第7話 黒田

 仕事を辞めて田舎に帰り1週間が経った。


 私は今、日野の運転する軽トラに乗っている。


 今からひとり暮らしをしていた家に戻り引越し作業をしなければならない。

 土日で荷造りをして、月曜には引越し。そしてそのまま家を引き払う。


「俺も手伝いに行けたら良かったんだけどな」

「いいよ、配達があるんでしょ? それに駅まで送ってくれるだけで充分助かってるし」

「完全にこっちに帰って来たらお前何すんの? ずっと家? 仕事は?」

「ん〜、お父さんの畑仕事を手伝えるかな? でもお父さん、家族の手さえ借りたくないって人だから。私が手伝っても嫌がるかも……」

「おじさん、そんなとこあるよな。じゃあさ日野商店うちの店番しないか?」

「店番? おばちゃんは?」

「母さんさ、週1で病院通ってんだけどさ、体力が落ちてきたのか、しんどいって休むことが増えたんだ。だけどこの辺、若い奴なんていないだろ? だから黒田が来てくれたら助かるし、母さんも喜ぶと思うんだよな」

「病院って駅前の?」

「いや、駅から電車で30分の総合病院」

「行き帰りだけでも4時間?」

「そ。で、病院で待ち時間もあるから結構長く掛かるわけ」

「それは、……疲れるね」


 交通機関で長時間移動する疲労は私も味わっているのでよく分かる。


「おばちゃんやおじちゃんが、私でもいいなら……」

「ほんとか! 絶対喜ぶって!」

「私のこと覚えてるの?」

「この前、卒アル見せた」

「えっ!? 見せたの?」

「うん、で、両親とも覚えてた。ってまあ人数少なかったしな」

「何人だったっけ?」

「うちの学年は確か、12人くらい?」

「みんな山を下りて、都会に行ったんだよね」

「俺はずっと山の中だけどな」

「日野ひとりぼっちだったんだね」

「ひとりじゃねえって、じいさんばあさんはいっぱいいたし。……でも黒田も戻ってきてくれるし、若い奴が増えて嬉しいよ」


 ハンドルを持つ日野が陽光を浴びながらにかっと笑う。


「私もこっちに帰ってくるのに同級生がいてくれて心強いよ。日野が日野商店の跡継ぎをちゃんとしてて良かった」

「うちはじいちゃんも父さんもまだまだ元気だから、俺が跡継ぐのなんて何十年先か分かんねえけどな! でも俺の代で日野商店も終わりかもな」

「えっ?」

「驚くことじゃないだろ?」

「日野に子どもがいないから?」

「ちげぇよ。いや、違わなくもないか……」


 日野は一度口を閉じてから、またゆっくりと開く。


「俺より若い奴いないからさ。俺が死んだらこの辺の地域は誰もいなくなるだろ」

「あ……」


 そんなこと気付かなかった。


「でもさ、日野が結婚して子ども生まれて、子どもが継ぎたいって言うかもよ?」

「誰がこんな辺鄙な所に嫁いできてくれるんだよ。そんなこという黒田こそ田舎になんて帰ってきて結婚はどうすんだよ?」

「私が……、結婚? いや、ないよ。こんな私と結婚したいなんていう奇特な人いないでしょ」


 その時、急に身体が前に倒れる。

 日野がブレーキを踏んだらしい。


「びっくりした! ……猿でも通った?」

「……いないのか?」

「ん?」

「結婚を考えてる相手、いないのか?」

「いないよ? 私、地味だし目立たないし……」

「結婚自体は? したいと思う? それともしたくない?」

「そりゃ相手がいたらね。でもそんな相手――」

「――俺がいる」


 正面を向いていた日野の顔が横を向く。

 私の視線とぶつかる、真剣な瞳。


「日野?」


 日野は何も言わない。

 ただ真剣な眼差しだけが私の瞳の奥をとらえようとしている。

 胸がドキドキ言っている。


 ――私と日野が結婚……?

 

 嫌だ、とは思わない。

 あり得ない、とも思わない。


 そんな選択肢も有りかもしれないと思う。

 だけど、今すぐここで「いいよ」と言うことは出来ない。


「……ごめん。困らせるつもりはなかった。でも俺は真面目に言ったから」


 日野はハンドルを持ち直してアクセルを踏む。


 舗装されているくせにガタガタな山道を軽トラが1台下っていく。ガタガタの揺れに合わせて心臓も揺れている。


 さっきまで楽しかった空間に突如おとずれた沈黙。


 私も日野も口を開かない。

 ただ鼓動だけがうるさく音を立てていた。




 軽トラで駅まで送ってくれた日野にお礼を言う。


「ありがとうね」

「いや、いいって。下心あってしてることだし」

「しっ!?」


 ――下心!?


「引越しの日もちゃんと連絡しろよ? また迎えに来るからさ。じゃあな」

「う、ん。……行ってきます」

「行ってらっしゃい!!」


 日野がにかっと笑う。

 お日様みたいな温かい笑顔。


 日野に手を振って、一度も振り返らずに駅の中に入る。

 どうにか平静を保っていた心臓が途端にドキドキと動き出す。


 ――日野と結婚……。


 日野のことは友達としては好き。

 異性としては、……よく分からない。


 新幹線に乗っている間中、日野と家族になるという未来を想像した。



  マンションの入口にある小さなデジタル時計は、


『22:22』


 ゾロ目だ。良いのか、悪いのか分からないままエレベーターで上に行く。

 エレベーターを下りると仄暗い廊下が伸びている。天井につく申し訳程度の灯りは各戸にひとつずつ。表札や鍵穴が見える程度にしか付いていない。


 暗い廊下を真っ直ぐ進み、3軒通り過ぎてから、ひとつ角を曲がれば私の部屋だ。

 しかし曲がってすぐに私は足を後ろに戻す。


 どうして後退したのか……。


 それは、私の部屋のドア前に人が立っていたから。

 

 大家さんではない。

 管理人さんでもない。

 不動産屋さんでもない、と思う。


 ――不審者?


 そう思い至って足元からゾワリと震えてしまう。


 この時間、管理人さんは自宅に帰っていて管理人室にはいない。

 

 ――警察に連絡?


 スマホを出して電話アプリを表示させようとするが指が震えて操作が上手く出来ない。

 あたふたしながらやっと電話の画面になる。


 しかし110番を掛ける前にもう一度確認しようと、こっそり角から顔を出そうとしたその時。

 コツ、……コツ、とゆっくりとした足音が近付いてきた。


 ――逃げないと……。


 不審者がこちらに近付いてくる。私が居ることがバレたのだろうか?


 急いでエレベーター口に戻るものの、エレベーターは1階に下りていた。


 【】ボタンを押す。連打しても早く来ることはないというのに、分かっていても何度も押してしまうのは何故だろう。


 背中で感じる不審者の足音が早く大きくなる。


 エレベーターに早く来てと祈る私の背中に不審者の声が届いた。

「待って」


 不審者に呼び止められる。


 待てと言われて誰が待つものか。

 タイミング良くきてくれたエレベーターに乗り込むとすぐさま【閉】ボタンを連打した。


 両開きのエレベーター扉が中心に向かってゆっくり閉まっていく。あと数センチで閉まることにほっとした私の目の前で、扉の隙間に黒い革靴が差し込まれた。


「ひっ!!」


 あまりの恐怖にエレベーターの壁に背中がぴたりと張り付く。


 閉まらなかったエレベーター扉は異物を感知して敢え無く開いてしまう。


 もう逃げ場はない。


 万事休す。


「はあ、間に合った」


 革靴の主がエレベーターの外で鼻息荒くそうこぼすと、エレベーターの中に入って来た。


「え、……さ――」

「逃げないで、……くれないかな?」


 哀願するような声を発するのは不審者などでなく、どこからどう見ても、


「三ノ宮、さん?」

「黒田っ、どうして言ってくれなかったんだよ! 北海道から帰ってきたらいなくて、……辞めたって何だよ? 俺聞いてない! 悩みがあるなら聞くって言っただろ! 俺頼りないか? 何で相談もせずに勝手に辞めちゃうんだよ!!」


 エレベーターの扉が今度こそ閉まっていく。


「怒って、るんですか?」

「怒る? ……ああ、そうだよ、怒ってるよ。黒田の隣にいたのに何も気付かなかった自分に腹が立ってる」


 三ノ宮さんの眉間が寄っている。怒っているのに、どこか痛みを堪えた表情に、私の胸が痛み出す。


「すみません勝手に辞めてしまって。でも誰でも仕事出来るようにマニュアルを作り直したので私がいなくても大丈夫だと思いますよ」


 元々あったマニュアルを、私なりに簡単な説明で、分かりやすく画像も貼り付けて編集したのだ。


「ああ!! 問題なくやってるよ新人の派遣社員が。黒田の席で、黒田と同じ仕事を。だからついつい黒田って呼んでしまうし、黒田がいるんじゃないかって探してしまうし……」

「そうですか。良かったです」

「良くない! 全然良くないっ!!」

「三ノ宮さん?」


 らしくなく声を荒げる三ノ宮さんは唇を噛む。

 その三ノ宮さんの後ろで扉が開いた。1階に着いたのだ。


 エレベーターの外にはエレベーターを待つ男性がいて、会釈しながらとりあえずエレベーターを降りる。


 すると三ノ宮さんは私の手首を掴んだ。

 また逃げるのではないかと思ったのかもしれない。


 だけど振り払うことも出来ず、私は三ノ宮さんに引っ張られるままマンションの外に連れ出された。



 三ノ宮さんの足は止まらない。長い足の一歩に追い付くためには私は2歩も進まなければいけなくて足がもつれる。


「待って、どこ行くんですか」

「2人きりになれるところ」 


 そう言われて、2人きりになれるところを考える。

 ――えっと、それってどこ?


「三ノ宮さん? この辺何もないですよ? 住宅街だし、飲食店も駅前に戻らないと……」


 私がそう言うと三ノ宮さんの足がやっと止まった。


「ごめん。……ええと、2人で話しがしたいんだけど」

「じゃあウチに来ませんか?」

「黒田の? いや女の子の部屋に上がるのは……」

「別に見られて困るものもないので大丈夫です。あっ、それにマンボウのお弁当箱もお返ししないといけないですし」

「弁当箱は別に……」

「でもウチ今何もないんですよ。だからお茶もお出し出来ないかもしれません。……近くにコンビニならあるのでちょっとお茶買ってきますね。待っててください」


 掴まれていた手首を離してもらえるものとばかり思っていたが、三ノ宮さんは離してくれない。


「三ノ宮さん、あの手首を」

「離さない。俺も一緒に行く。こんな時間に女の子を一人で歩かせられないよ」

「いえ、先ほどこの夜道を通って帰ってきましたので平気ですよ? 私地味なので不審者とかに襲われたりしません」

「はあ? 普通に襲われるだろ? こんなに可愛いのに!!」

「へ……?」


 三ノ宮さんが、しまった、とばかりに空いている手で口を押さえる。


 分かってますって。いつも彼女や可愛い女の子たちに言う感じで言ってしまったんですよね。でも今目の前にいるのは地味わたしだったから、間違えたんですよね。


「……コンビニどっち?」

「そこの角を曲がって、真っ直ぐです」

「ん、行こう」


 手首は掴まれたまま。

 でも歩調はゆっくり。


 改めて掴まれた手首に意識が集中する。


 じわじわと熱くなって、全身発火しそうだ。

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