第63話 抱き上げてもらいました

「しかし、あの話の登場人物と重ねられるとなると、なかなか気を抜けない」


 シルヴィスさまは顎に手を当てて、困ったようにそう口にした。


 まあ……アルもフェリクスもリュシアンも、理想の具現化ですからね。

 ローザ曰く、『夢にも程があります』、ということなので。

 でもシルヴィスさまは素敵だもの。フェリクスに匹敵するくらい素敵だもの。

 アダルベラス王家の美形の血脈、ありがとう!

 それに、なんと言っても、お腹が出ていなかったのは大きい!


「実は、少しお腹が出ていらっしゃるのではないかと心配しておりました」

「そ、そうか。出ていないと思うのだが」

「ええ、出ておりませんわ」


 私たちは、なんの話をしているのか。


「鍛えているのでな」


 シルヴィスさまは、少し誇らしげにそう胸を張った。

 知ってます、とは言わないほうがいいんだろうな。


「まあ、そうでしたの」


 クリスティーネさま、内緒だというお約束は守ります。

 私は知らない素振りで、ちょっとだけ驚いたふりをしてみせた。


「殴ってみてもいいぞ」

「えっ」


 シルヴィスさまは上着の前を開けて、こちらにお腹を突き出した。

 いったいなんの儀式なんだろう、これ。


「殴る……んですか、お腹を?」

「ああ。今までの恨みを込めてもいいぞ」


 ……恨みを込めると、けっこうな力になりそうです。

 いいのかしら。痛くないのかしら。


 確認するようにシルヴィスさまを見上げると、彼はにこにこしながら待っている。

 これ、殴るまで終わらないっぽいなあ。

 そういうことなら、断る理由もないので、戸惑いつつも言われた通りにしてみます。


「ええと、では」


 私は拳を作って、えいっ、とお腹を殴ってみた。

 あっ、硬い。

 シルヴィスさまはびくともしない。


「もっと強く殴っても大丈夫だ」


 さらに誇らしく、シルヴィスさまは続けた。

 ……なんだか、可愛いです。

 そういうわけで、私はもう少し力を込めて、殴ってみた。


「えいっ」


 けっこう力を入れたつもりだけれど、やっぱりびくともしなかった。


「おおー」


 思わず声が出た。

 シルヴィスさまは、にこにこしている。


 ……やっぱり、可愛いですね。

 というか、今まで大人だ大人だと思っていたけれど、案外この人、子どもっぽいのでは。

 というのは黙っておこうかな。


「逞しいんですのね」


 私はにっこり笑ってそう褒めた。いや、にやついてきた。だってなんだか可愛らしいから。


「そう言ってもらえてよかった」


 嬉しそうな声を出しながら、シルヴィスさまは席に着く。

 落ち着いたのか、彼は果実酒に手をつけた。

 なんだか元気になったみたいで、よかった。私はほっと安堵のため息をつく。


 シルヴィスさまが満足げに果実酒を飲んでいるのを眺めながら、私は考える。


 それにしても。

 『恋夢』の模倣とはいえ、「愛している」って言われるなんて。

 やっぱり嬉しい。とっても嬉しい。

 きっと、シルヴィスさまも言われたら嬉しいわよね。言ったほうがいいのかしら。

 よ、よし。がんばってみよう。


「あ、あの、シルヴィスさま」

「うん?」


 私の呼び掛けに、彼は顔を上げる。

 その顔を見ていると、なんだか恥ずかしくなってきた。


「あの、あの……わたくし、わたくしも……」


 が、がんばれ、私。

 私は言ってもらえたんだから、私もがんばらないと。


「わたくしも、シルヴィスさまのこと……あ、あ……」


 というか、よく平然と「愛している」だなんて言えましたね! 今、すごく尊敬しました!


「えっと、あの、あ……」


 恥ずかしい! これは予想以上に恥ずかしい!

 顔が熱い。なんだか手が震えてきた。

 がんばれ、私!


 けれどシルヴィスさまは小さく笑って、制止してきた。


「無理をせずともよい」

「え、あの」

「今はもう、十分に伝わっている。そんなに無理をして言うことではない。時間はいくらでもあるのだから、そのうち聞かせてほしい」


 微笑んでそう語られ、なんだか肩の力が抜けた。

 やっぱりこの人、大人なんだわ。

 そう思った。


「はい。そのうちに、これは参った、と思わせるくらいの「愛しています」を聞かせて差し上げますわ」


 椅子に座り直すと、つんとすまして私はそう宣言する。

 きっといつか、腰が抜けてしまうくらいの「愛しています」を言ってやるんだから。


 けれどシルヴィスさまは、少し驚いたように顔を上げ、何度か目を瞬かせた。


「……これは、数には入れないことにする」

「はい?」

「いや、なんでもない」


 シルヴィスさまは自分の顔の前で、ひらひらと手を振った。

 そして慌てたように、言葉を連ねる。


「そ、そういえば、婚姻の儀も近いが」

「はい」

「滞りなく準備は進んでいると聞いてはいるが、なにか足りないものとか、要望はあるか?」


 そういえば、って。

 なんだか急に、実務的な話になりましたね。

 なにかを誤魔化している感じみたいだけれど、まあいいか。


「要望……」


 私は頬に手を当てて考えてみる。

 そう言われると、それはあまり考えていなかったなあ。

 なにもかも用意されていたし、言われた通りに動くことがほとんどだった。

 当日に着るドレスも、全面的に私に任せてもらえて、お針子の方たちもがんばってくれて、素敵なものができているし。

 装飾品も、ドレスに合わせて職人の方たちが全力を尽くしてくれていたし。

 式次第も何度も確認したけれど、特に不満なんてなかった。


「いえ、特に……。あっ」


 私はひとつ思いついて、手を叩いた。

 シルヴィスさまはなぜだかほっとしたように息を吐くと、こちらに身を乗り出してきた。


「あったか?」

「あの、これは、婚姻の儀とは関係ないんですけれど、その前に達成しておきたいことがありまして、それでもいいですか?」

「達成?」


 シルヴィスさまは、そうおうむ返しにして、目を瞬かせる。けれどすぐにうなずいた。


「ああ、言ってくれ。極力、叶えよう」


 言いましたね。では言っちゃいます。

 お覚悟を。


「実は、シルヴィスさまにお願いが」

「うん? 余にか? なんだろうか」

「だ、だ、だ……」

「だ?」

「だっ、抱き上げてください!」


 だってあんな、荷物みたいに担がれたというのが納得いかない。

 婚姻の儀の前に、ちゃんと抱き上げてもらって、あれは打ち消しておきたい。

 今こそやってもらいましょう、恋物語のように!


 私はかなり思い切ってお願いしたのだけれど、シルヴィスさまは小首を傾げる。


「え?」


 その、わけがわからない、と言っているような顔を見ていると、なんだか不安になってきた。


「あの……肩に担ぐんじゃないんですよ?」


 私がそう確認すると、シルヴィスさまは小さく笑った。


「ああ、なるほど。大丈夫だ、あんな失礼なことはもうしない」


 くつくつと喉の奥で笑ったあと、こちらを見て訊く。


「そんなことでいいのか?」

「そんなことではありません!」


 そんなことじゃないんです。大事なんです。わかって、この気持ち!


「そうか。そういうことなら」


 シルヴィスさまは席から立ち上がって、こちらに歩み寄ってきた。

 私はどきどきしながら、それを待つ。

 あ、立っていたほうがいいかしら。と思いつき、私は椅子から立ち上がった。

 シルヴィスさまが、こちらに腕を伸ばしてくる。


 ついに念願の! やったー、言ってみるものね!


 そしてシルヴィスさまは。

 私の腰を持ったと思ったら、そのまま上に上げて、そして自身の腕に座らせた。


「こうだろうか?」


 私はしばらく呆然と、口もきけずに、シルヴィスさまを見下ろしてしまった。


 いや……これじゃないです……。

 私がしてほしかったのは、私を横にして抱くやつです……。

 これ、子どもを抱き上げるときのやり方ですよね……。


 私は頭を上げて辺りを見回す。視界が高い。

 横を向くと、シルヴィスさまの顔が少し下にあって、とても近かった。


 まあいいか。これもいい。

 いや、これがいい。


「はい」


 私はそのまま、シルヴィスさまの首に抱きついた。

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