玉座に身を据えた父と子

 そんな恐ろしくてシャイな母のあとを追って辿り着いたのは、普段は利用されていない特別な一室の前。そこは最奥の庭に面しているため風通しが良く、襖を開ければその庭園が一望できる。午前中は適度に日差しが入って来て、落ち着いた話をするには絶好の立地となっている。


 自分が知る限りその部屋に入った人物は『家の当主』か『外から来た風変わりな客人』あと『家の決まりを守らなかったバカ』程度である。


 特別な一室とオブラートに包んで表現したが、遊び半分で入室してしまったバカの意見としては『人を遠ざける雰囲気がある異質な部屋』で、身内でなければその部屋にいる何者かに捕まり神隠しにでも遭っていたのかもしれない。


 話だけ聞いていると、客人を招き入れるには不用心ではないかなどと不信感を抱くことだろう。そこについては全く問題ない。なにせ、ガキの頃にそこ周辺で水鉄砲をして遊んでいた経験上、忍者かパルクールできる人間ではなければ目的地に着くことは困難であると識っているからだ。


 たとえば、中庭に大雑把に置かれているように見える庭石は、どこぞの枯山水ではないが、その部屋に向けて狙撃しようにも直接当てることは適わず、進行しようにも特定のルートに誘導され、余裕を持って罠を仕掛けられる仕様となっている。したがって、個人単体での処理も可能だし、あえて目的の部屋に入られてもそのころには対象の人物はおらず、仕掛けが作動して侵入者は袋のネズミになってしまう。


 自分も一度その罠に引っかかり、当主もとい父が来るまでその一室で過ごすことになり、外から夕暮れのサイレンが鳴るころには漆黒の闇が似合う空間となっていた。


 そういった思い出があるため、あまり良い気はしないとはいえ、わざわざこの部屋を用意して話すことだ、普通の内容ではないことは確かなことだなと一旦は気を引き締めたが、そうまでする相手でもないと考えが過り適度に気を抜いた。


「入りな」と、母から簡素な指示を受け、自分はスッと襖を開けて入った。


 相変わらず暗いな……。


 午前中であれば先述した通り適度な日差しが入ってくるものの、正午を過ぎると陽が陰り、極秘の会話をするにはもってこいの明度となる。まあ、明るいところから唐突に暗いところに目を向けているので、まだ眼が慣れておらず言葉のニュアンスよりも暗さが増している影響もあるだろうが、


 早く眼を慣れさせるためにも迅速に襖を閉め、暗がりの奥を見やる。数秒ほど部屋の奥を凝視して、そこに誰がいるかはっきりしてきた。誰か解った瞬間に「やっぱお前か」と心の中で呟き、気付けば生意気な舌打ちをしていた。


 思い返してみれば、この人物に会うためにわざわざこうして帰ってきたんだと改めて襟元を整える。


 体感十秒ほどでようやく夜目が利くようになり、相手の全体図が捉えられるようになってきた。呼び出した張本人の出で立ちは銀堂家当主が代々着用する銀の揺らぎ模様が入った羽織を肩にかぶせ、体調が悪いのかひじ掛けに身体を預け鎮座している。顔の陰影からはぎらついた双眸が白く滑る。光の加減か、どことなく以前会った時よりも皮膚が薄く瘦せ衰えているように見えた。


 座れ、などと指示があるのかとそのまま待ち惚けてたが、その気配は全くなく一つツッコミを入れてやろうかなと考えたが、父の真剣な無言の眼光から鑑みるに逆に待たれている様子だと感じ、無作法であると自覚しつつも勝手に着席し自分は傾聴する姿勢を取った。


 その状態を確認した父は開口一番「お前が次の当主に成れ」と嗄れた声で冗談みたいなことを言いだした。思わずは「は?」と呆気に取られた間抜けな声が出た。


 一体何を言いだすのかと身構えてはいてとはいえ、あまりにも突拍子が過ぎる。一瞬、場を和ませるためのジョークかと気を緩ませてみたところ「冗談ではない」と、眼力をさらに強めて無言の圧をより掛けてくる。形式的に「本気で言っているのか」と、訊き直したところ「あぁ……」と、三度も雑巾を絞ったかのようなか細い声を出し、首肯の意を返してきた。


 自分はその回答を聞いて一秒もかけることもなく「いやです」と即答した。


 瞬間、父は崩れるように飛び掛かってきて、骨張った手でなんとか自分の腕を掴み「頼む、お前しかいないんだ」と、何を意固地にせがんでいるのか分らず動揺した。


 当時は父は何かに触れたのだろうと軽く考えていた。けれど、この後の展開を知っていたなら、これほど必死に懇願してくるのも筋が通る。なぜなら、この会話があった数日後、父は帰らぬ人になるからだ。


 そう考えると、あの時の父親は『五代目当主、銀堂茂也』ではなく『ただの一人の父親』だったのであろう。


 そんなことは微塵も察せなかった当時の自分をその手を振り解き「なんで自分がそれに従わないといけないんだ、クソ親父!」と、怒りの感情をぶつけた。この怒りは決して反抗期のような安っぽい反発ではなく、もう親の手を頼らずとも生きていけるという意思表示でもあり、家の意向に従う道理もないと宣言するものでもあった。


 本家に住んでいた間はずっと『個人でも生きられるよう、たくさんのノウハウを学んでおけ』と教え込まれ、いつか親に向かって『クソジジ』や『クソババア」と吐きつけるくらい立派な人に成れと、両親や家族に仕込まれてきた。


 それがたまたま、いや、それを言い分に自分のエゴを突き通そうとした文字通りの血は争いないレベルの身勝手な行動であり、何も取り繕うこともない無様な言動だ。


 その後「頼む」と、幾度もせがまれ続けたが、お互い意見を譲らないまま平行線に突入し、当時の自分は只々父に不信感を募らせるばかりで不満を口にするほか手段が取れなかった。

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