第24話 私の前世じゃない
シャボン玉のように私を包んでいた膜が割れる。
ほんの僅か、ぱしゃりと音がした。
霧のように細かな水滴が髪や服を少しだけ濡らす。
一瞬だけ虹が掛かる。だがそれはすぐに消えた。
霧が晴れて、正確に言えば霧散して、事切れた弟の姿を目の当たりにする。
混乱してうむく頭が機能しない。
がつがつと拳でこめかみ辺りを叩く。狂った夢なのではないか、そんな淡い期待だ。
「あ…」
私はふらふらとローマンの元へ歩み寄る。
「ローマン?」
頬の産毛が陽を浴びてきらきら輝いて見えた。
ああ、私の知っているローマンだ。
風に髪が揺れている。
その金色の髪をそっと撫でた。
言葉は出てこない。涙も出なかった。
ただ心が鉛のように重たい。
どうして時は巻き戻らないのだろう。
--いや、やり直したってどうせ同じ。私は何もできないダメな姉のまま。
ここに来てやっと変われたのに。変わるのが遅すぎた。
弟が真に成そうとしたことはなんだったのか。
貧しい母国を再建することか、我こそが王だと知らしめることか、それとも--
復讐か。
私はエランシスを振り返って見た。毅然とした出立ちに少しだけ救われる。
「ローマンはあの馬鹿王子よりも剣術に長けているな。一歩遅ければ刺し違えていたかもしれない。見ろ」
白い髪の右半分は短く切られていた。
弟はどれだけの努力を人知れずにこなしていたのだろう。
「ローマンを殺したこと、どうか背負い込まないでください」
頬にそっと手が触れる。
私が知る大きな手だ。
「だからと言って、アイリスが一人で背負い込むな。自分のせいだと思うな。人一人の人生をたった一人が変えてしまったなどと思うのは傲慢だ」
「……でもそれが、残されたものの使命でしょう?」
「ならば共に背負い込もう」
よく見ると、下ろされた大きな手は力の限り握られていて血が滴っていた。
エランシスは乱れる呼吸を整えると、池の畔でことの成り行きを静かに見守っていたロータスを見る。
ロータスは美しい顔をやや傾げ、ゆっくりと彼に微笑みかける。
その異様さに、
私はただ困惑する他なかった。
だが、何か思い出す。
似たような光景を見たことがある。
いや、そうじゃない。
見ていたじゃないか、何度も。何度も夢で。
私が記憶の網を漂う時、いつだってそれは第三者の視点だった。
真に私の前世がアイリスならあり得ない視点ではないか?
私は目を逸らすこともできずに二人を見つめる。
前世のアイリスの顔をしたロータスは、微笑んだまま滑らかに立ち上がった。
それから、エランシスとロータスは御伽話の惹かれ合う王子様とお姫様みたいに歩み寄る。
ロータスはエランシスの頬を両手で包むと、まるで千年も待っていたかのように見つめて、恍惚の笑みでくちづけした。
「私ね、やっと全て思い出したのよ。エランシス」
「ロータスが…アイリスだったのだな。二百年も側にいながら、お互い分からなかったなんて皮肉だ」
エランシスの表情は変わらない。
私はその二人を見て、燃えてしまいそうになる。
上手に息ができない。
思い出した。
私の前世はアイリスじゃない。
私は、私の前世は--
酷い頭痛と眩暈で、私はその場に昏倒した。
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