第64話 色気がありました

 そして、その頬に口づける。髭が当たって、少し痛かった。

 驚いたように、シルヴィスさまがこちらに顔を向けてくる。


「……エレノアは」

「はい?」


 そして少し視線をさまよわせたあと、ふいっと目をそらす。

 うん?

 たまに、この動きするんだけれど、なんなんだろう。


「ときどき、妙な色気があって、困る」


 つぶやくように、そう口にした。

 顔を隠すように、その大きな手を口元にやっている。よくよく見ると、耳まで真っ赤じゃないですか。


 色気。

 あるんですか、そんなものが私に。

 そんな高等技術を身につけているんですか、私。

 あの動きをするときは、私に色気を感じていたときだったんですか。


 なんてことだろう。

 なあんだ。ローザやフローラや侍女たちに訊かなくても、私、色気があったんじゃないですか。ふふふ。

 これはなかなかの無敵っぷりじゃないですか。

 私って、すごくない? 生まれながらに色気を持っているだなんて。


 じゃあついでにもうひとつ、おねだりしてみよう。

 調子に乗ったっていいじゃない。

 だって色気があるならなんでもできる気がするし。


「わたくし、シルヴィスさまにもうひとつお願いが」

「なんだろうか」


 彼はこちらに顔を向けて、私の言葉を待っている。

 なので私は嬉々としてお願いした。


「髭、剃ってください」

「え」

「痛いです」


 私がそう重ねると、シルヴィスさまは自分の髭を撫でながら、考え込んでしまった。


「いや……これは」


 戸惑うように、答えを言いあぐねている。

 あれ? 色気があるなら、これくらい聞いてくれると思ったのに。


「駄目……なんですか?」


 そんなに難しい話ではないと思ったのだけれど。だって髭を剃るだけじゃない。

 アダルベラスには、髭を生やしていないといけないとかいう掟でもあるんだろうか。

 いや、そんなはずはない。

 だって生やしていない殿方もいっぱいいるもの。


 シルヴィスさまは、なんだか言いにくそうに口を開く。


「それが……」

「はい」

「髭を剃ると、かなり幼くなるらしいのだ」


 なんですって!

 私はその返事を聞いて、歓喜の声を上げた。


「幼く!」


 それは朗報!


「王者としての威厳は欲しいと思って伸ばしているのだ」


 大丈夫大丈夫、髭ごときで威厳は失われませんって。

 見たい。幼くなるシルヴィスさま、見たい!


「剃ってください。今すぐ!」

「嫌だ」


 早っ。

 間髪を入れずに返事が返ってきた。

 もう少し考えてみてから結論出してくださいよ。


「じゃあ、今すぐとは言いませんから」

「嫌だ」


 頑なに意思を曲げない。

 ええ? どうして?


「剃ってくださいよう」

「い、や、だ」

「なんでー!」


 私が首に抱きついて揺さぶってみると、ははは、と笑いながら両腕で私を抱き直して、その場でくるくると回ってみせた。


「きゃっ」


 慌ててしがみつく。シルヴィスさまは、ますます声を出して笑う。

 ……これ、絶対、面白がってる!


「やめてください、やめてくださいってば!」

「わかったわかった」


 すぐに動きは止めたけれど、でも私を抱き上げたままだ。


「エレノアは面白いな」


 そう口にして笑う。

 面白い、というのは褒め言葉だとは言っていたけれど……。


「わたくしは面白くありません」


 ぷう、と頬を膨らませて抗議の姿勢をとる。本当は、そんなには怒っていないんだけれど。

 シルヴィスさまは口の端を上げて謝ってくる。


「すまない、つい」

「……子ども扱いですよね」

「そうか?」

「そうです」


 私が深くうなずくと、シルヴィスさまは、ふむ、と考え込んだ。


「そうか。よく考えてみよう」


 真面目な顔をして、そんなことを零す。

 そんなシルヴィスさまを見ていると、なんだか少し不安になってきた。

 なので、問う。


「わたくし、やっぱり子どもっぽいですか?」

「え?」


 私の言葉に、シルヴィスさまはこちらに顔を向けてくる。


「子どもっぽい……というか、十六歳ならこれくらいではないだろうか」

「そうですか……」

「けれどエレノアはしっかりしているし、子どもっぽい、という感じではない」


 少し肩を落とした私を見て、慌てたようにシルヴィスさまは言い繕ってくる。


「さきほど言ったではないか。エレノアは立派な大人だと」

「ええ……」


 でも。

 もしかしたら、子ども扱いされるのは、私にも問題があるのかもしれない。


「でも、わたくし……やっぱり子どもなのかしら、とは思うのです。王妃になるのだから、大人にならないと」


 私は、ちょっと身体を離して、そう話した。あんまり抱きついていたら、子どもっぽいかと思ったから。


 シルヴィスさまは、少しの間、目を伏せて考えてから、こちらに顔を向けて口を開いた。


「もちろん、王妃となれば、腹芸が必要になることもあるだろう」


 そうだ。きっとそうだ。

 いつまでも無邪気なままではいられない。

 世の中にはままならないことが溢れていて、私はその荒波の中で生きていかなければならない。


 シルヴィスさまはチラリと壁際に視線を向ける。

 そこには大きな花瓶がある。今はグラジオラスの花が飾られていた。

 それからシルヴィスさまは私と目を合わせ、口を開く。


「エレノアは、そうだな、ジギタリスに似ているかもしれない」

「えっ」


 紫色の小さな花を鈴生りに咲かせる、華やかな植物。

 その美しい見た目に、人々は惹かれる。

 でも。


「あんなに気高く美しい姿をして、目を楽しませてくれもするし心も華やぐが、けれど猛毒なのだと気付かぬ者も多い」

「ご存じ……でしたか」


 ジギタリスの毒性は非常に強い。死に至らしめることも可能だ。

 その知識が彼にはある。

 初めてこの部屋に来たとき、あの大きな花瓶にはジギタリスが飾られていた。もちろんフローラは単純に、綺麗だからと飾ったのだろう。

 けれどシルヴィスさまは、その毒性に着目していた。

 それなのに、飾られた花に興味を示す私になにも言わなかったのだ。

 あのとき、端から私を疑っていなかったのか、様子を窺っていただけなのかはわからない。

 けれど今に至っても、彼は私を疑うような素振りをしたこともないし、逆に毒物を要求することもなかった。


「まあ、多少は勉強している。もちろんエレノアほどではないが」


 苦笑交じりでそう明かす。

 

「その毒性に、思わず手を伸ばしたくなる瞬間が来るのかもしれない。けれど、エレノアにはそのままでいて欲しいと思うのだ。綺麗なままのそなただからこそ、愛され、味方がたくさんできたのだ」


 彼の言葉が、私の胸の中に染み込んでくる。


「そなたが無邪気なままでいられるよう、余が守ろう。世の理不尽やままならないことは、余にまかせておけばよい」


 シルヴィスさまは、そう語ると笑った。


「エレノアは、毒ではなく薬の国の生まれだと誇ればよい。だからもう、あんなことは余が言わせない」


 毒をご用意します、などとは二度と口にしなくてもいいと。


 これが、私の好きになった人。

 私の夫となる人。

 なんて頼もしくて、なんて温かで、なんて大きい。


「……ジギタリスは、葉が薬になるのです」

「そうなのか。そこまでは知らなかったな」

「わたくしが知っています」


 私はまた、ぎゅっとシルヴィスさまの首にしがみついた。


「大好きです」


 愛しています、という言葉は、私にはまだ早い気がした。

 シルヴィスさまは私の言葉に、小さく笑った。


          ◇


 少しして、シルヴィスさまは私を抱えたまま歩き出した。


「もう遅いし、今日は寝なければ」


 顔を上げると、寝所のほうに向かっているのがわかった。

 こ、これは!

 もしかして、もしかするんでしょうか!


 私はシルヴィスさまの歩みの邪魔にならないように、でもどきどきするのを隠すように、彼の頭に頬を寄せた。

 シルヴィスさまは、肩に私を担いだときと同じように、寝所の扉に手をかける。

 そしてゆっくりと部屋の中を横切り、ベッドに向かう。


 どうしよう。なんだか恥ずかしい。恥ずかしいけれど、受け入れよう。


 私が心密かにそう決心している間に、シルヴィスさまは腰を屈めて私をベッドの端に腰掛けさせた。

 そして、こちらに顔を近付けてくる。

 私はぎゅっと目を閉じた。


「……今日は、逃げないのだな」

「に、逃げません」


 私の答えに小さく笑ったのが聞こえた。それから、額に彼の手が当たったかと思うと、柔らかな感触。

 額に、口づけられたのだ。


 私はゆっくりと目を開け、シルヴィスさまを見上げる。

 彼は柔らかな表情をして、私を見つめていた。


「おやすみ、エレノア」


 私は口づけられた額に手を当てて、問う。


「あ、あの……いいんですか? あの……」


 シルヴィスさまはうなずく。


「とても残念ではあるが、婚姻の儀が終わるまでは、そういうことはおあずけだ」

「そ、そうなんですか」

「来たるべき日まで我慢できるのが、大人の男というものだよ」


 そうしてシルヴィスさまは、余裕のある笑みを私に向けた。

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