第2話 ギルばばあ
クラスの担任だったわけでも、人生において大きな影響を与えられたわけでもないのに、強く記憶に残っている先生がいる。中学校二年の時に国語を教わっていたI先生だ。
教師陣の中でもひときわ変わったオーラを放つ五十歳近くの女の先生で、痩せ気味で、いつもゴシックロリータ調の黒い服を着ていた。もしかしたら他の服も着ていたかもしれないが、黒い服以外を着ていた様子が思い出せない。目つきは鋭くダミ声で、少し腰を屈めながらゆっくりと歩くのが癖で、魔女みたいだった。
そして、なんと言ってもI先生といえば特筆すべきなのは「ギル」である。ギルとは、I先生の授業で発言したり前に出て発表したりすると配られる、幅1センチ、長さ4センチくらいの「Gil」と書かれた黄色い紙片である。「ギル」の由来は不明だ。家電量販店のポイントのような概念で、集めたギルは学期末に集計して成績に加味されるとI先生は言っていた。ギルの導入直後は、皆がギルを欲しがり、普段他の授業では手を挙げないようなクラスメイトも積極的に発表しようとしていた。
私が通っていたのは片田舎の公立中学校だったから、勉強熱心ではない生徒が多く、授業中にはよく立ち歩いたり遊んだりする生徒が出て授業が停滞するようなことがしばしばあった。提出物の期限などあってないようなもので、なし崩し的に期限が延長されることが恒常化していたから、高校に入って提出物の提出期限を破るクラスメイトが誰もいなかったことに驚いたくらいだ。
そんな学校だから、I先生はこのギル制度を導入することでゲーム感覚を持ってもらい、国語への勉強意欲を高めようとしたのだろう。残念ながら次第にみんなのギルに対する熱意は薄れ、ギルのために頑張る人は少なくなったが、それでもI先生は授業のたびにギルを配った。いつの間にか、I先生はみんなからギルばばあと呼ばれるようになっていた。
その後も続いていたギル制度だが、突然終わりを迎えることとなる。ある日、何の前触れもなく、授業の開始直後に全てのギルが回収されたのだ。一番後ろの人から前の人に自分のギルを受け渡していくよう言われ、今までギルを集めてきた僕らは文句を言いながら従った。ギルばばあは僕らの不平には耳を貸さず、最前列からギルを集めて黒いファスナーのついた小さなポーチにしまい、集めた理由には触れることなく、いつものように授業を始めた。
その日以降、ギルばばあが授業中にギルを配ることはなかった。
当初は謎だったギルが廃止された理由であるが、噂によると、別のクラスでギルをチップがわりに賭けて遊ぶ、お願いを聞いてもらう代わりにギルを渡す、などの闇取引が発覚して問題となったことが理由のようだった。
こうして呆気なくギルは消え、ギルばばあというあだ名だけが残った。そして、中学校三年生に進級すると国語の担当が他の先生に変わり、ギルばばあと関わる機会は無くなった。
先生から見たら、長い教師生活の中でたまたま一年間国語を教えただけの生徒の一人だから、ギルばばあは私のことを覚えていないだろう。それでも、不思議なことに私は先生のことをこうして時々思い出す。数年ぶりにmixiにログインして中学校のコミュニティを覗いてみたが、名前は見つからなかった。
ギルばばあ、いえ、I先生、お元気ですか。
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