【完結】助けに来た王子様には、お帰りいただきました

あずあず

第1話プロローグ


「アイリス・ウィンストンを妻に望む」



重力をまるで感じさせない歩みで私に近づいた魔物は、息を呑むほど美しかった。

頭から生える角と、真っ白で長い髪と、見たこともない衣服。

色素の薄い瞳は、見つめられると動けなくなる。


ここにいる誰もが、逆らえないと一瞬で悟った威圧感。


魔物の両脇に控えたよく分からない者達は、布で顔が隠されていて、その表情は伺えない。


一歩、また一歩と私に近づく魔物から、歩みごとに薄紅の花びらが舞う。

「この地を踏むと、いつもこうだ。面倒だな…」


誰もが動けない。

私は隣にいた、カーター・サイドバーグ王子を見た。

だが、目が合うと視線を逸らされてしまう。

離れたところにいる父を見る。

父は早くも護衛の後に姿を隠している。


「この国の王は、どこだ」


それは私の父のことである。


「お前の娘を貰い受けたいと言っているのだが、返答はないのか?」

「は、はい!どうぞ!喜んで!」

と護衛に隠れたまま、言い放った。

父と一瞬目が合ったが、逸らされた。


魔物は私に近づく。

ゆったり、軽やかに。

まるで空気だ。


差し出された手は、透けるように白い。

私はその手をはたき落とす。

「アイリス…」

魔物はすごく悲しそうな顔をした。


「アイリス!何をやっている!このままではここにいる者達がどうなるか…」

「分かっております。…一人で歩けますから。触れないでくださいませ」

(お父様は私のことを助けようとさえしてくださらない)


私は祠の主人である魔物よりも先に、導かれる様に光の中へと入った。





✳︎ ✳︎ ✳︎





アイリス・ウィンストンは、この国の王女である。


「君にダンスを申し込む男は多いだろう?」

「さあ、多いか少ないか、比べたことがないので分かりかねます」

「多いさ。やっぱりその度に口説かれるかい?」

下世話なことを聞くのは、カーター・サイドバーグ。

青い瞳と金髪の、隣国の第一王子。

見目麗しく、剣術の才があり、令嬢に大人気なのである。


今すぐこの手を振り解いてしまいたい。

「本気の方などいませんわ」

「僕は本気さ。だからいつもこうやって、君にダンスを申し込んで口説いているんだから」

「我が国の財政難はよくよくご存じのことと思います」


王子の喉の奥から、ぐぅと音がする。

「それでも僕は…」


曲が終わって、漸くその手を離すことができた。


(カーター王子…まだこっちを見てる…)


その好意から逃げる様に、バルコニーで息を整えた。


音楽が漏れ聞こえてくる。

(早く終わらないかしら)


そんな期待も虚しく、バルコニーにいた私にカーターが声をかける。


「見つけた」

と言って、グラスを差し出される。


「宜しいんですか?まだカーター殿下と踊りたいご令嬢が大勢いらっしゃるでしょうに」

暗に戻れと言った。

「100人のご令嬢と過ごすより、貴方と過ごすのが良いですから」

「…左様で…」

目も合わせずに投げやりに言うと


「貴方を見ていると心配になるな…ご存知ですか?南の魔物の話を」

「…ええ。言い伝えでは二百年前に封印したのですわ。それが何か?」

「噂では、封印が近々解けるのではと」

私は驚いて、その青い瞳を見る。

王子は僅かに笑っていた。

「あくまでも噂ですよ。先ほどご令嬢達が話しているのを聞いただけで…」

「…この国の先人達が命懸けで封印したのです。あまり変な噂を真に受けないで頂きたいですわね」

「その魔物は美女に目がないのだろう?封印が解かれたとなれば、美女狩りが始まるのではないかと…。そうすれば一番初めに狙われるのは間違いなく貴方だ」

私はカーターを睨む。

彼は両手を上げて、へらっと笑った。


「おや、口紅が取れかかっていますね。直されますか?」

「いえ、もうすぐお暇しますので…」

と言うとカーターは少しムッとした。


「お言葉ですが、貴方はこの国の王女でいらっしゃいます。きちんと美しくあるべきでしょう」


(そんな、少し紅がヨレただけで…)

だが、王子から逃れるチャンスを得た。


「そうですわね。では、直してきますので」

言って、化粧室へ行くふりをする。

「お待ち申し上げております」


(待たなくて良いわよ…)

と思いつつ、長い長い廊下を歩いてこの城の自室に戻った。


(疲れた)

ノックの音が響く。

「王女殿下、如何されましたか!?」

「ごめんなさい、少し体調が優れないの」

「ですが…国王陛下が早く戻るようにと…」


この国は弱小だ。

貧しく、軍事力も圧倒的に低い。

古い歴史と景観の良さだけが取り柄だ。

それ故に他国と争うことなく共存できた。

いや、正確に言えば、この国を取りにかかるという事はその他の国に喧嘩を売ることと同義なのだ。暗黙の了解とはそういうことだ。

この国は、いつの間にかこの国のものではなくなっている。


父は、私の嫁ぎ先に強固な国の王子を選びたい。

国民もきっとそう思っているのだ。

太いパイプができれば、この国はきっと豊かになれるはずだと誰しもが疑わない。


つまり私は王女という名の囮だ。

私一人の身で国民の安寧とこの国の未来は約束されるだろうという、つまらない発想。


(果たして本当にそうかしら?)


どこの国だって、よその国を無条件に支援などするものか。

貧しい国をどのように支配するかなど、強国の気分次第ではないだろうか。


私は結局、ダンスパーティの会場に戻った。

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