第4話 どうして?

どこまでも果てしなく続く廊下をひたすら歩く。


歩けど歩けど果てがない。

でも、こんなに歩いたのは久しぶりだ。

この靴はなんと歩きやすいことだろう。

ヒールの高い靴はカツカツと耳障りな音を立てるけれど、この靴は何も音がしない。



この訳の分からない見たこともない、けれど着心地の良い薄い服も歩きやすい。

一切の締めつけがないからだ。

コルセットから解放されたことは喜ぶべきだと思った。



どこまででも歩いていけそうな気になる。


(せっかくなら外を歩きたい)


そんなことを思うけれど、きっともう叶うまい。

なんとなく父や弟のことを思い出して蹲った。


簡単に私を差し出した父。

恨み言の一つでも言ってやりたい。

ぎゅうと腕を抱きしめた。



辺りが突然薄暗くなったので顔を上げると、私は寝室にいた。


「もう夜なのね」

この屋敷の中では、今が昼なのか夜なのか、一切分からない。



「ここにタオルを置いておきますので」

突然後ろから声をかけられてビクッとする。

布で顔を隠す長身の人。


「失礼ですが、一つ質問しても良いですか?」

「はい。私で答えられることならば」

「貴方は、女性?」

「私に性別はありません。何か御用があればお呼びください。それではこれで」

そう言うとボフンと消えてしまう。


雲の様なベッドの上、枕を抱えて考える。

「呼ぶって一体どうやって…?」

すみません、はなんか違う気がする。お店じゃないんだし…。

名前があれば良いのだ、よし聞いてみよう。

「用があるのだけれど、来てくださるかしら?」

と言うと、どこからともなく「はい」

と言う声がして振り向くと、視線の先にその人はいた。


「用がある時にどう呼べば良いか分からなくて…良ければ貴方の名前を教えてくださる?」

「私に名はありません」

「え?……えっとじゃあ、どう呼べば宜しいのですか?」

「御用を仰っていただければ良いのです。私はただそのためにいます」

私はなんだかものすごく寂しい気持ちに苛まれる。

「あの…貴方は…どうしてここにいるのですか?」

「主様に望まれたからです」

魔物のことか。

相変わらず布でよく見えない顔は感情が窺えないまま

「もうよろしいですか?」

と聞かれて

「はい…ありがとう、ございます…」


なんと呼べば良いのかわからない、彼か彼女かも分からない長身の人は消え去った。


『貴方は、どうしてここにいるのですか?』

些か失礼なことを聞いてしまった。


(明日謝ろう)


そう思って眠りについた。





✳︎ ✳︎ ✳︎





『私は   という     から      て』


彼は顔を歪ませる。

辛いのか、と頬に手を振れるけれど、涙が溢れて私の顔を濡らした。

痛いのかもしれない。


『…大丈夫?』


彼は首を振るばかりだ。


『ありがとう。さようなら』






珍しく、眩しい光が私の顔を照らしたので、目が覚めた。


寝起きの目を擦って見ると、昨日まではなかった丸い窓が見える。

思わずベッドから降りて駆け寄った。

見ると、沢山のシロツメクサが生い茂っている。

それはどこまでも続いていた。

上を見上げれば、青い空と、高い雲がそこにあった。


「え…?外が…見える?」

ぐっと押してみる。これははめ殺しの窓だ。


ふ、と風が吹く。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

びっくりして振り向くと、長身の人が後ろに立っていた。

「…良いところでお召し替えを」

「あら?昨日の方は?」

「と、申しますと?」

「昨夜、私とお話しした方のことですが…」

「確かに私ではありませんが……その者は、今は主様のお支度を整えております」

大層不思議がられてしまったが、後程私のところに来る様伝えてくれると約束してくれた。



顔を洗って、衣を纏う。

薄く化粧をして、水をほんの少し頂くと、水が口から喉に滑り落ちる瞬間に私の体は食卓についていた。


「おはよう。今日も綺麗だ」

「っ…おはようございます」

咽せそうになるのを飲み込む。


並べられた果実やパンやサラダはどれも美味しそうだ。

「私も少しだが、果物を頂くとしようか。君が食べているのを見て久しぶりに欲しくなった」

葡萄をひょいひょいと口に放り込んで食べている。

「そのように物を食べることもあるのですね」

「時々な。美味い」


私もつられて葡萄やオレンジを食べる。

どれも瑞々しくて頬が落ちそうだ。

パンも焼きたてなのだろう、香ばしくて、まだ暖かかった。


食事を終えると、黄金色をしたお茶が運ばれてきた。

ゆらと揺れるそのお茶は、僅かに金木犀の香りがした。

魔物は香りを嗅いで言う。

「聞いたよ、君は式達の区別がつくのだってね」

「式…とはなんでしょう?」

「我々の身の回りの世話をしてくれている者たちのことだ。あの者達は私が作った」

「作った…?作ったって…?」

「別に難しいことじゃあない。ただ紙に魂を込めた者達だ」


(紙!?もともと紙だったということ!?)


「ふむ、みな同じように作っているつもりだがな…三、四日で違いに気付くとは恐れ入った」

「名前はつけないのですか?」

「必要ないからな」

「貴方にも名前はないのですか?」

ぴくりと魔物は反応する。

私はその薄い色素の目をじっと見た。


「名前、教えていただけますか?」

「私の名前…皆私をマモノと呼ぶ。式達は主と呼ぶ」

「そういうのではなくて…」

魔物は、まるで私が憐れな者で

あるかのようにじっと見つめる。

「アイリスは、覚えていないのか?」

訳がわからなくて、ただ見返すことしかできない。


「君はアイリスだろう?どうして忘れてしまっているのだ?」

魔物は立ち上がり、近づき、私を見下ろす。

「何かが変だと思っていた。まるで私を忘れてしまったように振る舞うのは何故だ?」

「忘れたも何も、私は初めから貴方のことなど存じ上げませんわ」


(どうして)


どうして魔物のくせに、そんな悲しい顔をするの?

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