第3話
次の日、定時で会社を出た私の背中に声が掛かる。振り返らなくても分かる、三ノ宮さんだ。
「何か不備がありましたか?」
「違う違う。ちょっと仕事がまだ残ってるんだけどさ……、そこのカフェに行かない?」
行くとも返事しない内に三ノ宮さんは私を先導してカフェに入る。
「何飲む?」
「自分で買います」
「奢るから。お弁当のお礼」
お弁当のお礼はカフェオレもらったんだけどな〜なんて考えながらメニューの『キャラメルマキアート』を指す。
三ノ宮さんはキャラメルマキアートを2つ注文した。
「あの、三ノ宮さん」
「ん?」
「めっちゃ甘いですよ?」
「まじで? いや、飲んだことなくてさ、黒田が注文するなら同じの飲んでみようかな〜って。そっか、甘いのか……俺飲めるかな?」
「ふふ」
可愛いなって思うのと、嬉しいなって思うのが重なってつい笑ってしまう。いけない、いつものポーカーフェイスが崩れてしまった。
「笑った?」
「笑ってないです」
「笑った方が可愛いよ」
特別な意味なんてないのだろう。誰にでも優しい三ノ宮さんはそうやって気遣った言葉を発してくれるのだ。
出来上がったキャラメルマキアートを持って席に座ると、三ノ宮さんは見覚えのある白い包みを出した。
「お弁当美味しかった。ありがとう。弁当箱返すのに部署内じゃみんなの視線あるし、黒田注目されるの嫌いみたいだし……。いつ返そうかって窺ってたんだけどね、今になってしまいました……」
「気遣わせてしまったみたいで……すみません」
「黒田が謝る必要なんてないよ! そもそも俺が弁当食べたいとか注文したんだし。あっ、ねえお礼何がいいか考えてくれた?」
それに対して私はテーブルの上に置いたカップを持ち上げる。
「これでは?」
「いや、それは弁当箱返すための口実みたいなもんだから……」
三ノ宮さんがキャラメルマキアートに口を付ける。
「あっま!」
「ふふ」
「めっちゃ甘いね……」
「だってキャラメルですよ」
「そっか。そうだよね、勉強になった。黒田と一緒にカフェに来なかったら一生飲まなかったかも」
「大袈裟じゃないですか?」
「いやいや」
「いつもは何を注文するんです?」
「だいたいドリップコーヒーかな。って言っても一人じゃ来ないけどさ」
誰と来るんですか――なんて質問は野暮か。彼女と来てたんだろうな。
「どっか行きたいとことかないの?」
「行きたいとこ……?」
「見たい映画は?」
「映画……?」
「欲しいものとか?」
「ないですね」
と言いつつ、欲しいものくらいある。だけど言えるわけない。三ノ宮さんが欲しいなんて。
望めるわけない。
だからこの時間がお礼でいい。
二人でカフェなんて、とっても素敵な思い出だ。
金曜、仕事を終えて家に帰り、荷物をまとめてバスターミナルへ向かう。
23時発の夜行バスに乗り、朝の6時着で地元の大きな街で降りる。
田舎行きのバスは8時までない。それまでは喫茶店で時間を潰しながら朝食を摂ることにした。
モーニングセットはバタートーストとサラダにスープ。ヨーグルトとブレンドコーヒーが付いていた。
砂糖もミルクも入れない三ノ宮さんを真似してコーヒーはそのまま口を付けてみる。
「あち……。あ、でも美味しいかも」
苦くて飲めないとばかり思っていたが案外飲めそうだった。
「カフェオレ見たら絶対三ノ宮さんのこと思い出すし。キャラメルマキアート見たら三ノ宮さんのこと絶対思い出すし……。ってブレンドコーヒー見ても三ノ宮さんのこと考えちゃってるし。もう病気だなこれ……」
苦笑しながらゆっくりとモーニングセットをいただき、8時に田舎行きのバスに乗った。
1時間半バスに揺られ、バス停から20分歩いて実家に帰る。
「ただいま」
父は畑に出ているようで家にいない。祖母の部屋に行くと布団で眠る祖母が薄く目を開いた。
「あら……」
「ただいま、おばあちゃん。調子はどう?」
「うん、そうねえ……」
大丈夫ではないのに、大丈夫よ、と言おうとしているのを感じた私は「朝食は?」と尋ねる。
「10時過ぎにお父さん戻ってくるから、それから朝兼お昼ごはんよ」
壁掛け時計を見上げれば10時前。
そろそろ戻って来るだろう。
「そっか。じゃあちょっと片付け始めるね」
祖母の部屋からゴミ箱を持ち出して台所へ。
あらかたゴミをまとめ、流し台を見るとお皿が溜まっていた。1週間分とは言わないが、3日分は洗ってないかもしれない。
洗い物はあまり好きじゃない。
家事は全般的に苦手。料理だって……。
お弁当を作っているのだって節約のためなのだ。作っていると言っても冷凍食品を詰めたりするだけ。
「なんだ、お前帰ってたのか」
「お父さん。……ただいま」
「ああ」
汗を滴らせ、それをタオルで拭きながら父は冷蔵庫を開けた。しかし取り出した麦茶は空っぽだったのか、不機嫌に舌打ちして私の横にそれを置く。
「お茶」
「一緒に洗うから置いといて」
「作っとけ」
「はいはい。ご飯は? おばあちゃんは今からって言ってたけど」
「ああ」
父は食器棚から何かを出した。
「……なんで食器棚から食パン?」
父の手にあるのは6枚切の食パン。
「どこでもいいだろ。置くとこねえんだ」
ふ〜ん、と返す私の後ろで父は食パンを2枚トースターに入れる。
「玉子とかあるなら焼こうか?」
「いらん」
「バターだけ?」
「ああ」
あっそ、と思いながら冷蔵庫を開ける。
バターではなくマーガリンを出しながら冷蔵庫の中を見ればほとんど何も入ってなかった。
もちろん玉子もない。
「いるものあるなら買って来たのに……」
「あとであいつが来る」
「あいつって?」
「…………」
沈黙。
言いたくない訳ではないだろう。
それなら誰が来るか、その人の名前が浮かばないだけかもしれない。
昼過ぎに「ちわ〜」とやって来たはこの村に唯一あるお店、日野商店の息子だった。
軽トラに商品を積んで各家を回っているのだとか。
「あれ? 黒田?」
「うん」
日野商店の息子は小中学校の同級生。卒業して十年になるが日野の顔は変わらない。かく言う私もそれほど昔と変わりはない。だから日野もすぐに分かったのだろう。
「帰って来てたのか?」
「うん」
「あー、ばあちゃん腰痛めたからか!」
「そうそう」
日野は軽トラの荷台から商品の入ったビニール袋を取ると、私に中身を見せた。
「おっちゃんから頼まれたのは、食パン2袋と鯖缶と鰯缶、あと豆腐な」
「ありがとう」
「他にいるものあるか?」
「……玉子ってある?」
「おう、あるある!」
日野は軽トラに向き合うと手を伸ばし、紙製の玉子パックから玉子を2つ取る。
「うちのじいちゃんが飼ってる鶏卵。今朝の産みたてなんだ。何個いる?」
太陽と同じく眩しく笑う日野の向こうで、田んぼの緑が揺れている。
「じゃあ3つ」
「おう」
「いくら?」
「玉子はサービス」
「でも」
「美味しかったらまた買って」
商売上手だなと思いながら日野の好意にお礼を言う。
「黒田またな……って、こっちにはいつまでいるんだ?」
「明日。でもまたこっち来るよ、おばあちゃん動けないから」
「でもおっちゃんいるじゃん?」
「お父さん何もしないから」
私が苦笑すると日野は眉を寄せた。
「何も出来ないと何もしないは大きく違うぞ?」
「ん?」
「おっちゃんはやれば出来る人じゃん」
日野の言いたいことを何となく理解して、ちょっと嬉しくなった。
「ありがとう。でも私が帰ってくればいい話しだしね」
「黒田はそれでいいの? 向こうでやりたいこと残してない? 休日のたびにこっち来るのか?」
「いや……」
もうこっちに引っ越すし。
「我慢すんなよ?」
「うん」
「ま、こっちで何かあったら俺に言え! なっ!」
「ありがとう」
こっちに帰って来ても頼れる相手がいると思えば心強い。
だがその一方で『向こうでやり残したこと』という言葉が、爪で引っ掻いたように胸に傷が残った。
翌朝10時過ぎ。
父が畑から帰って来た。
食パンを焼く横で日野のじいちゃんの玉子をフライパンで焼く。オレンジの黄身にゆっくり火が通っていく。
父の畑で取れたレタスを洗ってちぎり、お皿に盛る。
こんがり焼けた食パンにマーガリンをぬって、その横に目玉焼きを添えれば、母が作っていた手抜き朝食の出来上がりだ。
表情を変えない父が食卓につく。
私はそれを横目にお盆にのせた朝食を祖母の部屋に運んだ。
「おばあちゃんご飯だよ」
ゆっくりと身を起こす祖母を手伝い小さなテーブルをセッティングする。
「あら? 目玉焼き? 久しぶりだわね〜」
「日野商店のじいちゃんの玉子だって」
「いただきます」
祖母は目玉焼きに箸を入れる。
「日野さんのお孫さんは、同級生だったかねえ?」
「うん」
「あの子もまだ結婚してないんよ」
それは私もまだ結婚してないと言っているように聞こえる。
「何歳になったん?」
「27」
「あら、まあ。ばあちゃんがその歳の頃はお父さんを産んで、お父さんが5歳になっとったね」
「そうだね……」
この手の話しは耳にタコが出来るほど聞いてきた。そしてこの次はひ孫を見なければ死ねないになるのだ。
「ばあちゃんもね、ひ孫が見たいわよ。あら、そうだわ! 日野さんのお孫さんと結婚したらいいじゃないの」
「おばあちゃん……」
日野にだって結婚相手を選ぶ権利はある。なのに、残り物同士で結婚しなさいと言われているように聞こえてしまい気分が悪くなる。
その一方で私は頭の片隅に三ノ宮さんを浮かべた。
だがこの田舎に、洗練された三ノ宮さんはちっとも似合わない。
田舎に似合うのは手を泥だらけにして無邪気に笑う日野みたいなやつだ。
「あら? 好きな人でもいるの?」
「え?」
顔に出てしまったのだろうか?
いや、顔に出るはずがない。社内であっても誰も私の気持ちに気づいていないのだから。
「付き合ってるの?」
「…………」
「結婚は考えてないの?」
「…………」
「そうなの、残念ね」
何も言えない私の瞳から祖母は見事に読み取った。
そして胸を押さえると、細く息を吐き出す。
「おばあちゃん? 胸が痛いの?」
「……痛いわよ。ああ痛い」
祖母はしかめっ面を解いて茶目っ気のある表情をする。
そして小さく「ひ孫早めにお願いね」とこぼした。
16時発の最終バスに乗り、帰りは新幹線で自宅へ戻る。
帰り際、日野がくれたゆで卵は黄身が濃厚で美味しかった。まだ3つ残っている。1つは明日の弁当に入れよう。
「三ノ宮さんもお弁当いるかな?」
そう思うが作れるおかずはない。買い物をしてないので、自分の弁当に詰めるのも冷凍食品ばかりになる予定だ。
「明日は自分のだけにしよう」
そう考えてベッドに横になる。週末実家に帰ったはずなのにひとつも休まらなかった身体はすぐにベッドに深く沈んだ。
いつも通りに出勤し、いつも通りに仕事をする。
昼休みになる前、部長に呼ばれた。何か失敗でもしてしまったかと考えたが失敗はしてなかった。
「有給が残ってるんだよ」
「はあ」
話しの意図が分からず曖昧な返事をしてしまう。
「だからな、月末で退職になるから、あと2週間出社したら、残り2週間は有給扱いでもう来なくていいってこと」
分かる? という部長の視線に、なるほどと頷く。
「分かりました。あと2週間ですね」
「そう。後任も来週面接するし、だから何も気にするな。大丈夫だからな」
「ありがとうございます」
有給を取ってなかったせいで残された出勤日が短縮された。
三ノ宮さんと会えるのもあとひと月かと思っていたのにあと2週間しかないと思えば猛烈に寂しさが襲ってくる。
――あと2週間って、短いな……。
何回顔が見れるだろう。
何回話し掛けてもらえるだろう。
何回……
鼻の奥がつんと痛くなる。
すごくすごく彼が好きなのだと心が叫んでいる。
もう会うこともなくなるのだと思えば心が千切れそうになる。
休憩室でお弁当を広げても食欲がわかない。
「はあ」
何度目かのため息がお弁当に降りかかる。
その時、大好きな匂いが鼻を掠めた。
顔を上げれば三ノ宮さんが向かいに立っている。
「黒田? 食べないの?」
「いえ、食べます」
三ノ宮さんが声を掛けてくれたことが単純に嬉しくてテンションが上がる。
「あ、今日は卵焼きじゃないの? ゆで卵?」
「そうなんです。でもこのゆで卵とっても美味しいんですよ!」
「へぇ〜食べてみたいな」
「良かったらどうぞ!」
冷凍食品の真ん中にある半分に切ったゆで卵を三ノ宮さんがつまむ。ひとくちで全てが三ノ宮さんの口に入った。もぐもぐと咀嚼する三ノ宮さんの目が大きくなる。
「たしかに美味しいよ! でもさ、俺は黒田の卵焼きの方が好きだな」
にこりと笑う三ノ宮さんの言葉に心臓が大きく跳ねる。
好きだと言われて嬉しくないはずがない。三ノ宮さんのためなら毎日でも毎食でも卵焼き作ります! と思えるほどだ。
「じゃあまた卵焼き作りますね。あの、またお弁当作ってもいいですか?」
「作ってくれるの? ほんと! 楽しみだよ」
嬉しそうに微笑む姿を凝視する。
もう見れないかもしれないこんな笑顔。だからこそ、それを網膜に焼き付けた。
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