第5話 ソファ
はめ殺しの窓の、その玻璃をそっと撫でる。
ふとした気配に振り向いた。
音もなく現れたその人は、すでに頭を下げていた。
「私をお呼びであると聞きました。いかようなご用事もお申し付け下さいませ」
「お忙しいのに来てくださってありがとう。昨日、私は貴方に失礼なことを聞いてしまったから謝りたいのです。申し訳ありませんでした」
「……」
布ごしに口を開閉する気配がした。
「仰っていることが分かりかねます。何のことでしょうか?」
「昨日貴方に質問したわ。どうしてここにいるのかって。失礼なことを聞いてしまったと思ったのです」
「…アイリス様。私は何でもございません。何者でもありません」
私は目をぱちくりする。
言っていることの意味が飲み込めない。
「例えば…」
つい、と先ほどまで私が眠っていたベッドを指差す。
「あの寝台で眠った後、何か思うことはありますか?」
私はふるふると首を振る。
「私たちは物です。会話をし、動くことができるだけの。気に病まれる必要はございません」
「それでもよ」
「私はアイリス様にこの場で壊されたとしても、些かも心が動くことはございません」
「それでも、それでもよ…」
ぎゅうと拳を握った。
「アイリス様のご負担になるならば、私は消えた方がよろしいでしょうか?」
「違う!違うの!お願いだから…ごめんなさい…行かないで…」
表情は分からないけれど、戸惑っているのがわかる。
咄嗟にその人の衣服を掴んで縋る。
乱れる呼吸を、はあと整えた。
「…お願いがあります」
「なんなりと」
「次の食事の時まで、私の話し相手になって頂ける?」
「主様をお呼びしましょうか?」
「貴方が良いの」
「私は人間のような心を汲んだ会話は出来かねますが…」
「………」
「アイリス様、ご指示を」
「貴方とお話がしたいわ」
「かしこまりました」
「座ってくださる?」とベッドを差したけれど「お仕えしている方の寝台に腰を下ろすことはできません」と言われてしまった。
仕方なく、私は窓辺に歩み寄る。
「この窓は、魔物がつけてくれたのかしら?」
「間接的にではございますが、理屈はその通りでございます」
「それはなぜ?」
「アイリス様がそう望まれたからです。この屋敷は、如何様にも好きに作り替えることができます故」
「私が…望んだ?」
布がふっと揺れた。息を吐いたのだろう。
「例えば…このように…」
先ほどまではなかったソファが現れた。
「私は…そんな…」
「座るところをアイリス様が望んだからです。今はこのように簡素な部屋も、アイリス様好みに作り変えられていきます」
「…望んだのかしら、私が…」
「主様のお力です」
私はその力の片鱗を感じて息を飲んだ。
「魔物は…何者?私はなぜあの人に妻として望まれたのかしら?」
「覚えていないと…いや、覚えてないふりなのではと主様は仰っていました。本当に覚えていないのですね?」
二人とも目の前のソファに座ることなく対峙する。
「それであれば、私から何かを言うことはできないでしょう」
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