寄生虫の帰省中
予約を入れて数十分後。住んでいるアパートの前に個人タクシーがやって来た。
いくら春の暖かさが感じられる季節になったとはいえ、冬が例年よりも寒かった影響があってか、まだ吹く風に冷気がしがみついていた。そのため、自分の身体がかなり冷え込んでおり、早く温まりたいという願望が先行し、自動ドアが開いた瞬間に車内へと乗り込んだ。その拍子に一瞬、車内と外気との温度差にやられ、クラッときてコケそうになりつつも座席に手をつき、なんとか定位置に座り込み、朦朧とする意識を正常に戻そうと左手を額に強く押し当て堪えた。
「どちらに向かいましょうか?」運転手は鏡越しに訊いてくる。
「香楽県の松鐘町にある、銀堂家の本山にまで行ってくれ……」
「銀堂本山……随分遠いところですね。それだったら、別の公共機関を利用した方が都合が良いかと、金銭的にも」
「そういうのは気遣いはいらない……。そこの人間だから、さっさと向かってくれ」
「……かしこまりました」
運転手が気にするのも無理はない。自分の無職丸出しの地味な灰色の身なりを見た上に、行き先が『銀堂家の本山』という地名を発するのだから、常体を捻ってでも心配されるのは合点がいく。
『銀堂家の本山』身内では『本家』と呼んでいるから以降は『本家』に統一する。
本家は
それでなんで心配されてかというと、その『ちょくちょく入れていた人々』というのは路頭に迷った罪人や職を失った者、一身の都合により子供が産まれてしまった女性などの人々で、地元では『地獄の道に来たならば、一度は銀堂の本山に向かえ』などと吹聴されているため、名家よりも救済施設としての認知度が根強い。
別に悪いことだとは思っていないが、日常服にこだわりを持たない個人としては高確率で余計な心配をされるから、面倒くさいと思いながらも淡白な睨みを利かせて、相手を一蹴するのがひとつの通例となっている。
まあ、運転手の立場からしてもそこに行くのはイヤになるのも分かる。だって、片道一五〇キロ走行してくれと頼んでいるんだ、自分が運転手だったらターミナル駅まで連れて行ってから別の人に頼んでくれと言って置き去りしている。その点この運転手は黙って直接向かってくれているから、正直のところ助かった。
それにしても、タクシーで本家に戻るたびに分かっていても思うことなのだが、何で有名どころなのに公共交通機関が通っていないんだよと、原因を忘れて愚痴ってしまうときがある。仮に通っていれば、わざわざ個人タクシーを呼んだり捕まえたりする手間を省いて帰省できるというのにだ。
いや、正確には路線はあった。けど、五代目が余計なことをして廃線となった。
この話はまだ兄貴も産まれていなかったころの話。家督争いが行われている最中、親父は母を娶り、毒親から引き剝がすため多額の結納金を収め、そのままの勢いで家督を取りに行くというぶっ飛んだ行動を起こした。その手段というのが問題で、間に合わないと判断した一行は付き添いの人間と共にバスジャックを決行し、本家の正門を突き破るという奇行に走った。
親父が家督を得たあと、県の役人と鉄道会社の役員が来てこっぴどく怒られ、賠償金と近辺の路線撤去を言い渡されて、本家に行くには徒歩か自家用車か、もしくは自分のように雇った公共交通機関を利用することで向かえる場所となってしまった。
その奇行の提案者が親父だったら、ふざけた真似しやがってとド突きまわしても良かったが、提案、実行の指示を出したのが母となれば、不遜な義理の息子であっても勢いづいたことは言えない。
そうこうしているうちに目的地が見えてきた。
あらためて『銀堂家の本山』は山と言ってるが、山間の窪地のど真ん中にある千坪程度ある建物のことで、一見してみれば田舎の風景だと思われるほど
路線バスが通っていたころはそれに乗って、各地の施設での市場調査や娯楽を愉しみ、そのお礼と言わんばかりにお金を落として行き、街の経済も回していた。
その道の他にも、銀堂家の土地に入るルートはいくつかあり、今回通っている道は岬ルートで頂上にくると本家の土地を一望することができる。その道ををのまま道なりに行くと、かの有名な正門(南門)に辿り着く。そこで今回の運転手との旅は終わりとなる。
自分は乗車時と同じ轍を踏まぬよう窓を開け、冷たい外気を取り込み身体を慣れさせた。寒いのはあまり得意ではないが、背に腹は変えられない。
そんなこんなで、十分後。目的地である『銀堂家の本山』に着いた。運転手には連れて来てくれた報酬とチップも弾んで支払い、乗って来たタクシーを見送った。
あらためて正門前に立ち、現場を眺める。自分が幼少の時は修繕されて数年程度しか経っていなかったから修繕跡の白さが目立っていたが、流石に二十と数年経てば、その修繕した跡も以前の壁と同化して古くなり、いまや過去のものになっていた。
門は開放されていて、その枠からは白い玉砂利の庭と池の畔の庭石が見える。
誰かお迎えでも来てくれるのかと、三十秒ほど周囲を確認をするもその様子はなさそうだった。特に期待してはいなかったけども、建前でも自分は呼ばれた立場の人間なのに誰も来ないというのは、どこか寂しいところがある。
――誰も来ないなら勝手に入るぞ。
腐っても実家なのだから良いだろうと思い、門から先に足を入れる。その瞬間、何だか生ぬるい違和感を感じ、歩数が増えるたびに歩行距離が減少し、やがて足を止め、眉間にシワを寄せた。
「一体どういうことだ……?」と、独り言をいう趣味など持ち合わせていないはずなのに、思わず口からこぼれた。
大庭どころか家全体が閑散としている状態。多少物騒な言い回しになるが、まるで家族全員が何者かに襲撃された後のような不気味さが感じられた。状況をさらに確認しようと玉砂利を踏みしめるたびに軽く物寂しい音色が響き、その音に驚いた池の鯉が鈍い水流の音を奏でより陰鬱な雰囲気を醸し出す。
いくら寄生虫のような息子が帰って来たからってここまでの事をするかと疑念を持つのと同時に、案内人もいないのに何処へいけば良いのか判らず、途方に暮れた。
普段であれば、この庭にも何人もの子供や先ほど解説したような人たちが行き交い、人の他にも放し飼いをしている犬や猫、屋根や木々の上ではスズメや山鳥がさえずり、活気と情緒ある庭園風景が彩っている。
そんな大庭なのだが今日に限っては誰もいない。
十中八九原因は、今日、自分が呼ばれた理由に直結することは想像に難くないが、なぜここまでの事をする必要があるかまでは全く想像がつかない。
一刻も早くその呼びつけて来た人間から事情を訊き、一発殴っておきたいが、その肝心の人間がどこにいるかが判らない。三分ほど考えた結果、やみくもに探しても埒が明かないと判断し、それよりかは自室に向かう道中、誰かに出くわすことができれば事情を訊こうという考えに落ち着き、新たな目的地へと足を進めた。
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