第33話 ####?
雲の中、ゆっくりゆっくり下降していく。
息を吸うと咽せてしまいそうだ。
あちこちで雷が立っているのが見える。
びしょ濡れで雲を抜けるとぐんぐん大地が近づいてくる。
帰ったらリーに叱られるだろうか。
なんて言い訳をしようか。
いや、ちゃんと話せるだろうか。
するすると降りていく度に記憶が飛んでいく。
そうか、私が半端だから記憶の持ち運びがままならなかったのだ。
他の神々のように出来ていない。
母神と兄弟神のことは覚えておかなければ、ちゃんとリーに説明できない。
そう思って、必死に記憶の糸を掴んだ。
帰ったら、リーに会ったら、ちゃんと謝らなければ。
そういえば
リーとは誰だったか。
✳︎ ✳︎ ✳︎
私はロクトを探して探して、探し疲れたらロクトが作った屋敷に戻って泥のように眠る--そんな毎日を過ごしている。
それで今日は、本音を言えば行きたくなかったけれど昔の屋敷があった方に行ってみようと思って小一時間ほど歩いた。
(改めて見ると、すっかりまるこげ屋敷になっちゃったわね)
彼の能力ならば消せるはずである。
だがロクトはこの屋敷を残した。
(何故だろう?)
でも、敢えて残したのなら、もしかしたらここに来ているかもしれない。
淡い期待に胸が躍る。
私は崩れそうなところを避けて探して回った。
自然と呼吸が荒くなる。
(もしここに居なかったら、私はもうどうすれば良いの?)
そんな事考えては駄目だと頭を振って余計な思考を打ち消す。
今にも貴方が微笑んで佇んでいそうな気配だけが漂っている。
けれど
淡い期待はあっさり裏切られた。
一時間ほど歩いたところに新しい小さな屋敷は建てられた。
(結局、探したけれど屋敷にはいなかった)
なぜ居なくなったのか、私に黙って行くなんて非道い。
初めはそう思ったけれど、とにかく本人を前に文句を言ってやりたくて、それだけを活力になんとか身体を動かしている。
日暮ごろまでには帰宅しようと思い、まるこげ屋敷から少しだけ足を伸ばしたけれど、諦めて帰路に着く。
夕食の為に果実を摘みながら歩みを進めると、漸く新しい屋敷が見えてくる。
(あ--)
誰か立っている。屋敷を見つめて、ただ立ち尽くしている。
破れた服、乱れた髪、片方だけが裸足だ。
けれどそれは確かに
「ロクト…?」
私は何度かしか呼んだことのない、新しい名前を呼んだ。
汚れた頬がこちらを向く。
暫く私を見つめると、キッと油切れした汲み上げ機みたいにぎこちなく首を傾げる。
痛めているのかも知れない。
「#####?」
ロクトは目を細めて言う。
その小さな言葉は聞き取れない。
「ロクト、どう--」
どうしたのか、そう聞こうとしたけれど
「#####?」
知らない言葉。
どこの国の言葉なの、分かるように言って、なんの意地悪なの、やっと帰ってきたと思ったらどうしてそんな態度なの、聞こうとするけれど私は焦るばかり。
何とか荒い息を鎮めながら言う。
「じょ、冗談はやめて下さい。どこに行っていたのですか?何も言わずに出て行くなんて非道いではないですか!どれだけ心配したと…」
「#####。###」
「ふ、ふざけないだください!」
ロクトは眉根を顰めて、ため息をつく。
それから自分の体の有り様を確認した。
ぼろきれみたいな服を千切ると、何やら呪文を唱えている。
もこもこと人形になっていって私は気づいた。
(式だ)
思わず私は飛びついた。
ロクトの腕を引っ張ると、人形はただの布切れに戻る。
「この屋敷に移り住むとき、もう式を作るのは止めると!!そう仰ったではないですか!!二人だけでやっていこうと…」
私はその腕に縋る。
彼は思ったほど抵抗しない。
「#######?#####…###」
私を蔑むような目で見ると、はあ、とため息をついて辺りをキョロキョロ見渡した。
それから屋敷を指差して何か言っている。
「そうですよ、貴方が作った屋敷です。着替えをお持ちしますから、とにかく湯に浸かって身体を清めてください」
ぐいぐいと引っ張って屋敷に入ると、そのまま湯に放り込んだ。
「####!!!」
バン!!!
浴室の扉を思い切り閉めると、案外大きな音が出てしまった。
なんだか自分がイラついているみたいで嫌になる。
(ううん、違わない。イラついてるんだわ)
ふう、と息をついて扉を背にずり落ちる。
「なんなのよ…」
しばらくすると、ばしゃばしゃと洗い流す音が聞こえてきたので、一先ずそこから退散した。
ここのところロクトと会わなかったせいか、以前のアイリスだった自分を取り戻せている気がする。
それはきっと新しい名前をくれたから。
なのに、どうして貴方はいつも戸惑うことばかりするの。
ひたり、と後ろに気配を感じて振り向くと、新しい服に身を包んだロクトがいた。
そんなに寒いわけでもないのに、ほこほこと湯気が立っている。
頬が火照って薄い皮膚が透けている。まだらにピンク色に染まる、湯上がりのロクト。
何気ないことが、すごく懐かしく思える。
私は少し躊躇したけれど、ずいと近づいて、その首にかかっている大きなタオルを掴む。
「〜〜〜っっ……まだ髪が濡れています。ちゃんと拭いてください」
随分と拭きやすくなった短い白髪。頭を包むようにわしわしとタオルを動かすと、ロクトが私の腕を掴んだ。
「!?」
強い力だ。
「#####」
「もう良い加減ふざけるのはやめて下さい。貴方がいなくなってから随分探したんですよ。どれだけ心細かったと…」
堪えていた涙が溢れる。
「####」
「は、なんなんですか…」
ロクトは首を傾げて、私を指差した。
「####?」
それは、「お前は誰だ」そう言っている気がして、ぼたぼたと涙が落ちた。
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