第31話 母と父 1

光の道を登っていく。

まるで本を開く様に、答えが頭を駆け巡った。

パチパチと光がぶつかっては閃光を放ち消える。

その度に頭の中で鮮明に思い出される。


(戻らなければ…)


だが、身体の上昇は止まらなかった。










アマノクニという雲の上の世界で私は生まれた。


そこには大きな大きな神が一人で小さな神々を産んだ。

産んだと言うよりも、身体の肉を捏ねて息をかけると神が産まれた。


私の兄弟たちは百年そこで暮らして、自分の力で立てる様になると下界に落とされる。


それぞれの神が、落とされた地で国づくりをした。



幼心に刻まれた出来事が思い出されて止まらない。



ある兄様が魂だけとなって帰ってきた。

母神に聞くと、人に殺されたのだと言う。

ある姉様が泣きながら帰ってきたこともある。

人間の信仰が疎かになってすっかり気持ちが折れてしまったと言っていた。

別の兄様は殺されたけれど、いつまでも帰って来ず、その土地の呪いとなった。母神は見放してその地を永遠に閉した。

またある姉様は目も見えず、両腕両足が無くなって帰ってきた。

人間にご利益を求められて嬉しくなり、みんなやってしまった。あげるものがなくなると、最後は役立たずと石を投げられたと言う。



そんな兄弟神の中で、一際賢い兄様がいた。

けれど、その賢さ故に、荒神となって人間を一度滅ぼしてしまった。

母神は大層怒って賢い兄様を岩牢に閉じ込めた。

以来、痩せ細って声だけになってしまった。

時折『許して下さい。出してください』という声が聞こえるけれど、母神は穏やかな笑顔を崩さず『許さない。永遠に出さない』とだけ答えた。

今でも岩牢から啜り泣きが聞こえる。


母神は人間のために私達を産み落としていることが当たり前で"そういうもの"だったので何も思うところはなかった。


それから何百、何千の兄弟神が人間に殺されたり、信仰が終わって帰ってきたけれど、母神は一度だって怒りはしなかった。

『ああ、またダメだった』と繰り返し言うばかり。

地上で千年信仰されれば良い方で、結局はみんな帰ってきた。

帰ってきた兄弟神がその後どうなったのかは知らない。



一人で歩き始めた私は、あることに気づいた。

それは産まれてから百一年目の春のこと、『他の兄弟にはないのに、なぜ私には角があるのですか?もう百年経ったのだから下界に落とされるはずなのに、なぜ私にはそうしないのですか?』

母神は言う『貴方は愛する方との子だから地上に落とすつもりはないのです』

それを聞いた一つ下の弟神が私を突き落とした。


重力に引き寄せられる中、母神がその弟神の首元を掴んで地上に叩きつけるのを見た。

母神は両手を伸ばして空を掻いた。

怒号と絶叫と。

それが雷鳴となり、世界を焼いた。

大粒の涙が雨になって降り注ぎ、野山の炎を鎮火させていく。


母神は地上に降りられない。

どう言うわけかそうなのだ。

だから私達のような小さき神を地上に送って得難い経験を持ち帰らせた。



雲の切れ間から覗く母神の顔も忘れていた。

頭を強く打ってしまった私は、気がついた時には今の様な暮らしをしていたのだ。







上昇が止まり、雲の上に立つ。

黄金と白と群青が支配する世界。チカチカする。


「母神は元気でおられるか?」

山の様に大きな背中に微かな言葉を投げた。

ゆるりと顔がこちらを向く。


「ああ…帰ってきたのですね?ずっと待っていましたよ。貴方を失って一万年も時が経ちました。一日だって忘れたことはないのです。泣いて泣いて暮らしました」

瞳がない目、微笑の口元。

--母だ。


「ずっと思い出せなかったのです。ここのことを、母神のことも」


あの怒り狂った姿からは程遠い様子だ。


「貴方が帰ってきたなら許しましょう」

母の後ろには弟神がいた。

野原のように大きな手で、その髪を撫でている。

「貴方よりも九千年早く帰ってきたのですよ。この九千年間、母は許せなくて、この神を殺しては生き返していました。ほら兄様に謝りなさい」

「兄様、ごめんなさい」

ぺこりと首を垂れた。

「よくできましたね。では母は許しましょう」

そう言って、首元を掴み上げる。母神は山のような大きさなので、すごい勢いで上昇していく。

弟神は、髪も服も張り付いたよう。空気の流れに逆らえない。

母神はかぽっと開いた口に弟神を放り込み、弟神を飲み下す。

足や腕があちこちを向いて抵抗の様子もなかった。


「これでも千年地上で信仰された神、面白い知識ですね。あら、ふふふ、成程」




そうか、帰ってきた兄弟達を見ないのは母が喰っていたからか。




瞳がない目はそれでもこちらを見ていることがわかる。

ちゅるっと唇を舐めて言った。

「貴方は一万年間地上にいたけれど、信仰されていたわけではないようですね。忘れられた神、知られていない神。当たり前と言っては当たり前ですが」

「今まで自分が何者か思い出せなかった…」

「貴方は半端。大地に恋をした私が初めて腹を痛めて産んだ子だから。大地に降りて何ができましょう?何もできない赤子なのですから信仰を得る力はないのですよ」

「それでも父の、大地の力を借りることはできる」

「ははははは!!!」

空気がうねるようだ。

私は思わず顔を覆った。

「くっ…」

「兄様たちの真似事はお仕舞いですよ。さあ、母の乳を吸って寝なさい」



来たことを後悔した。そうだ、私は母の寵愛を一身に受けて永遠に赤子でいることを求められている。


けれど、自分が何者なのかよく分かった。

私は、神と大地の子。

異端だ。

神の愛と大地の力で生きているのだ。


「ずっと隠れて生きてきた。人間に隠れて、信仰も得ず何も聞かず何も見ずに」

「貴方は神になりきれませんから。よしよし良い子ですね」

「私にも愛しい人ができた。恋を知っても尚、貴方の気持ちは理解できない」

母は黙った。

私は僅かに後ずさる、


「…何を言っているのですか?母を困らせたいのですか?」

「私は私の道を生きる」

「行かせません。また迷子になったらどうするのですか?」

「迷っているのはどちらだ」

「母にそんな口の聞き方をするのですか?あの人と一緒。親子は似るのですね」


ぴくり、と反応する。

大地が何かものを言うものか。

だが、母神は言う。

「父様は私が作ったのですけれど、反抗ばかりするから、暴れないように貼り付けておいたのですよ。今はすっかり静かなものです」

「さすが、良いご趣味だ」

「…お前は一万年の間にすっかり捻くれたのね。私の孤独は、父様と貴方がいて初めて誤魔化せるというのに」

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