第14話

 日野が地元の駅で待っていた。


「黒田……」

「連絡ありがとう」

「うん。……車そこ。行こう」


 日野が目の前の駐車場を指したので、頷いた。


 新幹線に乗っている間に日野が簡潔な連絡をくれていた。

 とりあえずおばあちゃんは無事だと言うこと。それから私の父と日野のお母さんが付き添ってくれていること。


 軽トラの助手席に座った私は日野から情報をもらう。


「今日は朝から婦人会の集まりがあったんだとさ」

「おばあちゃんそれに行ったの?」

「三浦のばあちゃんが迎えに行ったらしい」


 三浦のおばあちゃんは、耳は遠いが話し好きで有名で、90歳をいくつか過ぎた今もバリバリ畑に出て、軽トラを運転している。


 婦人会の集まりがある時は、いつもウチのおばあちゃんを迎えに来てくれている。今日もいつもの習慣で迎えに来たのだろう。


「でもおばあちゃん腰痛めてたのに、起き上がれたのかな」


 日野はハンドルを大きく回し、駅前のロータリーを出た。4車線の一番左を走る。


「昨日、配達に行ったら玄関の前に座ってたよ。大丈夫ですかって聞いたら『調子が良いし、外が見たくて』って言ってた。だから今日も玄関で座ってたんじゃないか? 黒田のおじさんは畑に出てて、知らない間に行ってたらしいよ」

「そっか。それで?」

「それで、軽トラ降りる時に胸押さえながら落ちたって……、母さんが見てた。見てたのに、何も出来なくて……ごめんって」

「おばちゃん悪くないから。むしろそこにいてくれて良かったよ。おばちゃんが救急車呼んでくれたんでしょ」

「ああ……」


 歯切れの悪い返事に「日野?」と問う。


「落ちた時にさ、その……、骨も弱くなる年齢だし……、左腕が……」

「折れた?」

「ああ……」

「そっか」

「あと腰が。折れてはなかったみたいだけど悪化したっぽい」

「元々痛めてたのに、落ちたんだから当然だよ。むしろ腰骨まで折れてなくて良かった……」


 赤信号で止まると、日野が一度こちらを向いた。


「ありがとね、日野」

「なんだよ? 俺別に何も出来てねえし」

「そんなことないよ」

「……不謹慎だけどさ、黒田のばあちゃんには感謝してる。腰痛めたお蔭で黒田はこっちに帰ってきてくれたし。送り迎えだって俺は結構楽しいし。その……下心あ――」

「日野! 青、青! 信号変わったよ」


 ごめん、日野。ちょっとここでそんな雰囲気出されても困る。


 気まずい空気を入れ替えるように、私は窓を開けた。それに日野は何も言わず運転を続けてくれた。


  四人部屋の病室に入るとおばあちゃんはベッドで眠っていた。骨折した腕は真っ白な包帯で固定され、顔の左側にはガーゼが貼ってあってとても痛々しい。


「お父さん、おばちゃん」


 小声で呼び掛ける。振り向いた二人は疲れた顔をしていた。


「すまんな。とりあえずばあちゃん無事だ」

「おばちゃん、付き添ってくれてありがとうございます。救急車も呼んでくれたって聞きました」


 日野のおばちゃんは「何もしてないわ」と手と首を横に振る。


「ばあちゃんな、あまり長くないかもしれないって」


 父の突然の発言に驚く。


「どういうこと?」

「詳しくは明日の検査で。だけど心臓が良くないらしい」


 三浦のおばあちゃんの車から落ちた時も胸を押さえていたというおばあちゃん。

 家でも呼吸を止めて胸の痛みを堪えている時があった。


 大丈夫かと聞いても、おばあちゃんは「年寄りだから、こんなもんよ」と笑っていたのだ。


 もっと早く検査に来ていれば良かったのかもしれないと、後悔の念がじわじわと胸を苦しくさせる。


「――ぃちゃん」


 顔を上げるとおばあちゃんの目が薄く開いていた。


「来てくれたの? お仕事は?」


 蚊の泣くような細い声。


「仕事辞めてこっちに帰ってきたでしょ?」


 帰ってきて、と言ったのはおばあちゃんなのに、どうして仕事のことを聞くのだろう。


「お仕事はちゃんとやらなきゃだめよ。せっかく就職できたんだから」


 おばあちゃんの口から疲れたような重たい溜め息が出る。そしてそのまま目蓋が落ちた。


「……おばあちゃん?」

「さっきもね、ちょっとこんな感じだったのよ」


 日野のおばちゃんが苦笑する。それに父が付け足すようにぼそりとこぼす。


「日野の奥さんを、母さんと間違ってた」

「え?」

「ちょっと混乱しちゃってるのかしらね?」


 それから面会時間終了まで病室にいたが、おばあちゃんは眠ったままだった。



 翌日。おばあちゃんの面会は午後から。といっても検査が終わり次第の面会となる。

 それから三ノ宮さんに任せてしまった引越しが午前にある。業者は朝イチにきて午前中にマンションの荷物が空になる予定だ。その荷物は明日この田舎に来ることになっている。

 


 おばあちゃんのことも気になるし、引越しのことも気になる。


 そんな私の心配を察知したように、登録のない番号から電話が掛かってきた。


「もしもし?」

『黒田?』


 職場で何度も受話器を通して聞いた、その低い声に耳が満たされる。


「三ノ宮さん、お疲れ様です。今日は本当にすみません」

『おはよう。今から引越し作業始まるよ。こっちは大丈夫だから任せといて。……で、そっちは大丈夫だった?』

「ご心配お掛けしてます。とりあえず無事でしたが今日は検査があるみたいで」

『そっか。心配だな』

「はい」

『俺さ、今日と明日有給取れたから、明日そっちに行くね』

「へ? え? 来るんですか?」

『イヤ?』


 捨てられた犬みたいな声で言われても困る。


『ダメ?』


 散々迷惑を掛けている身で駄目と返すことが出来ず無言になる。


『引越しのファイルは郵送してもいいかな、って思ったんだけどね、でも何かあった時のためにって渡された印鑑は、やっぱりきちんと手渡しで返したいと思うんだよね』

「あ……」


 返してもらうことまで考えて預けてなかった。


『それに……』


 三ノ宮さんの声調が変わる。なんだろうと身構える私の耳に、しっとりとした声が届く。


『君の顔が見たい』


 三ノ宮さんのセリフに頬が熱くなる。


 そんな私の顔事情などお構いなしに三ノ宮さんは「会いたい」と追撃してくる。


 何も言えない私の耳に「黒田さん」と私を呼ぶ声が電話の向こうから聞こえた。


「呼ばれてます?」

『ちょっと待ってね。はーい! あ、俺ね今日は黒田の兄貴ってことにしてるから。はいはい、黒田ここでーす。じゃあ一旦切るね、また掛けるから』


 楽しそうな三ノ宮さんの声を最後に電話が切れた。


 そして、その日。おばあちゃんの検査は長く掛かり面会できなかった。



 朝になると父はいつも通り畑に行く。


 私は家の中を片付ける。すぐに引越し業者が荷物を持ってくるだろう。家電はリサイクルショップに回収をお願いしたので、荷物は少ない。家具も小さな本棚とローテーブルにベッドだけ。


 実家にベッドは置いてなかったから丁度いい。


 10時に畑から戻ってくる父より先に、トラックが到着した。男性二人での荷運びがあっという間に終わる。


 狭い部屋の中に段ボールの山が築かれた。


 いつの間にか帰ってきていた父が男性二人にお茶と茶菓子を出す。

 お父さんってそんな気の利いたこと出来たんだと感心してると、「何だよ」と父がこぼした。


 私はそれに首を横に振る。


 家の電話が鳴り、出ると病院からだった。


「お父さん病院から」

「ああ」


 受話器を持って相槌を打つ父の横顔に色はない。電話を切った父は「午後から検査結果聞いてくる」と教えてくれた。


 お茶を飲み終わった引越し業者を玄関の外で見送ると入れ違いにタクシーが到着した。


 タクシーを降りたのは、


「三ノ宮さん!」

「やあ、おはよう。引越し屋さんの方が早かったみたいだね」

「はい、今終わった所で。この度は大変ご迷惑をお掛けし――」

「いいって、いいって。何事もなくちゃんと引越し出来て良かったよ。ほっとひと安心」


 三ノ宮さんはにこりと微笑む。それだけで心臓が掴まれて私は無駄にドキドキしてしまう。


 ――ああ、やっぱり今日も格好いい。それに山を背にすると爽やかさが倍増してる気がするし!!



 父には上司が引越しを請け負ってくれた、と色々ぼかして説明していた。


 客間に父と三ノ宮さんが向き合って座る。私は二人に麦茶を出して横に座った。すでに自己紹介は終わった模様で、お互いにすみませんと謝り合戦をしていた。


「急な訪問申し訳ありません」

「うちの娘が迷惑掛けてすみません」

「お忙しい時間ではなかったでしょうか」

「仕事休んでもらったようで申し訳ない」


 すみませんの応酬を見兼ねて割り入る。


「お父さん、昼から病院行くんでしょ。お昼ごはんどうしようか?」

「あの、良ければサンドウィッチを買って来たので皆さんで召し上がってください」


 三ノ宮さんが横に置いていた紙袋をテーブルの上に出す。


 紙袋には有名なパン屋の名前が書いてある。


「ここのパン屋さん!?」

「知ってる?」

「行ってみたいと思ってたんです」


 お礼を言いながら紙袋の中にある透明のケースを4つ出す。白いパンに彩り鮮やかな具材がたっぷり挟んである。


「美味しそう〜。ね、お父さん? どれがいい?」

「先、お前が選べ」

「えっとね、どれにしよ? 迷うな〜。このクロワッサンのサンドイッチも捨てがたいな〜」


 若干テンションの上がる私を愛しい眼差しで三ノ宮さんが見ていることなど私は気付かず。ましてや、そんな三ノ宮さんを父が複雑な心境で見ていることなど全く気付かなかった。


「ご馳走さまでした。美味しかったです。三ノ宮さん、ありがとうございました」

「喜んでもらえて良かったよ」

「それで、今から私たち病院に行くんですけど……」

「ここで待ってていい? 黒田と話したいし」

「ここで?」


 父をチラりと見る。視線に気付いた父がぶっきらぼうに言葉を出す。


「たとえ世話になった人だとしても今日会ったばかりの奴に留守は任せられん。まだ帰らねえってんならばあちゃんに挨拶くらいしていけ」

「ご挨拶しても良いんですか?」

「勘違いすんなよ、何も認めてねえかんな」

「はい! ありがとうございますお父さん」

「おまっ、お前にお父さんとか呼ばれる筋合いねえよ」


 お父さんが背中を向けて部屋から出て行く。


「三ノ宮さん」

「何かな?」 


 三ノ宮さんはにこりと笑う。


「……何でもないです」


 まさか外堀から埋めようなんて思ってないですよね、とは聞けなかった。埋められても困る。

 私は田舎から出れないのだから。


 三ノ宮さんとの未来はない。


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