第3話 ただの生贄なのか

ダンスパーティの朝、バタバタと慌ただしい足音で目が覚めた。


重たく、すっきりしない頭を抱えて、用意された洗顔用の水で顔を洗う。


侍女が慌てて入室してきた。

「アイリス様、国王陛下がお呼びでございます。支度に取りかっても宜しいですか?」

「お父様が?」


こんな朝早くになんだろうと思いつつ、ドレスに袖を通す。



「お父様、大変お待たせいたしました。急ぎのご用とは一体なんでしょう?」

「うむ…」

「何やら朝から場内が慌ただしいですわね」

「う、うむ…」

「お父様?」


国王はため息をひとつ吐いた。

重たく、苦しいため息だった。


「南の祠の封印がな、解かれてしまったようでな…」

「なんですって!?」

「ああ、いやあ…その、なんだ…実はな…封印の施しが崩れかかっておったのだがな、ダンスパーティだのなんだのの資金をケチるわけにもいかんだろ…それで」

「それで直さなかったと言うのですか!?」

「まあ、そうなるな」

「お父様!」


国王は頬を掻いたり、目を泳がせたりしている。


「それでは、すぐに呪い師を呼んで新たに封印の施しを…」

「だが、今日は国賓を招いたダンスパーティを開くじゃろうて。そんなことをしていられないじゃろ…もう間も無く到着するのを帰すのか?」

「そんなこと…?もし今日にでも魔物が目を覚ましたらどうなさるおつもりですか!?」

「どうと…言われてもな…」





父はううむ、と唸ったきり何も言わなくなった。

それで、予定通りパーティを開催したわけだが…



(遅かった…)

パーティが終われば、父もようやく重い腰を上げて封印の施しを結び直したはずだ。


(今は賓客を避難させることが先…)

もっと父に強く意見できていれば、と自分の行動に後悔が押し寄せる。


ぐわっと三度めの波動が押し寄せる。

城全体がギシギシと聞いたことのない湾曲の音を響かせる。

わあわあと人々が外へと流れ込んできた。

四度め五度めと立て続けに波動を体に受ける。


逃げ惑っていた人々も、流石に何かがおかしいと気づき始め、我が国の衛兵達が右往左往しているのを痛罵している人もいる。



突然、波動が止んだ。

光だけが辺りを包む。


シャン!と鈴を鳴らす様な音が響く。

音もなく、気配もない。なのに、一人二人と奇妙な人々が連なり始めた。

布で顔が隠された、背が高い、だが皆同じ身長の白い人々。


そこにいる皆が固唾を飲んで見守ることしかできなかった。


どこからか、この国の王である父がふらふらと歩いてくる。

「魔物…魔物が…」

「国王陛下!危険です!お下がりください!」



シャン!と音が鳴る。

花びらが

どこからともなく、花びらが舞っている。


薄紅の小さな花びらが無数に

この国にはこんな花はない

こんな花は咲かない。知らない。



ブワッと一陣の風が吹いた。

花びらの行方を悪戯に遊ばせる。



目を細める。呼吸が苦しい。



突風が凪いだその刹那、どこからか声がした。




「アイリス・ウィンストンを妻に望む」


光の中から突如として現れた魔物は確かにそう言った。





✳︎ ✳︎ ✳︎





私はただの生贄だ。



魔物に嫁ぐということがどういうことか判然としない。


「アイリス、迎えにきたというのに、どうしてそんなに素気ないんだ」


行って早々食われるか、散々嬲られて食われるか、そんなところだろうと思っていた。

だが、驚いたことにこの魔物は肉を屠ることをしない。


少しの水と、草木から英気を吸い取って生きているらしかった。


「素っ気無いと言われましても、私はまだ自分がなぜ妻に望まれたのか分からないのです」


そして、私と魔物は三日の膠着状態から、ようやく会話をしている。

私が警戒して(当たり前だ)いるので自分は安全だと言い張って魔物自身の食事の光景を見せたり、私の好物を並べて(なぜ知っているのか)食べさせようとした。


「ほら、君が好きなクリームが乗った菓子だ。食べると良い」

「結構ですわ」


ぐきゅるる…

正直な身体を恨む。

きいっと声を漏らして、お腹を叩いた。

「よしなさい!」

「お腹なんて空いてないわ!貴方の施しも受けたくありません!」

ぽこすかとお腹を叩いていると魔物が私の手をぐいと掴んだ。

「意地を張るな。ほら、イチゴだ」

フォークに刺さった瑞々しいイチゴが鼻先で揺れる。

よだれが垂れてしまいそうだ。

ぐきゅるる…


「ぷっ…くくく…」

「わ、笑わないで頂けます!?」

「悪い悪い、あんまり君がまじまじ見るものだから、可愛くって」

「〜〜〜っ!!」

なんだか無性に腹が立って、揺れているイチゴをパクリと啄む。

じゅわっと広がる果実。


「美味しいかい?」

こくこくと頷くと、なぜかぽろぽろと涙が溢れた。

魔物はふっと安堵の笑みを浮かべると、私の涙を指で拭う。

「これもお食べ」

「も、もう自分で食べますから」

「観念したか?」

「はい、食事はちゃんと摂ります」

「なら良し」

と言って、私が食べ終わるのを嬉しそうに見届けていた。


彼はこの三日で私に触れようとする時、必ず黒い手袋をする様になった。

なぜかは知らない。


(別に知らなくても良いけど)


長い長い廊下を歩く。


(っていうかどこまで長いの、この廊下)


初日に悟ったことがある。

私は逃げられないということ。

どこへ行こうと、見張りなどいないし、自由だ。

(舐められたものね)

そう思ってどこまでも歩いて行ったが、結局のところここからは出られないということだけが分かった。

食事の時間になれば呼ばるだけで、勝手に身体が食卓に戻される。

どこに居ようが、夜になれば勝手に用意された寝室にいた。


三日目にして、ただ気分転換のためにだけ歩く私は、少しだけ諦めることができたのだ。

そう思うと幾許か気が楽になった。


(それにしても魔物って名前はあるのかしら?)


ふと気になる。

あの屈託のない笑顔をする彼が、魔物と言われるだけの何をしたのだろうということ。

二百年の時を超えて、今私を妻に望む理由も、二百年前に封印された経緯も、何も知らない。


魔物は「迎えにきた」と言った。

それは過去に約束があったということだ。

だけれど、私は南の祠に行ったことなどはないし、ましてや魔物なんて知らない。


(もう、訳がわからない…)

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