第6話

 彼女は真面目で気が利いて、頼んだ仕事は頼んだ事以上にやってくれる。


 数値の入力を頼んだ時などは、その数値からさらにグラフ化して、過去数年分の資料まで添付されていた。 


 それ以来、仕事の手伝いを頼む時は彼女にお願いすることが増えた。

 彼女も「何か手伝えることありますか?」と聞いてくれるようになったから、こちらもとても頼みやすかった。


 隣の席になって何年になるだろう。


 彼女が入社した時は俺の隣ではなかったはずだ。


 それが今ではこっそりと弁当を作ってくれるようにもなって……。

 いや、その弁当を作ることも仕向けたのは俺だ。彼女は仕事と同じく、頼んだことは断われない性格。それを俺は利用しているんだ。


 最低な男だよ。


 だから恋人ができてもいつもすぐに振られるのだろう。


 だけど――。


「だけど?」


 だけど、何だろう?

 胸がザワザワとするこの気持ちは?




 お弁当を毎日作ってくれる彼女に何か返したくて、仕事が休みの日の寂しさを埋めたくて、卑怯にも水族館の前売りを彼女に渡した。


 困り顔で受け取る彼女を見て、独りよがりにもほどがあると後悔してしまう。彼女の都合もかえりみず、押し付けるように渡すなんて、俺は本当に最低な男だ。


「違います、違います、違います! あの、嬉しくて……ちょっとびっくりして」


 彼女が慌ててそう言ってくれて、心が救われる。


 嬉しいと思ってくれたことが、俺もとても嬉しい。だから絶対楽しんでもらいたいなと、そう強く思った。



 遅刻もしない真面目な彼女のことだ。

 10分前行動は当たり前だろう。


 きっと彼女は14時50分には水族館に着いているはずだ。

 

「ちょっと待てよ、水族館前着の電車は……」


 時刻表を検索すると、14時46分着の電車がある。


「これに乗って来るか? いや、もう1本早い可能性も捨てきれない。ということは、14時32分着か? ん? それなら俺は何時の電車に乗れば黒田を待たせないんだ?」


 同じ電車か?

 それともさらに1本前か?


「とりあえず余裕を持って家を出れば大丈夫か?」


 今まで付き合ってきた恋人にはこんなことしたことがなかったなと苦笑する。

 そもそも待ち合わせ時間ぴったりか少し遅れる子ばかりだった。


「黒田は大真面目だからな」


 そこがちょっと可愛い所でもある。

 無表情がちょっと崩れる瞬間はとても可愛いし、まだ見たことのない表情をもっとたくさん見たい。


「笑ってくれるかな? 楽しんでくれるかな?」

 

 水族館で二人並ぶイメージを浮かべる。水槽のガラスに映る俺の笑顔と、彼女の無表情。彼女はにこりとも笑わない。


「はっ!」


 楽しみなのは俺だけだったらどうしようと不安になる。


 だからといって今さら行き先を変更するわけにもいくまい。

 それに動物園に行っても、映画に行っても、ショッピングに行っても黒田の表情は変わらない気がした。



 水族館ではいい写真でも撮れたのか口角の上がる彼女の微笑に不覚にもときめいてしまった。会社では見られない彼女の色々な表情を見ることが出来て、胸の中がホクホクとしたまま水族館の出口に向かう。


 水族館を出て電話が鳴った。嫌な予感、そのままの電話。

 なんでこんな時に、とか思うがこれは仕事だ。仕方ない。

 ため息を抑えて電話を切ると彼女と目が合った。


「取引先ですか?」


 彼女が心配そうな声でそう聞いてくる。


「うん。北海道のね。向こうに2〜3日行かないといけなくなった。もしかしたらもう少し長く掛かるかも。そしたら1週間かな?」

「1週間……」


 1週間も彼女のお弁当がお預けになるのは痛いなと思った。いやきっとそんなに掛からないはずだから、さっさと解決して戻ってくればいいだけだ。

 

「お土産買って来るな! だからそんな寂しそうな顔するなって」


 いや、寂しいのは俺の方か。


「寂しくなんてないですよ」


 そりゃそうだよな。俺なんていなくても彼女の生活にも仕事にも支障はないのだ。


「えー、俺は寂しいけどな。ああ、そしたら弁当もお預けか〜」

「そうですね……。三ノ宮さん、お弁当箱は北海道から帰って来たら受け取ります」

「いやいいよ、持ってて。黒田が持っててくれ」


 彼女と俺を繋ぐものが欲しかった。それがマンボウの弁当箱なんて笑えるが。



 北海道から業務連絡のために毎夕、会社に電話をする。

 彼女が出てくれたらいいな〜なんて考えながら電話を掛けるものの、見事に別の人が受話してくれる。それからすぐに部長に代わってもらうのだが……。


「はい、明日には終わります。すみませんでした部長。え? お土産? はあ、白っぽい恋人ですか? はい、はい、分かりました。失礼します」


 今日は木曜日。

 明日夕方の飛行機で帰る予定だ。


 部長には白っぽい恋人をお土産にと頼まれたから、飛行機に乗る前に買わないといけない。

 それから部署のみんなにも分けて配れるお菓子を買って帰ろう。


 あと、彼女にも……。


「何だったら喜んでくれるかな?」


 クッキー、チョコ?

 いくら、鮭、蟹?

 クマの置物?


「マリモ? いや、ないか。……いや、でも笑えないか? ぷぷっ、黒田にマリモ」


 無表情で『これ何ですか?』とか言いそうな彼女を想像する。


 それだけで楽しくて、胸がほかほか温かくなって、幸せだな〜と感じる。


 根暗で地味に見える彼女だが、話を聞くときは相手の目をきちんと見て話を聞いているし、書類を受け取る時は必ず両手で受け取るし、渡すときも両手指を揃えて渡す姿には好感が持てる。


 そんな真面目な彼女が仕事では見せない、ふとした柔らかい表情をまた見たい。


 月曜日になれば1週間ぶりに会える。

 それだけを楽しみにラスト1日頑張ろうと思った。



 月曜日。

 いきようようと出勤する。


 だって1週間ぶりに彼女に会えるのだ。嬉しいに決まっている。憂鬱な月曜だが、今日だけはスキップしたい気分。


「よ、三ノ宮。北海道行ってたんだって?」


 別部署のひとつ上の先輩に声を掛けられる。


「はい、そうなんですよ」

「俺も北海道行きてぇ〜」

「いや、俺仕事でしたからね? プライベートじゃないですよ? どこも観光行ってませんからね?」

「でも旨いもん食えんじゃん?」

「まあ、それは……」

「ほらぁ〜。何食ったんだよ?」


 先輩が肩を組んでくる。

 横を向くと先輩の目が「言え」と光っていた。

 言うまで離してもらえないらしい。


「ラーメンと、寿司と、海鮮丼と――」


 ――早く部署に行って黒田に会いたいんだけどな……。


 ひと通り食べたものを羅列していくと先輩は満足したのか肩から腕をおろしてくれる。


 そして先輩は「羨ましいな、お前」と残して自分の部署に入って行った。


 俺は他の誰にも捕まらないよう早足で部署に向かう。


「おはようございます」


 いつものように挨拶するが、1週間北海道に行っていたことでみんなが寄ってきた。


 その後は先ほどの先輩と同じ質問をほうぼうから浴びる。


 それを躱すために俺はみんな用の土産を開いた。


「お土産です!」

「ありがとうございます〜」

「サンキュ、三ノ宮!」

「これ好きなんですよ〜」


 あっという間にバターサンドが消えていく。みんなに差し出しながら横目で彼女を探すが見つからない。


 いつもは俺よりも早く出勤している彼女。

 今日に限って遅刻だろうか?

 

 あらかた配り終えて自席に座り、隣の席に視線をやるが、何か違和感があることに気付いた。


 いつもきちんと整理され、デスクの上も綺麗に片付けられている彼女の席。


 しかしいつもと何かが違う。


 ――何が違う?


 違和感はあっても、それが何か分からない。

 もやもやとしたまま始業時間となり、朝礼が始まる。


 部長の横には知らない女性。

 新しい派遣社員でも雇ったのだろうか?


「おはよう。今日から入ってもらう酒井さんだ。おい、三ノ宮!」

「はい?」


 まさか自分が呼ばれとは思わず、疑問符をつけて返事をしてしまう。


「酒井さんの席は三ノ宮の隣な。よろしく。今日も1日頑張ってくれ、以上」


 部長が朝礼を締めるが、部長の言葉が理解出来ない俺は立ち尽くしていた。


「――やさん。三ノ宮さん!」

「え?」


 部長の隣にいたはずの酒井さんがいつの間にか目の前にいる。


「ねえ席どこ〜? 早く教えて?」


 ――何でタメ口?


「違う……」


 隣の席は黒田の席だ。君の席は違う。

 違うのに、他に空いてる席はどこにもない。


「もしかして、あの席でしょ?」


 全員席に戻ったために、空いている席が自ずと分かる。


美璃みりの席こっち?」

「違う!」

「え、違うの? じゃあこっち?」

「そこは俺の席」

「じゃあやっぱりこっちじゃん」


 目の前が霞んでくる。

 ふらりと頭が傾ぐ。

 目眩だと思った時には床に尻をついていた。


「三ノ宮さん?」

「えっ三ノ宮どうした!?」


 後ろの席の同僚の声が聞こえる。

 心配する声の中に山本の声もある。


「三ノ宮?」

「……山本」

「お前疲れてんだろ? とりあえず医務室行くぞ」


 山本に支えられ何とか立ち上がる。


「山本……」

「何だ?」

「黒田は?」

「あ? お前知らなかったの?」


 山本はその後、衝撃的な言葉を吐いた。



「辞めた?」


 簡易ベッドだけがある名前だけの狭い医務室。

 ベッドに腰掛け手のひらで頭を押さえた。


「退職理由は?」

「お前どうしたんだよ。女子が辞めて行くのに理由なんて聞いたことあったか? っていうか三ノ宮こそ何も聞いてないのかよ? 結構仲良かっただろ?」

「仲が良い……のかは分からないけど……」


 二人で水族館にも行ったのに。

 その時にはもう退職も決まっていたのだろう……。

 何故彼女は教えてくれなかったのだろうか。


「黒田と仲良かった人って誰だ?」

「あ? 誰かいたか、そんな奴?」


 彼女が他の誰かと一緒にいた姿を思い出そうとするが、彼女の隣にいる人物が全く浮かばない。


「連絡先、知ってる奴いないかな?」

「お前知らねえの?」

「俺……、知らない……」


 どうして俺は彼女の連絡先を聞いてないのだろう。二人で飲みにも行ったし、カフェにも行ったし、水族館にも行ったと言うのに。

 連絡先を交換する機会はいくらでもあった。


 なのに聞かなかったのは、会社に行けばいつでも会えると思っていたからだ。


「んじゃ、総務にでも聞いてみたら?」

「そうだな! お前賢いな!」

「いや、守秘義務とかで教えてくれない可能性もあるけどな?」

「あ……、その可能性はあるな……」

「っていうかさ、今日入ってきた子、可愛いな! 三ノ宮のタイプだろ?」

「はぁ!?」


 あんないきなりタメ口で話しかけてくる女性が俺のタイプだなんて信じられない。山本の発言には怒りさえ沸く。


「俺が好きなのは小さくて笑うと可愛い女性だよ」

「それ酒井さんだな」

「……、た、確かに……。いや、違うんだ。もっとこう真面目で、きちんとしていて、仕事も丁寧な……」

「三ノ宮。それ、誰を思い浮かべて言ってんの?」

「誰?」

「特定の人が頭に浮かんでんだろ?」


 頭に浮かんでいた黒いシルエットから、影が抜けていく。

 三ノ宮さん――と呼ばれた気がした。その声は彼女のもの。



「俺、黒田のこと思い浮かべてた」

「好きってことだな!」

「好き?」

「おいおい、お前気付いてねえの? マジかよ、彼女なんて途切れたことないプレイボーイ三ノ宮が、一体どうしちまったんだよ?」


 山本が何か言ってるが、聞こえない。

 胸の中心がぎゅーっと苦しくて涙が出そうだった。


「これが、……恋?」

「何言ってんだ、初恋でもあるまいし」

「いや、俺から好きになったことってないんだ。付き合って欲しいって言われたから付き合って、それで好きになったつもりになってた……」

「バルスっ!!」


 山本から滅びの呪文が飛んでくる。

 目が見開いていて、ちょっと怖い。


「三ノ宮なんて爆ぜちまえ! っていうか爆発決定か?」

「爆発決定?」

「だってそうだろ。好きな相手は何も言わずに退職。更に連絡先も知らない。……終わったな三ノ宮」


 山本の言葉に胸の奥が爆ぜる。


 好きだと気付いた途端、失恋決定なんて……。


「そっか……。これが失恋……。痛いんだな……」


 胸の奥が爆発したせいで全身が痛いと悲鳴を上げている。


「俺が慰めてやるから、夜飲もうぜ!」

「お前が飲みたいだけだろ……」


 同じようなセリフを彼女にも言われたな、と過去を振り返る。


 いつから俺は彼女に恋をしていたのだろう。


 俺はいつ、恋に落ちていたのか……。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る