パンジャガールにはご用心を
自分が『クソババア』という失礼極まりない言葉を吐きつけられるのは、この世に二人しかいない。そのうちの一人は、文章をよく読んでいたら察することができると思うが、まさに世間からは『パンジャカール』と恐れられている『
あらためて自分の母である『銀堂最中』は世間からは怒らせてはならない人、諸外国の人間からは『ハンドラーとパンジャガールには手を出すな』と、警句が張られるほどの人物として認知されている。
『パンジャガール』とは、鬼の元ネタといわれる羊飼いの神様『パン』と娘を意味する『ガール』で構成された『鬼娘』という異名である。正確には『
なぜそんな異名で呼ばれているのか。それは一般の女性の立場から、どんな身分に対しても噛みつき、国際的な女性の権利に貢献した偉人として崇められているからだ。母はその名声に関して、身に覚えがないと外部から見れば謙虚な姿勢に見えるが、身内の意見として本当に都合よく解釈されているなとは思う。
その例として、地域語録のひとつにも数えられる『銀堂の指折り』という少し物騒な慣用句のエピソードについて記しておこう。
親父が家督を得てそう間もないころの話。諸外国の名家や企業の社長などが集まる交流会に行った、その現場で事件が起きた。
母は非常に気が弱く、かなりのアガリ症の持ち主。となりに信頼できる人間がいないと、不安のあまりすぐに黙り込んでしまう。そこに面識もない人間が突っ掛かるものなら、破竹の勢いで癇癪の症状を引き起こし、特定の人間を除き、相手をぶん投げてしまうから、母を知る友人からは『生きた火薬庫』と呼ばれ、恐れられている。
そんなことなど露も知らない諸外国の人間からしたら初見、「銀堂家に嫁いできた人間なのになんだか覇気がないな」とか、母は一六〇センチにも満たなかったため、各自国の子供と身長を比べられ「本当に成人なのか?」と疑われたり、下賤な貴族からは「手籠めにしようにもあれじゃ愉しめないな」と陰口を叩かれていたそうだ。
現代なら不適切な発言だと批判や罵倒の対象にされそうだが、この話は今から三十年以上も前の話。まだネットの普及もおろか、変態が使うツールでしかないとしか思われていなかった時代だ。当時はテレビ放送の全盛期であり、他の情報入手方法と言えば雑誌や人伝えの情報くらい。そのため、地域性や国の意向が今よりもはるかに色濃く反映され、異文化に対する偏見や摩擦が比較的に強かった。
くわえて、近日の戦争の影響で紳士の振る舞いが基本と押し出されていたから、弱小国家はその意向に従うものが多く、仮に自国の正装をしたいと思っても、変に大腕振って目をつけられるのも怖かったので、回避的観点から主催国の礼節に基づき服装を合わせるのが当然の価値観だった。
あとの伏線として、少し紳士文化について触れておく。時代によっても多少意味が変わるが、大概同じなので留意して欲しい。まず女性の場合ドレスが基本なのは『自分がどれだけスタイルを維持しているかの誇示や、男性に対しこのような席で性的興奮を表に出さない紳士の振る舞いができるかしら』という挑戦状のような意味がある。男性の場合は結構シンプルで『綺麗に服を着こなせます』と真面目さをアピールするのがほとんど。その単純なことができない時点で、かなり格が合落ちる。社交ダンスの大会でも、男の服装がダメだから弾くというくらいに重要な要素だ。
とはいえ、その国の正装が全人類に似合うわけではない。
あの正門ぶち破り作戦に参加していた母の親友である伝達者から聞いた話によると、主催側はその礼節を果たすためそういうドレスコードを敷いていたらしく、礼に習い男性はスーツ系統、女性はドレス系統で出席するようお達しがあった。一度は、着物でも良いかと申請したが、従ってくださいと指示を受けたので、余計な迷惑はかけられないと思い承諾。結果、男性陣はスーツに身を包み、女性陣は身体のラインが出るドレスを着用することになった。
その中でも母のドレス姿は壊滅的だったらしく、親父は最高の「美女だ!」と本気でいっていたようだが、その場にいた宇崎のおっちゃんや後から登場する二人の自国名家の人間達からは「馬子にも衣装とは言っても失敗例はあるだな」と、お世辞を発しようにもそっちが先に出てきてしまうほどに似合ってなかったらしい。伝達者も「いっちゃなんだけど、胸の貧相さが際立ってヤバかった」と苦々しく語っていた。母もその似合わなさには自覚があったようで、「もう帰りたい……」と皆に口々と弱音を漏らしていたそう。
着たものは仕方ないと母は開き直るわけもなく、むしろ閉じた。先ほど説明した通り嘲笑の対象となり、アワアワしてしまい親友の背後に隠れてしばらくやり過ごす。
この状況は印象的にヤバいと親友も分かりつつも、彼女が暴走するよりかはマシだと判断し、緊張して黙り込んでいる母の代わりに、会話をしてその場をやり過ごしていた。だが、運命は残酷にも指針を動かせ、母の強い味方の脳内に――お花を摘みに行ってこい!という指示が出てきたから、ほんの数分だからと、母を置いていってしまった。
一人になってしまった母はさらにアワアワ度を上げ、親友の帰りを待つ。そんな時に一人の外国人女性がやって来て、微笑みながら「あなたが、
母は名前が違う!とツッコみたかったそうだが、「……あ、いえ……その……」とドモってしまうばかりで受け答えができていないはずだったと事を振り返る。
女性は「へえ、いつから銀堂は幼女を嫁にする異常者になったのかしら」と嘲笑の眼差しと笑みを向けて来た。予想するに『いえ……』のところが『イエス』なんかに捉えられたのであろう。
いちおう、相手が何を言ってるのか母には理解できていたものの、ディベートするほどの対話能力を持ち合わせていなかったため、会話?は続くはずもないのに、なぜか進行していたことに終始、大量の疑問符をつけながら女性の話しを聞いていた。
「……あ、え」
「え、聞こえないんだけど~」
「どう……も……」
「お~い~喋るお口はどこにあるんですか~」
「…………」
何とか対話をしようと言葉を紡ごうと頭を働かせたが、そこでアガリ症の症状が出てきて言葉に詰まり、そこから記憶があやふやになっていたという。
自分自身、アガリ症を発症したことがないから説明しずらいが、経験者曰く、まるで顔が沸騰するほどに熱を帯びているのに、他の部位がまるで貧血を起こしているのかといわんばかりに冷えが巡るそうで、何とかして物事を冷静に対処しようにも考えが乱立して思考がまとまらず、徐々に視界も狭くなり揺らぎだす。そうなると反応することも困難になり、対話をする意志があっても自らどうにかすることができなくなるそうだ。
その気持ちが分かるもの同士なら、ゆっくりでいいよと意気投合するのだが、そのような気持ちが理解できない人間からすれば、無視されたとプライドが傷付き、悪印象を与えかねない。特に感情を目よりも口許で判断する民族からしたら、そのだんまり顔が軽蔑の意思表示と捉われてもおかしくはない。
その状況を見てか、突然「おい、てめえ、なに姉ちゃんにメンチ切ってる」と野太い異国の言葉を発する声がして、母はビビてしまい固まってしまったという。そして、目の前に二メートルを超える巨漢の男が現れて、そこから全く記憶がなくなっていたから、多分漏らした自信があると本人は語っていた。
だけど実際は、漏らすどころか直立不動であまりにも真っ直ぐに睨んでくるから男は一瞬怯み、性欲そそられたと当事者はキモイことを言ってた。
そりゃ、何度も怒られたことのある立場の感想として、その怖さが分からなくはないが、もっと恐ろしい経験をしているからか、大して怖いと思ったことがない。
ただ、目的がその欲情の想いのほうになってくると話が変わってくる。
現代では表立ってすることは無くなったが、当時の価値観として弱いと見限られた人間は捕食者のエサになる、文字通りの弱肉強食の社会。そうなった者は通常、男ならいびって相手の権力を手中に治め利用の手札にして遊び、女なら大概は慰み者にされるのが定石なところだった。
名家生まれの人間となれば多少は躊躇されるものの、外部から入っていた庶民には容赦がなく、そう上記の通り一度でも見られたら物理的にも舐められるヒドイ扱いを受ける羽目になる。
いわば、家畜の豚でもする下賤な行為をまるで礼節のように行い、平然とそういうことをする思想が蔓延っていた。で、母はその対象のひとりに選ばれたワケだ。
「もういいわ。『外国男性の名前』、世界の洗礼をこの生娘に教えてあげて」
「分かりましたよ。姉さん!」
もう済んだ話だから『外国男性の名前』は伏せるが、当時の国の上流の貴族で、このあと起きる事件以降、事実上の失脚をさせられた人間とだけ記しておく。本当、相手のことを知らないということがどれだけ恐ろしい事か。
不憫な外国男性は不躾にも華奢な母の腕をつかみ手を引こうとした、その刹那、問題の癇癪のスイッチが入ってしまい、人語かも疑わしい断末魔を上げながら腕を回し外し、相手の胸ぐらを掴み。周囲の人間も気付いたころには、その二メートル級の男の体躯は宙を舞って、傍にあったテーブルへと豪快に叩きつけられていった。その拍子に男の小指をへし折っていた様子で、相手は指を押さえながら悶えていたという。
さらっと男の小指を折ったといってるが、そう簡単に折れすものではない。多くの金持ちや貴族を見て来た知見として、肉厚な手をしている者が多く、一般の人間と比べて骨を断つような衝撃に耐えうる耐久性がある。
それを目の前で見せられた女性は腰を抜かして、そのままへたり込み失禁。周りの人々は戦々恐々。その中、母を抑えようと警備隊が五人ほど駆けつけたそうだが、一人を無意識的に掴んでボーリングのピンのように一掃。宇崎のおっちゃんも止に入ったそうだけど、壁に叩きつけられて失神。
もう誰も彼女を止められないと、阿鼻叫喚の声が上がっている状況の最中、悠然と母のもとに歩み寄る人間が一人。そのあたりで帰って来た、母の親友は「あちゃ~誰かが火薬庫に火をつけちゃったみたいね」と暢気なことを言ってたそう。
あんたも逃げた方が良い!と厚意で言ってくれた人もいたようだが、その場で暴走機関を眺めていたごく一部の人間を含め、情景を鼻で笑い「まあ、見ていなよ」と、まるでスポーツ観戦のキャスターのような飄々とした笑みを浮かべながら、その状況を見守っていた。もし、自分同じ現場にいたらそうする。
だって、あの『
野生の猛獣のように暴れてしまったからか衣装は乱れ、あまり見えたいけない部分まで見えていたそう。伝達者である親友殿は「自慢できるものでもないのに」と辛辣なこと言ってたことはさて措き、親父がやった行動は……文章にするのは憚れる行為だから説明しないが、一言で海外勢が「ヘンタイ民族の所業か!」と、場が静まり返るほどの赤面行為を披露してその場を収めた。
これで事が収まるなら何の苦労もなかったのだが、まだ重大な問題を残していた。
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