第65話 書かれました
寝所を退室していったシルヴィスさまに呼ばれたのか、少ししてフローラが寝所に入ってきて、寝衣の準備をしてくれた。
さあ寝よう、となったとき、ふいに話し掛けられた。
「あの……エレノア殿下」
「なに?」
フローラはもじもじと指先を弄んでいる。
うん? なんだろう。
「私、陛下に『恋夢』を紹介しましたでしょう?」
「あ……ああ……そうらしいわね……」
おかげで腰を抜かしました。
「それで……陛下にお見せする前に、中身を確認しましたの。あ、万が一、お目汚しになってはいけませんから」
「ええ」
これは。
なんとなく次の言葉がわかります。
ふふふ。そうでしょう、そうでしょう。
「それで……あの……」
「ええ」
「あれ……素敵と思います……」
顔が真っ赤になっている。
純情なんですね。
私は立ち上がり、フローラに手を差し出した。
フローラは私の顔と手を何度か見比べ。
そして、腕を伸ばしてきて私の手を取った。
お互いに、ぎゅっと手を握り締める。
「お願いできる?」
「お任せください。必ずや、果たしてみせます」
『恋夢』の輸入を!
できる女、フローラならば、やってくれるでしょう。
アダルベラスに『恋夢』が広がる日も遠くない!
いやあ、これは安心安心。
「では、おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」
私はベッドの中に潜り込む。
それを見届けたフローラがランプを消して、退室していって。
暗闇の中で、今日一日のことを考える。怒涛の一日だった。
クロヴィスさまと笑ってお別れをして。
シルヴィスさまがまた偽装結婚のことを言い出して。
でもそれから、「愛している」って言われて。
フローラには恋夢の輸入に尽力してもらえそう。
悲しいこともあったけれど、楽しいこともたくさんあった。嬉しいこともたくさんあった。
私、本当に、アダルベラスに来てよかった。
シルヴィスさまの婚約者でよかった。
そんな幸せな気持ちを抱いて、私は眠りについたのだった。
◇
婚姻の儀を明日に控え。
私は四阿でシルヴィスさまを待っていた。
独身最後に二人でお茶会をしよう、と提案したら受け入れられたのだ。
もちろんお忙しいみたいで、きちんと時間が決まっているわけではないのだけれど、待っている時間だって楽しい。
けれど私は、テーブルの上に頬杖をついていた。
「やっぱり、現実は厳しいわよねえ」
私はほう、とため息をつきながらつぶやいた。
「なんですか、突然」
控えていたローザが抑揚のない声でそう問うてくる。
「なかなかうまくいかないなって」
「なにがですか」
ローザが首を傾げる。
聞いてくださいよ、それがですね。
「髭を……剃ってくれないの……」
「そんなくだらない話とは夢にも思いませんでした」
「くだらなくないわよ」
私は唇を尖らせる。
髭を剃ったら幼くなるなんて、見てみたいじゃないの。
それに、お似合いの二人だって言われるようになるかもしれないし。
どうせ髭なんて、すぐ生えてくるわよ。どうしても無理だって言うなら、剃ったあとに伸ばせばいいじゃない。
なのに、頑として受け入れてくれない。
色気があるっていうから、可愛く言ってみたりもしたんだけれど、まったく効いていない。
どういうことなんだろう。やっぱり色気、ないのかな。
「色気ってなんなのかしら……」
「そんなことより」
「そんなことよりって」
私の悩みは一切受け入れません、とでも言わんばかりの表情をして、ローザは手に持っていた紙の束を私に差し出した。
「書きました」
「なにを」
「物語です」
「ああー……」
そういえば、アダルベラスに入国する前に、言ったのだった。
あんまり『恋夢』が非現実的な話だって主張するから、それなら現実的な物語をローザが書いたらいいじゃない、って。
「今、お暇でしょう? 読んでみてください」
私の空き時間を狙っていたのか。
まあいいや。シルヴィスさまが来るまでは暇だし。
どうせ夢も希望もない物語なんだろうけれど。
ローザの差し出す紙の束を受け取ると、私はぺらりとめくる。
私の横に立ったローザは、私に向かって説明し始めた。
「私としては、限りなく現実に寄せることに心を砕きました」
「へえ」
意外や意外、文章力はあったらしい。
読みやすいし、まとまっているし、ぐいぐい次を読みたくはなる。
なる、けれど。
「な……なによ……これ」
「なにって、私が書いた物語です」
「私の話じゃないの!」
「ですから、限りなく現実に寄せたらこうなったのです」
これを物語と呼んでいいのか。
ある意味、侍女による観察日記じゃないですか。
というか、けっこういろんなことを把握していたんですね。
なんでハーゼンバインに向かう馬車の中で額に口づけされたこと、知っているんですか。恐ろしい。
「『王妃殿下が大絶賛!』って宣伝打ってもいいですか。そうしたら売れます。そして私は男に頼らず生きていけます」
「そんなこと狙ってたの」
「お金は大事です」
言いながら、ローザは大きくうなずく。
いや……そりゃあ、大事なんだろうけれど。
「だめよ、だめだめ。まるきり私の話なんて……」
そこで、はた、と思い当たって動きを止める。
ローザは首を傾げて問うてくる。
「なんですか?」
「あ、いや、オルラーフならいいかなあ」
「えっ」
「だってお父さまもお母さまも、心配しているでしょう? これ見たら安心するかもしれないし」
「なるほど」
ローザは何度も小さくうなずいた。
私が出国するときには泣いていた国民たちだって、安心するかも。
「ちょっと恥ずかしいけれど……でも安心してもらえるならいいかなって」
「ならば、オルラーフの出版社に連絡を取ってみましょう」
ローザは満足げにそんなことを提案する。
私は紙の束をテーブルに置くと、頬杖をついてそんなローザをしげしげと眺めたあと、訊いてみた。
「……これ、書きたいから書いたわけじゃないのよね?」
「まあ、それなりに楽しかったですよ」
「でも、男に頼らず一人で生きていく、というのが主目的なのよね」
「そうですね」
「けれど、頼れる人はいるじゃない?」
私の言葉に、ローザはぴたりと動きを止めた。
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