第8話 アイリスの部屋で
「嫌われてはいなくとも、距離は置かれていると思っていたが」
どうやら、私が彼を望んだことで、この部屋に呼び寄せたらしい。
「それは貴方の方ですよ、エランシス」
「ふむ、まあ…正直なところ、どうすれば良いのかよく分からないのだ。…いいソファを誂えたな。座らせてもらおう」
僅かな軋みもなく、深く沈むエランシスは、足を組んで私を隣に招いた。
「アイリスは何も望まないのか?ここに来てしばらく経つが…変わったところといえば、このソファと窓くらいだが…ああ、あとは庭か」
「他に何を望めというのですか?」
「光り輝くシャンデリアとか、金銀宝石その他諸々」
思わず吹き出しそうになって、笑いを堪える。
「貴方こそ、そう言った類のものはあまりお好みでないようですね。この屋敷も随分とシンプルです」
彼は封印されていた二百年もの間、この中でどのように暮らしていたのだろう?
「アイリスが居ればいい」
急にそんなことを言われて私は眉間に皺を寄せる。
「おや、信じられないかい」
「突然連れてこられて、そのように言われましても、私には訳がわからないだけですわ」
「なら、思い出させてやってもいい」
目を見つめられると、不思議と視線を逸らすことができない。
綺麗な形の唇が近づく。
でも、彼は触れない。分かっている。
悔しいけれど、それをもどかしく感じている自分がいる。
なぜだか涙が一筋溢れた。
「どういう感情なのだ、それは」
「知りません…」
「人間にもわからない感情があるのだな」
言われてぶんぶん首を振った。
「嘘…嘘です…!口にするのが嫌なのです…私は、もどかしくて悔しくて…」
「へえ?」
一束髪の毛を掬って、そこにくちづけを落とされる。
「アイリス…待っていた。ずっと」
名前を呼ばれる。なぜだか何度も聞いた気がする。
にっと笑うその顔が、靄のかかった記憶を鮮明にした。
長く白い髪がさらさらと風に靡く。
私はずっと貴方を見ていた。
その笑顔がたまらなく好きなのに
『アイリス、私は人間を許すことはできない』
どうして泣くの?
『私は、またアイリスという から、エランシスが私を て』
ぽたぽたと落ちる、頬を濡らす涙。その涙に、
私は
燃えてしまいそう。
「うっ…」
酷い耳鳴りがして、頭を抱え、ソファから崩れ落ちた。
「アイリス!」
「アイリス…?私の名だわ…」
「もしかして、思い出してきたのか?」
エランシスは私の肩を抱く。
「私は、エランシスを知っているわ。アイリスは…どうなったの?でも、アイリスは私だわ」
エランシスは混乱している私を抱き抱えて、ソファに座り直した。
私を離すことなく、その腕に抱きしめられた。
吐息と温もりが伝わる。
(魔物も温かいのだわ)
「初めは、なぜ覚えていないのだろうと君をもどかしく思った。けれど、思い出すのが苦しいのなら…そんな姿を見るのは…」
「いいえ。私は確かにエランシスを知っていて、この場所を知っている。それが分かってしまった…全てを思い出さなければ、いけないのでしょう」
エランシスは私をじっと見つめて言った。
「これだけは、伝えておきたい。昔も、今も、君が好きだということだ」
「昔…それはいつのことですか?」
私は成人式を迎えたばかり。
あまり昔だと、それは私が子どもの頃ということになる。
さすがに子どもに対してここまで熱烈に愛を貫くとも思えぬし、十歳を超えてからとなれば私の記憶も鮮明にある。
けれども、エランシスの回答はそのどちらとも違う。
予想を遥かに超えていた。
「二百年前。君と約束した」
「それなら、私ではありません。私はまだ十八です。人は二百年も生きられません」
「いいや、君だ」
「ご冗談を」
なんだ、そうか人違いなのだ。
それならば納得がいく。
でも、この靄のかかった記憶はなんだろう。
悲しくて苦しくて息ができない。
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