迷えるウサギ
しばらく寄り道をしながらも廊下を渡り、相も変わらず人気のない道中を歩いていると、やっと見知った巨漢の男を発見した。
自分が、おい!と声や手を上げる前に向こうも気づいたようで、この家の状況に耐えかねていたのか、挨拶もなく駆け寄ってきて開口一番、
「おい、一体全体どういうことだ。家の者がほとんど見当たらないのだが」
「……それ本気で言っているのか?てっきり、宇崎のおっちゃんも一枚噛んでいると思っていたんだが……本当に何も聞いていないのか」と、反応や表情を
巨漢の男は「……あれ、何か聞きそびれたことでもあったかな」と、罰の悪そうな表情を滲ませ後頭部を掻く。
宇崎おっちゃんの反応を鑑みるに、どうやら今回の件には関わっていない様子で、むしろ、なんのこっちゃ?と役立たずなムーブをかます。
軽々しく『宇崎のおっちゃん』と呼んでいるこの人物は、曲がりなりにも銀堂家の本家で参謀長を務める大幹部の一人。本名は『
性格はその恰幅の良さに似合う通りの寛容性と勇猛果敢さを持っている男。加齢と自分の成長の影響でスケールダウンをしたといえ、その威と手腕はいまもまだ健在のままだ。荒れやすい銀堂家の会議でも諫め役としても活躍し、芯もありつつも物腰柔らかな言い回しが特徴のため、危害を加えようにも良心が痛むのか出過ぎた真似をした人ほど怒りの溜飲を下げる。
宇崎のおっちゃんは親父が学生だったころから親交のある人物であり、その後も五代目、六代目、そして、現在の七代目の相談役として活躍している優秀な人間だ。
『銀堂家の宇崎』と聞いて、どっかの海外番組で有名じゃなかったかと頭に過った人もいるとは思うが、そこについて話してしまうと脱線しすぎるから今回は割愛とさせてもらう。
そんな人間ですら、この状況に当惑を露わにしているのだから尋常じゃないないことが起きているのは確かな話であろう。
「……いちおう、おっちゃんの上司から直々に電話で『早く、帰って来い!』って言われ方からこうして帰って来たんだが。本当に何も聞いていないのか?」
「そういわれてもなぁ、特に今日何かあるとか聞かされた記憶がないんだよな。精々、飯も歳も食い過ぎだくらいしか……」
「そんなことは訊いてない」自分はそのボケを素っ気なく突き返した。
「相変わらず、はっきりと事を言うお方だ」
はぁ、と内心ため息を吐きつつ言い草からも察するに本当に何も聞いていないようだ。いっちゃなんだが、状況の不信感よりも助け船だと思って乗り込んでみたら実は難破船だったみたいな期待外れな反応に、落胆する気持ちのほうが強かった。
その感情が滲みださないよう他の表情をしようと考えたが、どうにもこの状況に合った表情が浮かばず、結局、その感情が顔から染み出してきて先ほどの木偶の坊のように渋い顔をして、後頭部を掻くほか手段が思いつかなかった。
すると突然、「どうしたんだいトウゴ、あんたという男が当主の命令を無視するなんて」と聞き馴染みのある嗄れた女性の声が、おっちゃんの背後から聞こえた。その誰何の声は巨漢の男を翻すには十分なツルの一声であり、戸惑う隙も与えずその相手のほうに体躯をむけて、
「こ、これはサナさん……今日はお日柄が良い事で……ハハ」と、乾いた笑い。
「なにがお日柄が良くてよ、今日は本家の敷地には足を入れるなと昨日の定例会議で指示を出したはずなんだけど」
「いや、それは、えっと……その、風呂を、飯を……」おっちゃんはその女性に言い寄られて、変に焦って支離滅裂なことを言い出していた。
「トウゴ!わたしゃの話し聞いてんの⁉」と、女性はご立腹の様子。
このままでは自分との会話開始時間が延びると悟った自分は、語気を強めにしてその女性に対し「おい!クソババァ!おっちゃんのことをイジメるのは勝手だが、先にいったい何が起きているのか自分に説明してもらえるか!」と、可哀想な木偶の坊を廊下の端に寄せ、会話の主導権を奪った。
その行動に『クソババア』と言われた女性は不機嫌な表情を浮かべつつも、宇崎のおっちゃんと自分を数回交互に見やり、腕を組んだ後「はあー」と大きなため息を吐き、自分の暴言を窘めることもなく「わかった」と一言。
続けて女性は指をさし「宇崎!あんさんは今から風呂掃除に行って来てちょうだい。もちろん、男女両方ね!」と宇崎のおっちゃんに指示を出し。
「了解しました!」と敬礼をして二秒も経たずに脱兎の如く、その場をあとにし命令された場所へと逃げていってしまった。
風呂場掃除は経験上、一人でやるなら余裕で三時間以上かかることが判っていたから内心、面倒な貧乏くじを引いたなと、宇崎のおっちゃんを憐れみつつも、次に来る自分への指示を待った。
「付いてきな」と簡素な一言を添えるだけで、女性はスタスタと来た道を戻り始めた。おそらくその先には、今回自分を呼び出した張本人がいるはずだ。
わざわざこうやって呼びつけたんだ、もし内容がしょうことなら一発ぶち込んでやろうという気概が自然と湧いてきて、気合い半分、遊び半分に拳を握り締め、新たな道を示す女性の後ろを追って行った。
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