まじないの行方

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まじないの行方

 わたしは、恋をしていた。


 相手は乃木さん。入社したばかりの広告代理店でチーフデザイナーを務めている。少し近寄りがたい雰囲気を持つひとだが、そこがまたクールでかっこいい。

 やや甘めのフェイスに、モデル並みのすらりとした長身。ファストブランドのTシャツでさえ、上手に着こなしてしまう。要は、何を着ても似合うのだ。

 もちろん、仕事面でも大変優秀で、あちこちのクライアントから引っ張りだこなのだと聞いていた。


 そんな乃木さんと、はじめてすれ違った瞬間、わたしは恋に落ちた。


 もちろん、彼はそんなことは知りもしない。それどころか、彼はわたしの存在すら知らないだろう。

 同じ会社とはいえ、仕事上の接点はまったくと言っていいほどないのだから。

 彼は社内でも精鋭揃いと評判のデザイン室のチーフで、女子社員の憧れで、一介の新入社員のわたしとは立場だって違いすぎる。


 そんな絶望的な片想いに、わたしは甘く苦しめられていた。




 ある日、わたしはお気に入りの雑貨店に、普段とは別の目的で赴いた。

 半年ほど前に見つけたその店のウリは、パワーストーンを使ったアクセサリーだ。

 白を基調とした清潔な店内には色とりどりの天然石たちが『きらきら』と輝き、見ているだけで幸せな気分になれる。

 そのせいか、恋に悩んだり、仕事でミスして落ち込んだりすると、ふらりと立ち寄るようになった。

 今日、身に着けているラピスラズリのネックレスも、つい先日この店で購入したものだ。

 だけど、今日の目的はショッピングでも、『きらきら』に癒されることでもない。


 噂で聞いた、その店の裏メニューの存在である。


 なんでも、その店には『恋を叶えてくれる』裏メニューが存在するというのだ。そんなメニューがあるなんて、これまで足を運んでいてもまったく知らなかった。

 とはいえ、ネットで見つけた情報だし、いかにも怪しかったが、すがるような気持ちで店に入った。

 開店直後とあってか、店内には誰もいなかった。最近店先で見かけるようになった子ネコもいない。


「すみません」

「はーい」


 店の奥から、見慣れない女性スタッフが姿を現した。今日は店長はいないようだ。黒いエプロンに付けられた名札には、ネコタと書かれていた。

 何かお探しですか、と聞かれるが、うまく言葉が出てこない。


「その、こちらのお店に裏メニューがあると聞いてきたのですが」


 思い切って切り出すと、ネコタさんは申し訳なさそうに顔を曇らせた。


「最近、その手の噂が広がっているようなのですが、あいにくその裏メニューというのは扱っていないんです。せっかくお越しいただいたのに、本当にごめんなさい」

 ネコタさんが頭をさげると、小さな身体が一層縮こまった。


「あ、いえ。こちらこそ、すみません。ネットのデマなんて鵜呑みにしてしまって、お恥ずかしいです」

 わたしも恐縮して慌てて頭をさげる。すると、ネコタさんがゆっくりと瞳をのぞきこんできた。吸い込まれそうな目だった。


「恋を、しているんですね?」


 ネコタさんに聞かれ、ええ、まあ、と苦く笑って見せる。だが、ネコタさんは真剣な表情のままだ。


「叶うかどうかは別として、その方を振り向かせることならできるかもしれません」「え?」

 驚いて、わたしはネコタさんを見た。


 ネコタさんは、お守りにと、わたしの手首にクリスタルのブレスレットを付けてくれた。財布を取り出そうとすと、お代はいらないという。


「成功報酬、ということでしょうか?」

「いいえ。ただ、一生懸命恋をするあなたを応援したいんです」


 ネコタさんは、はにかみながら言った。




 翌朝、乃木さんとすれ違った。

 同じフロアとはいえ、わたしの席は北側、乃木さんは南側で、すれ違う機会はそう多くはない。

 なのに、月曜日の朝から乃木さんに会えるとは!

 そんな幸せに浸っていると、一瞬、彼の視線がわたしをとらえたような気がした。 いつもなら、たとえすれ違ったとしても、わたしが認識されることはない。彼にとっては、わたしはいないも同然なのだ。

 だけど、今日は違った。

 たとえ興味を示したのではないとしても、少なくとも存在は認識されていたはずだ。

 これは、ものすごい進歩だった。わたしは思わず、手首のブレスレットを反対の手で握りしめていた。


 その翌日。またも乃木さんとすれ違うチャンスが訪れた。こんな幸運が続いて、よいのだろうか?

 昨日のこともあって、わたしの胸は緊張できゅっとなる。

 今日もちゃんと認識してもらえるんだろうか? また、空気みたいな存在に戻ってしまったらどうしよう?

 不安と期待が入り混じっていく。

 そして、その不安は良いほうへと裏切られた。

 乃木さんは、昨日よりも、もっとはっきりとわたしを見た。

 ただ、心なしか、ツチノコでも発見したような顔になっている。驚きと、戸惑いが入り混じったような表情だ。理由はわからないが、彼ははっきりとわたしの存在に気付いてくれた。それだけは確かだった。

 涙が出るほど嬉しくて、あわてて女子トイレに駆け込み、ブレスレットにキスをした。


 そして、三日目。今日はどんな進展があるのだろう?

 わたしは心躍らずにはいられなかった。うまく行けば、食事の約束くらい取り付けられるかもしれない。なんて、ちょっぴり気が早いだろうか?

  向こうから、乃木さんが歩いてくる。だんだんとその距離が近づいて、嬉しいのに苦しくなる。このややこしさが、面倒なのに愛おしい。

 二人の距離があと数メートルというところで、乃木さんとはっきりと目が合った。私の興奮は絶頂に達し、もはや心臓が持ちそうになかった。頬の熱さからして、きっと真っ赤にちがいない。

 だけど、わたしとは逆に、乃木さんの顔は、みるみるうちに青ざめていった。どこか具合でも悪いのかもしれない。急に心配になったわたしは、乃木さんに声をかけようとした。

 その途端、彼は忽然と視界から消えた。


 逃げたのだ――全速力で。


 訳がわからなかった。




 ふた呼吸ほど遅れて、わたしは乃木さんの後を追いかけた。彼は何かにとり憑かれたように、非常階段を上へ上へと駆け上がっていく。それを追うわたしがようやく屋上へたどり着いたときには、まともに息ができない状態だった。


「は、はあ、ど、うし……て」

 呼吸の合間から言葉を絞り出す。乃木さんも呼吸を乱していて、しばらくの間、ふたりの息遣いだけになった。


「だって……あれ、君だろ?」


 乃木さんが、観念したように声を絞り出した。


「あれ?」

「とぼけないでくれ。あの人形だよ。君にそっくりの」

「え?」

 嫌な予感がした。


 乃木さんから聞かされた話はこうだ。


 数日前、乃木さんの家の玄関口にきれいにラッピングされた包みが置かれていた。差出人は書かれていなかったが、乃木さんに宛てられたものであることは間違いなかった。

 包みを開けてみると、そこには人形が入っていた。よく小さな女の子が抱っこしているようなフリルのドレスを着た西洋風の人形だ。ただ、西洋人形ほどの精巧さはなかったし、目の色も髪の色も黒かったから、違和感を覚えたらしい。

 包みの中も、人形本体も丹念に調べたが、差出人に行きつくような情報はなかった。

 なんだってこんなものが贈られてきたんだ? 気味が悪くなった乃木さんは、ゴミ箱に人形を投げ捨てた。

 その途端、ゴミ箱の中からジーっという音とともに、「あなたの運命の人はサエグサミキです」と声がした。どこか幼さの残る声だったという。むろん、乃木さんはその名にも心当たりはなかった。

 慌てて乃木さんが人形を拾い上げると、もう一度、言い含めるように「あなたの運命の人はサエグサミキです」と人形は言った。さらに、「末永くお幸せに」と続いた。 すっかりこわくなった乃木さんは、捨てることも叶わず、今は部屋の隅に置いて布をかぶせてあるという。


 翌日、乃木さんは偶然社内ですれ違った女子社員に妙な胸騒ぎを覚えた。どこかで会ったことがあるような気がして、落ち着かなかった。とはいえ、同じ社内なのだから、見かけたことくらいあっても不思議ではないと、あまり深く考えることはなかったという。

 だけど、再びすれ違ったときに乃木さんは気付いてしまった。その女子社員があの人形にそっくりであることに。あの人形は、この子なんだと、そう確信した。

 乃木さんが同僚にその女子社員のことを聞いてまわると、その子の同期だという後輩が教えてくれた。「彼女は、庶務課の三枝ミキですよ」と。


――そう。三枝ミキとは、わたしのことだ。


 その後、乃木さんにはストーカーよりタチが悪いからもう勘弁してくれと厳重注意され、わたしの恋は終わった。


 翌朝、わたしのデスクの上に手提げの紙袋が置かれていた。袋は有名デパートのものだ。

 中身は分かりきっていて、開けるまでもなかった。それでも恐る恐る開けたのは、一抹の希望を捨てきれていなかったせいかもしれない。

 予想通り、袋の中にはわたしそっくりの人形が入っていた。だけど、それだけだ。他にはメッセージはおろか、誰が誰に宛てたのか書かれたメモすらも入ってはいなかった。


 人形を通じて、わたしの心が突き返された、そんな気がした。




 わたしは、再びあの雑貨店を訪れていた。もちろん、苦情を言うためだ。

 お代は払っていないから返金はないにしても、ひとこと言ってやらないことにはどうにも気が治まらなかった。

 店長を呼び、わたしにそっくりの人形を突き返し、ひどい目にあったと訴えた。わたしが文句をたらたら垂れている間、店長はひどく戸惑った顔をしていた。ようやく話が一段落したところで、店長はおそるおそる口を開いた。


「大変申し訳ないのですが、私には何のことか……。この人形のことも存じ上げませんし、そもそもそのような裏メニューは当店にはありません。何か誤解されているようなことはないでしょうか?」


「ありません。店長さんがご存知ないのなら、そちらのスタッフの方が独断でやられたということでしょう。スタッフの管理もお店側の責任だと思いますけど」


 つい、口調が険しくなってしまったが、店長は冷静に頭を下げた。


「まったくお客様のおっしゃるとおりです。このことについては厳重に注意いたします。ところで、そのときに対応したスタッフの名前はおわかりでしょうか?」

「ネコタさんです」

「ネコタ?」

 店長は首をかしげた。


「はい、ネコタさん。ちゃんとネームプレートにも書いてありましたし、間違いありません」


 嫌な間があった。そしてその予感は的中する。


「あの、大変申し上げにくいのですが、当店にはネコタという名前のスタッフはおりません。少なくとも、ここ三年の間には」


 狐につままれるというのは、きっとこういうことを言うのだろう。だったら、あのネコタさんはどこの誰だというのだ。店長に詰め寄りたい気持ちを、ぐっと抑える。 

 もはや店長は憐れみに近い目でわたしを見ていた。妄想にとりつかれた残念な女だと思われているのかもしれない。わたしは、あきらめるしかなかった。これ以上ねばったところで、最後は警察を呼ばれるのがオチだ。


 それに、とても重要なことに気付いてしまったのだ。ネコタさんには乃木さんの名前すら明かしていなかったことを。


 ぐにゃりと世界がゆがんだような気がした。


 自分自身、あの日この店でネコタさんと会ったことが、夢かうつつか自信が持てなくなっていた。




「ナーン」


 店を出ると、子ネコの鳴き声に呼び止められた。

 最近見かけるオッドアイが美しい黒猫の子どもだ。首輪はしていないから、野良かもしれない。

 わたしは、可愛らしい子ネコにチチチと舌を鳴らしてみた。子ネコは興味深そうな顔でじっとこちらを見つめている。


(ゴメンナサイ)


 ふいに、どこからともなく届いた声にわたしは顔を上げ、辺りを見回した。だけど、誰もいない。店に客はなく、店長がひとり陳列棚を整理している。

 気のせいかと思いかけた時、もう一度、聞こえた。ゴメンナサイ、と。きょろきょろするわたしを子ネコは静かに見上げている。


「うそ……」


 しばらくして、その声が「聞こえている」のではないことに、わたしはようやく気が付いた。こんな経験したことがないから、うまく表現できないが、こう頭の中に直接響いてくる、そんな感じだ。


「まさか、あなたなの?」

 恐る恐るわたしは目の前の子ネコに視線を移す。


『あたし、まさかこんなことになるなんておもわなかったの』


 もはや、頭の中はパニックだった。自分の身に起きていることが、いまだ信じられずにいる。逃げ出してしまいたいのに、肝心の足は震えるばかりで、身動きすらままならない。


『ただ、おねえさんのスキをかなえてあげたかっただけなの』


「え?」

 自分の耳、いや、頭を疑った。あの人形は、まさかこの子が――?

 半信半疑のままだし、何が起きているのかすら理解できていないけれど、問わずにはいられなかった。


「ネコちゃん、もしかしてあなたなの? あなたがあんなことをしたの?」


 子ネコはオッドアイを揺らしてから、ゆっくりと頭を垂れた。心なしか、耳がしょんぼりしている。


「おこらないから、大丈夫。本当のことを教えて」


 わたしはしゃがみ込んで、その小さな頭をそっと撫でてやった。不思議と心は凪始めていた。ぬくもりが手のひらからゆっくりと伝わってくる。子ネコは気持ちよさそうに目を細めた。


 子ネコは、それからすべて教えてくれた。

 神さまの祝福により、子どものネコには一度だけ魔法を使うことが許されていることを。それを、そのたった一度しか使えない魔法をわたしのために使ったということを――。


 少し前からわたしのことを知っていたという子ネコは、わたしの心の中に『きらきら』を見つけたのだと言った。少し照れくさいのだけれど、その『きらきら』は、とてもきれいだったそうだ。それで、わたしのために、魔法を使うことにした。サエグサミキの望みを叶えるために。

 だけど、それには問題もあった。人間の恋愛を成就させる魔法なんて聞いたこともなかったのだ。それに、まだ子どものネコには、どうすれば人が人を好きになるのかもよくわからなかった。

 そんな時、近所の公園で小さな女の子が自分のお人形にお願いごとをしているのを見て、「これだ」と思ったらしい。


――そう、乃木さんのもとへ贈られたあの人形は、子ネコの願いが込められた、おまじないだったのだ。


 やがて、子ネコの声にノイズが混ざり始めた。だんだんとその声が聞き取りにくくなってくる。


『もう、じかんだ』


 子ネコは言った。いよいよ魔法が解けることを、知っているのだ。わたしはとっさに子ネコに手を伸ばした。


「待って」


 魔法が解けてしまうその前に、どうしても伝えておかなければならないことがあった。わたしは優しく子ネコを胸に抱きよせた。いつのまにか温かな涙が頬をつたっている。


「ありがとう」


 涙声で囁くわたしに、子ネコは「ニャア」と嬉しそうに鳴いた。


    


    

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