さんを廊下で待たせて病室に入る。


 右側奥にあるベッドにおばあちゃんが寝ている。


「おばあちゃん?」

「……ん」


 眠ってはいなかったのか、薄く目が開き、ゆっくり瞬きする瞳が私を捉えた。


「ちーちゃん」


 空気が出ただけのような声が微かに届く。


「おばあちゃん大丈夫?」

「はあ、大丈夫よぉ。あら、遠くからわざわざ来てくれたの? 疲れたでしょう……」

「あのね、おばあちゃん。今日はもう一人来てて、その……、会ってくれる?」

「誰かしら? 紹介してくれるの?」

「うん。おばあちゃんが良ければ」


 おばあちゃんの頬がふるりと動いた。笑ったのかもしれない。それが是であると受け取った私は三ノ宮さんを迎えに行く。


「大丈夫みたいです。ただ、結構しんどいみたいなんですけどね……」

「じゃあ挨拶したらまた外に出るよ」

「すみません」


 三ノ宮さんを先導しておばあちゃんのベッドに戻ると、おばあちゃんの目はすでにこちらを待ち構えていた。


「あら……ハンサムな彼氏を連れて来たのねぇ」

「かっ!? ちがっ」

「はじめまして。千紗ちささんとお付き合いさせていただいております、三ノ宮と申します」

「三ノ宮さん!?」

「しー。千紗、ここ病院だよ?」


 三ノ宮さんは立てた人差し指を口元に当てて真面目な顔をするが、目は笑っている。


 ――これ絶対楽しんでるよね?

   しかも、下の名前呼んだ?

   っていうか名前知ってたの?


「結婚はいつ?」

「それはま――」

「近いうちに」

「じゃあ早く退院しなくちゃ」


 おばあちゃんは微笑むと目を閉じた。


 おばあちゃんに背中を向けて三ノ宮さんに、どういうことですか、と小声で尋ねる。


「どういうことって?」

「嘘言うなんて」

「嘘も方便って言うだろ? それに安心した顔してたけど。早く元気になってくれたほうが嬉しくない?」

「それは、そうですけど」

「それに嘘ってことはないんじゃない?」

「え?」

「真実にすればいいってこと。だから結婚しようか?」

「なっ!!!」


 耳元で囁かれて顔が熱くなる。



 暗い顔をした父が病室に入ってくる。瞳が潤んで見えるのは気のせいだろうか。


「お父さん?」

「ばあちゃん寝たのか?」


 3人の視線がおばあちゃんを向く。


「来た時は起きてたよ。三ノ宮さんと挨拶して、それから寝たみたい」

「そおか。はあ……」

「先生なんて?」


 父の視線が私に向き、またおばあちゃんに戻る。


「心不全がなんたらかんたらって」

「なんたらって、なに?」

「…………」


 だんまり。


 父はこういう所がある。母が病気でなくなった時も「聞いたことない病名だった」とか最初言ってた記憶がある。


「あの、私は外で待ってますね」


 気を遣って三ノ宮さんがそう言うと、父はズボンのポケットから小銭入れを出す。


「二人で何か飲んで来い。ばあちゃんすぐに起きねえだろぉよ」

「うん」

「ありがとうございます」


 小さな背中を残して、私たちは病室を出た。




 二人きりになると、『口説く』と言っていた三ノ宮さんのセリフを思い出し、何となく身構えてしまう。   

 しかし所構わずというわけではないようで、病院だからか声も小さく会話もおばあちゃんのことばかり。


 二人で缶コーヒーを飲み終わるとまたおばあちゃんの病室に戻った。


 父の「ああ」という相槌が聞こえる。おばあちゃんと会話しているようだ。

 父がこちらに気付いて振り向く。


「戻ってきたか。ばあちゃんが話しあるって」


 私に向けられた言葉を受けて、おばあちゃんの横に立ち、中腰になる。


「おばあちゃん?」

「ちーちゃん、あのねぇ」


 おばあちゃんは変わらずしんどそうにゆっくり喋る。きちんと聞き取らなきゃいけないと、私はさらに耳を近付けた。


「箪笥の、ひきだし。上の、小さい方にね、ダイヤのね、指輪があるから」


 そう聞いて昔よくおばあちゃんの指にはまっていた指輪が頭に浮かんだ。

 ひと粒のダイヤがとてもキラキラしていて、『キレーね〜』と見ていた記憶がある。


「ちーちゃんが、お嫁に行くとき、それ、渡そうと思ってたのよ。若い人向きのデザインじゃないから、好きな形に変えてね。あれよ? 一緒に行けないから、ばあちゃんのお金使って、作り変えてもらいなさいね」

「おばあちゃん……。いいの?」


 おばあちゃんの大切な指輪を私が加工などしても良いのかと問えば、おばあちゃんは微笑む。それから今度は三ノ宮さんを向いた。


「あ〜、やっぱり何度見てもハンサムさんね。早く孫の顔が見たいわぁ」

「おばあちゃん、孫は私だよ? それを言うなら曾孫でしょ?」

「曾孫? そう?」

「息子がお父さんで、孫は私でしょ。だから次は曾孫」

「次はいつ生まれるかしら? ばあちゃんまだ生きてるかしらね?」


 弱々しい声で言わないでよ。鼻がツンとしてしまう。答えない私の代わりに三ノ宮さんが一歩こちらに寄った。


「生まれたら赤ちゃんを抱っこしてくださいね」

「まあ、もちろんよ。どちらに似た子が生まれるか楽しみね〜」


 おばあちゃんがちょっとだけ生き生きして見えた。



 帰りの車内でハンドルを握る父が前を向いたまま口を開く。


「ばあちゃんの話しに合わせてくれて、ありがとな」


 話しを合わせてくれたのは三ノ宮さん。だから私も三ノ宮さんにお礼を言う。


「ありがとうございました」

「私は……、合わせたわけではないです」

「いや、ありがと」


 父が強めにそう言うと、三ノ宮さんは私の方を向いた。何かアイコンタクトみたいなものを受信した気がするのだが、車内の変な空気が妨害していてエラーを起こす。


 首をかしげる私に、三ノ宮さんはちょっとだけ苦笑した。


「またこっちに来ます」

「こんな田舎までわざわざ来なくていい」

「また来ます」

「…………」


 父はそれ以上何も言わず、駅前で三ノ宮さんを下ろした。


「お父さん、お見送りしてきていい?」

「……、好きにしろ」

「ありがとう。すぐ戻ってくるから」

「お茶買ってきてくれ」

「お茶? うん」


 自動販売機は駅の外にない。

 だからお茶を買いに行くためには駅の中に入らないといけないのだ。


 私のことだから、お父さんを待たせると思ってお見送りもそこそこにすぐ戻ってくると思ったのだろう。


 私も駅の中に入るつもりはなかった。

 

 だけど、駅の中まで行く理由ができた。


「三ノ宮さん」

「うん?」

「この度は本当にたくさんのご迷惑をお掛けして、有給まで使っていただいて、しかもわざわざこちらにまで来ていただいて、なのにお礼も出来てなくてすみません。すぐにお礼の品を送りますので。あと掛かった費用も――」

「いいよ、そんなの。要らないって。全部俺がしたくてしたことだし。黒田が負担に思わないでくれることが一番のお礼かな」

「でも」

「そんなにお礼がしたい?」

「もちろんです!」

「じゃあ黒田の唇が欲しい」

「は!?」


 ――なんつった?


 耳を疑う私の足が止まる。

 三ノ宮さんは真剣な顔をこちらに向けて私の目を真っ直ぐ見てくる。


「え?」

「お礼してくれる?」


 この人はズルい。

 私がお礼をすると言った手前、お礼だと言われれば拒めるはずがない。


「あの……」

「ん?」

「ほ、……ほっぺとかでもいいですか?」

「うん」


 目の前の真剣な顔が、大好きな微笑みに変わる。

 ドクンと大きく跳ねる心臓の前に頬が寄せられた。


 大衆の面前でなんと破廉恥な行為かと恥ずかしくなりながら覚悟を決めて唇に力を入れる。


 触れるか、触れないか。

 小鳥が羽根を撫でたような、そんな口付け。


 顔が見れなくて、恥ずかし過ぎて、手の平で顔を覆う。


「千紗」


 愛しさを込めて呼ばれる名前に、ますます顔が向けられなくなった。


「顔見せて?」


 ふるふると顔を横にする。


 そのまま数秒――。


 ゆっくり三ノ宮さんの匂いが強くなり、私は顔を覆ったまま抱き締められた。


「また連絡するし、また会いに来るから」


 そして、私の額に何かが触れた。三ノ宮さんの腕が解かれる。


「じゃあまた」


 手を下ろすと三ノ宮さんの背中が見えた。ゆっくり改札の向こうに消えていく。


 おでこを触って、何が当たったのか理解した私は顔中が熱くなるのを感じながら自動販売機に走った。


「お父さんお茶」

「おう」


 ペットボトルの蓋を開けて口を付ける父を後部座席から見る。


 私の顔が赤いこと、バレてないよね?


 エンジンがかかり、静かに出発する。2〜3分ほど走ると赤信号で車が止まる。


「次はいつ来るって?」

「え?」

「あいつと付き合ってんのか」

「え、……えっと、あいつって三ノ宮さん? 付き合ってないよ」

「好きなんか?」

「す……」


 誤魔化そうかと思ったが、とどまる。

 父親に「三ノ宮さんが好き」だと伝えるのは恥ずかしいけど、「うん」と頷いて肯定する。


「そおか。……母さんが生きてたら、もう少し上手く話しを聞いてくれるんだろうが……。すまん」


 私と同じく口下手な父が、私のためを思って私の気持ちを聞いてくれたのだと分かり、胸がじんわりと温かくなった。


「だが、あいつは都会の人間だろう」

「……そうだね。だからあの人との未来はないよ」


 何かを言おうとした父が言葉を出すのをやめる。


「お父さん?」

「……お前、……これからどうすんだ?」

「今更そんなこと聞かないでよ。やることなんて限られてるじゃない」

「家事か」

「畑もあるでしょ。それに日野が店番しないかって誘ってくれたから」

「そおか」


 それきり父は黙ってしまった。

 車窓から空を見上げると、都会では見えない星が瞬いていた。

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