第4話

 その週は張り切って火水木金曜と4日お弁当を作った。


 金曜の仕事終わり、三ノ宮さんからお弁当箱を返してもらう私のその手に水族館のチケットが乗る。


「え?」

「お弁当のお礼」

「でも……」


 困った。嬉しいけど、もらっても良いのだろうか。それにそもそも行く時間があるだろうか。


「明日の15時に入口で待ち合わせ。オッケー?」

「え……?」


 土日は実家に帰るつもりで、今晩の夜行バスも取ってある。

 でもこのお誘いは三ノ宮さんと二人で水族館に行くということ? 

 それなら断りたくない。


 最後の思い出に、一緒に行きたいという欲が強くなる。


 今週末は仕事で帰れなくなったと父に嘘の連絡をすればいいじゃないかと心の悪魔が囁く。


「もしかして都合悪かった? ごめんね」


 三ノ宮さんに謝らせてしまったという罪悪感に私は両手をぶんぶんと振った。


「違います、違います、違います! あの、嬉しくて……ちょっとびっくりして」

「ほんと? 大丈夫? 都合悪くない?」


 おばあちゃんお父さんごめんなさい、と心の中で謝りながら、「大丈夫です」と三ノ宮さんに伝える。


「じゃあ明日15時にね」

「はい。15時に入口ですね」


 これはきっと田舎に帰る前の最後のご褒美なのだとそう受け取ることにして、チケットは記念に写真を撮った。


 可愛い服なんてひとつも持ってないな、と思いながらクローゼットを眺める。

 だけど、いかにも気合い入れて来ました、という格好で行くわけにはいかないから、いつもの普段着でいいのだろう。


 シンプルな白いブラウスに真っ黒のロングスカート。

 口紅だけはいつもよりはっきりと濃くつけてみる。


「デートじゃないって。浮かれてバカみたい」


 鏡に映る赤い唇があまりに滑稽に見えてティッシュで拭き取る。


「よし。いつも通り」


 地味で控えめ。いつもの自分。らしくないことはしない。


 時間に余裕を持って家を出る。人を待たせるのは苦手。待たせるより待つ方が好き。

 待ち合わせ10分前に着く電車の、一本前に乗る。これなら20分前には着くだろう。


 なのに水族館の入口前にはすでに三ノ宮さんがいて驚く。スーツ姿ではない、ラフな恰好。ジーンズもよく似合っていらっしゃる。会社では見ることが出来ない貴重な姿に鼻血が出そうだ。

 指で鼻を押えるが赤くはない。よし、大丈夫。


「三ノ宮さん、お待たせしました。すみません」


 スマホを見ていた三ノ宮さんの前に駆け寄り頭を下げる。


「早くない? 待ち合わせ25分前だよ?」

「三ノ宮さんこそ早くないですか?」

「黒田は10分前行動する子だから、ちょっと早めにと思って来たんだけど、早めの調整がちょっと難しかったな」


 ははは、と笑う三ノ宮さん。

 ああ、その顔。永久保存させてください。


「じゃあ行こうか」

「はい」


 三ノ宮さんの後ろを着いて入館する。順路に沿って、小さな水槽から大きな水槽へと歩を進めていく。


「あ、マンボウがいるよ」


 子どもっぽく指を差す三ノ宮さんが可愛い。撮影可の水槽へスマホのカメラを向ける三ノ宮さん。


 それを見て、もしかして、と考えた私は自分のスマホのカメラを起動する。


 マンボウを撮る振りをして、こっそり三ノ宮さんの楽しそうに笑う横顔を……。


 カシャ。


 ――うわっ! あーーーー、三ノ宮さんのご尊顔を撮影してしまったーーーー!!

 保存! 永久保存! 田舎に帰ってもこれさえあれば生きていける!!


「黒田も撮れた? じゃあ次に行こうか」

「はいっ!」

「ふっ」


 何かおかしかっただろうか?


「いや、ごめん。黒田も楽しんでくれてるみたいで良かったなって」

「三ノ宮さんは水族館好きなんです?」

「うん、好き」


 とても無邪気な笑顔いただきました。

 完全に網膜に焼け付けました。

 ありがとうございます。


 その後も、水族館を満喫する三ノ宮さんと、そんな三ノ宮さんをこっそり隠し撮りする私はこの時間を存分に楽しむことができた。


  お土産物屋さんに入るがとくに欲しいと思うものもなく店内をうろうろとさまよう。

 

 三ノ宮さんは何か欲しいものあったのかな、と近寄れば三ノ宮さんはお弁当箱を凝視していた。


「お弁当箱ですか?」

「うん。マンボウの弁当箱。可愛くない?」

「確かに可愛いけど……」


 大人用ではなく、子ども用じゃないですか、というツッコミは控える。だって三ノ宮さんの目が真剣なんだもの。


「これにさ、黒田の卵焼き入れたら完璧じゃないかな?」

「ん?」


 それは私にまたお弁当を作って欲しいということでしょうか?


「黒田は買いたいものなかったの?」

「はい」

「え……、このマンボウのスプーンとか可愛いよ? マンボウのフォークもあるし、どう?」

「マンボウが好きなんですか?」


 私がそう聞くと三ノ宮さんは照れたように笑う。今さら照れなくてももうバレバレですけどね。


 結局お弁当箱を買うことにした三ノ宮さんはレジに向かい、私はお土産物屋さんの外に出た。


 お土産物屋さんの向かいには休憩処があり、コーヒーの匂いが微かにする。

 他にもジュースやアイス、軽食が販売されているようでテーブル席も半分ほど埋まっていた。


「お待たせ」


 三ノ宮さんの手には水族館の紙袋。三ノ宮さんが先程までの私の視線を追って休憩処に目をやった。


「疲れた? ……休憩しようか」


 三ノ宮さんの提案は正直嬉しい。それにこのまま帰るのは惜しい。少しでも長く三ノ宮さんと居られるならここでずっと休憩していたいなと馬鹿なことを考えながら、はい、と返事をした。


「何にする?」


 何にしよう。

 三ノ宮さんがコーヒーを頼むなら同じでもいい。ああでも、バニラアイスの乗ったコーヒーフロートもいいなとメニューの上で視線がさまよう。


「ソフトクリームにする?」

「え?」

「いや、疲れたから甘いものがいいかなと思ってさ」

「三ノ宮さんは決まりました?」

「まだ悩んでる。アイスコーヒーにするか、もしくは黒田と同じものにしようかなって」

「私と同じもの?」


 なぜ?

 

「黒田が頼むもの、はずれないから」

「でもキャラメルマキアートのときは甘過ぎませんでした?」

「ああ甘かったね。でも良い経験できたしさ。今日もまた新たな経験が出来るかな?」


 いたずらっ子のような表情に心臓が跳ねる。


「じゃあ……」

「うん」

「コーヒーフロートというのはどうでしょう?」

「いいね! そうしよう」


 破顔した三ノ宮さんはその笑顔を店員さんにも振りまきながらコーヒーフロートを2つ注文してくれた。


 私はその隣で彼の横顔を見つめる。

 今ここで私にだけ向けてくれる優しさが甘くて胸が苦しくなる。そんな三ノ宮さんが可愛くて格好よくて、何だか私は泣きそうになってしまい、必死に瞬きをするしかなかった。


 帰り際、水族館の紙袋を差し出される。


「弁当箱渡してもいい?」

「はい。……お弁当作ります」


 そう言って受け取ると、三ノ宮さんの電話が鳴り始めた。


 ごめん、と謝りながら電話に出た三ノ宮さんは仕事モードになる。

 トラブルでもあったのか、驚いたり謝ったりしながら最後に「では月曜にお伺いします」と言って電話は終わった。


「取引先ですか?」

「うん。北海道のね。向こうに2〜3日行かないといけなくなった。もしかしたらもう少し長く掛かるかも。そしたら1週間かな?」

「1週間……」


 それは私が出勤する日数と同じ。

 

「お土産買って来るな! だからそんな寂しそうな顔するなって」


 いけない、顔に出ていた。


「寂しくなんてないですよ」


 また可愛くない返しをしてしまう。


「えー、俺は寂しいけどな。ああ、そしたら弁当もお預けか〜」

「そうですね……」


 何だかもう三ノ宮さんの顔が見れない。

 見てしまえば目から涙が溢れそうで……。


 でももしかしたら会えるのはこれが本当に最後かもしれない。

 きちんと見上げて網膜に焼き付けなければ……。


「三ノ宮さん、お弁当箱は北海道から帰って来たら受け取ります」

「いやいいよ、持ってて。黒田が持っててくれ」


 強く言い切られれば、否とは言えなくなる。

 三ノ宮さんが北海道から2〜3日で戻れば1回くらいお弁当を作れるかもしれない。だからその時のために持って帰ればいい。仕事の早い三ノ宮さんならきっと1週間も掛からず帰って来るだろう。

 


 月、火、水曜と経過しても三ノ宮さんはやはり帰って来なかった。

 

「三ノ宮まだトラブってるらしい。あいつも大変だな」


 休憩室でコーヒーを飲んでいる山本さんの声がはっきりと耳に届いた。


 それなら今日はもう帰って来ない。

 もしかしたら明日もまだ帰れないのかも……。


 最後にもう一度会いたかった。

 明日帰って来て欲しい。お願い帰ってきて!




 だが、そんな思いが届くはずもなく……。

 三ノ宮さんは1週間で帰って来なかった。 




 土曜に会ったのが本当に最後だったのだと実感して切なくなる。


 出勤最後の金曜日。

 部長の横に私は立っていた。


「黒田さんは今日で終わりです。来週から派遣さん来るからよろしく」


 そんな簡単な短い言葉で私は退職した。

 辞めることに悲しむ同僚なんていない。

 

 こっそりと三ノ宮さんのデスクを人差し指で撫でて、ぎゅっと握り胸に当てる。


「お世話になりました。ありがとうございました」


 小さな声でお礼を言って、足早に立ち去った。


 その晩の夜行バスに乗り、地元へ。

 翌朝バスを降りたらそこに日野がいた。


「おかえり」

「え?」


 なんで日野がここにいるのだろう。


「ただいま、だろ? まだ寝ぼけてんのか?」

「あ、うん。ただいま……」

「目赤いぞ? 寝れなかったのか?」


 日野の指摘にはっとして両手で目蓋を押さえる。

 目蓋は熱かった。でもそれは仕方ない。涙が止まらなかったのだから……。


 三ノ宮さんに会えなくて、悲しくて。

 お礼も言えず、悲しくて。

 お別れも言えず、悲しくて。


 ひと晩中、涙が止まらなかった。


「軽トラあっちに駐めてあるから、帰ろうぜ」


 日野が私の手を引っ張る。

 頬に伝う涙が見えたはずなのに、日野は何も聞いてこなかった。


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