第2話 嫌な予感

「アイリス様、今日も一段と素敵ですわ」

美しく裾を広げた彼女はエミリー・マシュー公爵令嬢。

「エミリー様こそ、いつにも増して美しいですわ」


少しだけ戸惑ったエミリーは、決心したというふうに口を開いた。

「大丈夫でしたか?…その…」

恐らくカーターのことだろう。

僅かに口角を上げて頷いた。

「それはアイリス様は美しいですわ。でも、だからと言って口説いて良いということにはならないでしょう。レディを追いかけ回して、本当に失礼な方だわ」

エミリーは私に代わって腹を立ててくれていた。

「ありがとうございます。エミリー様が怒ってくださると私も救われますわ」


その美しい金色のまつ毛を伏せる。

「……アイリス様…この国の立場は微妙です。ですが私は決してそのことがアイリス様のご負担になることを望みません」

「ありがとう…」


それからエミリーは、私と一緒にいてくれた。

内心、助かると思ったのが本音だ。


優雅な音楽が流れるホールが、ざわっと騒がしくなった。

見ると、カーターと誰かが踊っている。


「理想のお二人だわ」

「マリアンナ様が一番輝かしいわね…」

「見惚れてしまうわ…」

そこここで感嘆のため息が漏れ聞こえた。


「マリアンナ・チェリーウェル侯爵令嬢、いらしてたのですね」

エミリーがそっと私に言った。

「そのようですわね」


令嬢達がきゃあきゃあと騒ぐこのマリアンナは、とても中世的な顔立ちで背も高い。

狂信的な人気を誇る令嬢だ。


「ダンスが終わったみたいですが…マリアンナ様がこちらに来ますよ…」


私は見上げる様に彼女と対峙した。

丁寧にお辞儀をすると、

「ウィンストン公爵令嬢は王女殿下にくっついて歩いて誰ともダンスをされないのですか?」

「あ、私は…」

「失礼。困らせるつもりはなかったのですよ。顔を上げてくださいますか?」


エミリーはその真っ赤な顔を、ほんの少しだけ上げた。

「アイリス様に、私も少しだけお話をさせていただきたいのです。お許しいただけますか?」

「は、はい!勿論です!」

エミリーは少し興奮している様だった。


こうして私はまたしても、ご令嬢達の冷たい視線を浴びることとなった。


「マリアンナ様、お話しとは?」

「こちらへ…叶うなら、庭園を散策しながら…」



息が詰まる様な会場を抜け出せたのは幸いだった。

だが、このマリアンナとは長い付き合いの中でどうしてもお互いを許すことができない疵を抱えている。


「…変わらないな、この庭園は」

「マリアンナ…」

「その名前で呼ぶのはよしてほしい。せっかく二人きりなんだから」

「…そうよね。ローマン、元気そうで何よりだわ」

というと、ローマンは笑った。

「お父様は相変わらずかい」


私は目を伏せた。

ローマンは腹違いの弟だ。


「それ、地毛でしょう?随分伸びたのね」

「苦労した。この馬鹿みたいに歩きにくい靴にもだいぶ慣れた」

「ローマン、貴方が王宮に戻れる様に私からも…」

「お姉様、長く生きたいのならば、変に父を刺激しないことだ。それに、私が戻って、それでどうするんだい?また血みどろの後継者争いをするのかい?」

「それは…」

「お姉様が幸せで楽しい日々を送ってくれれば、もう僕はそれで良いんだ。こうやって生きいられているだけで大満足だ」

「チェリーウェル侯爵夫妻は良い方達だけれど…貴方はそれで良いの?」

チェリーウェル侯爵夫人は、彼の母の姉にあたる。

「誰とも添い遂げることをせず、ただ一生を鬱々と過ごすだけだと思っていたけれど、時々こうやって本当の私のことを知る人に会えれば良いと、今では思う」


風が吹いた。

管理が行き届いているとは言い難いこの庭は、それでもこの国の自慢だ。


「やあ!」

驚いて肩が跳ねる。

見ると、植木の間からカーターが出てきた。

(聞かれた!?)


「この国の花が二人もいなくなったので、あちこち探し回ったんだ。こんなところにいたなんて…さあ、会場に戻ろう」


どうやら、会話は聞こえていなかった様だが、こういうことをされると本当に辟易する。

「カーター様、もうこの様なことは…」

その時、空に一閃の光が立ち上った。

ものすごい轟音と共に突風が吹き荒れる。


「なんだ!?台風か!?」

カーターのお付きが飛び出してきて、中に入る様促す。

こちらとしても、賓客に何かあっては大変に困るので賢明な判断だと思った。


しかし、再び大きな風が吹く--

いや、これは風ではない。

これは、波動だ。

続いて眩い光が辺り一面を照らした。


(あれは南側の…)


私の嫌な予感は的中した。

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