第51話 情けなくなりました

「捕らえよ」


 シルヴィスさまの言葉に、壁際に控えていた衛兵たちが動き出した。

 それを見たシルヴィスさまは、ケヴィン殿下に背を向ける。それは拒絶の意味を持っているように思えた。


 座り込んだままの王弟殿下は、ふいにゆらりと立ち上がる。

 手になにか持っているのが見えた。


「シルヴィスさま!」


 私は慌てて大声を出した。

 その手に握られているのは懐剣だ。

 王弟殿下はまっすぐに、まったく迷うことなく、その背中に突進しようとしている。衛兵の位置からでは間に合いそうにない。


 息を呑む。そんな。

 けれどシルヴィスさまはすんでのところで半身を躱し、伸ばされた王弟殿下の腕をつかむと、そのままその腕をテーブルに押し付けた。

 テーブルが揺れ、その上にあった銀食器たちがガシャンと音をたてる。

 握られていた懐剣が、テーブルの上に投げ出された。


「ああっ」

「怠惰な生活を送っているから、動きが遅いのだ……!」


 鍛えられた身体のシルヴィスさまと王弟殿下では、動きがまったく違う。

 そしてシルヴィスさまはそのまま王弟殿下の腕に体重を乗せた。


「姫さま!」


 ローザが慌てて私の目を手のひらで隠した。

 二人が揉み合っているのが見えなくなる。

 けれど、聞こえた。嫌な音が。


「うああああ!」


 同時に王弟殿下の叫びも聞こえた。

 折ったのだ。腕を。


 ローザが私の目に置いた手に、私は自分の手を当て、外させる。

 見届けなければいけない、そんな気がした。


 再び王弟殿下は崩れ落ち、のたうち回っていた。


「ちくしょう……! おのれ……ちくしょう……!」


 呪詛の言葉を吐きながら、王弟殿下は腕を押さえている。

 衛兵たちが慌てて、のたうつ彼を取り押さえていた。腕はありえない方向に曲がってしまっている。


 シルヴィスさまはそれを、冷ややかな眼差しで見下ろしていた。

 取り押さえられた王弟殿下は、それでも顔を上げ、兄を見る。


「……あなたは昔から優秀でした。そして、なにもかもが順調でした」


 荒い息で、喋り始める。

 シルヴィスさまはそれを止めはしなかった。

 彼の叫びを聞くべきだ、と思ったのかもしれない。


「ところが! 思わぬところで足止めをくらった。オルラーフには王女がなかなか生まれなかった!」


 その額からは脂汗がにじみ出ているのに、笑いながら彼は続ける。


「やっと勝ったと思いました。あなたは王であるが故に、男としての楽しみも知らぬまま、己の家族を作ることもできぬまま、年老いていく。正直、ざまあみろと思いましたよ」


 長年、蓄積され、熟成されたその嫉妬心が、彼の口から滑り落ちてくる。

 耳障りな、嫌な声だった。

 けれどシルヴィスさまは黙ってそれを聞いている。


「なのに、なんだ、これは!」


 ケヴィン殿下は私のほうに振り返った。

 いやらしい、汚れたような視線だった。


「最後の最後に、若く美しい王女を娶ることになった!」


 私を見る目が、怖い。

 思わず腕を交差させて自分の肩を抱いた。

 汚される、と思った。


 ローザは守るように、私の目前に立つ。視界からあの男が消えて、ほっとする。

 見届けなければいけない、と思っていたのに。その決心はあっさりと覆された。


 恐ろしかった。

 けれど、もしシルヴィスさまがいなかったら。

 私は彼の妻になっていたのだ。


 その想像は、私の身体を冷たくする。

 すまない、と謝っていたお父さま。ごめんなさい、と泣いていたお母さま。

 彼らは彼らの人生の中で、どれだけのことを経験したのだろう。どれだけの理不尽を受け入れてきたのだろう。

 現実は、上手くいかないこともある、と我が身でどれだけ知ったのだろう。

 そして、ただ無邪気に嫁ぐ娘を、どれだけ心配したのだろう。


 そこにいるのは、ありえた未来だ。


「せっかく唯一誇れることだったのに、私の妻は後ろ盾も失くした上に老い始めているというのに、なんでもかんでも手に入れて」


 醜い表情を浮かべ、彼は言い募る。まだ言い足りない、とでも思っているかのように。


「あんなに美しいクリスティーネまでも!」


 その言葉に、私は固まる。

 どうして今、クリスティーネさまの名前が出て来たのだろう。

 どうして?


 王弟殿下は半笑いで、シルヴィスさまに訴える。


「だからもういいでしょう? 私にくださいよ。あなたの持っているもの、私にください。ずるいですよ、兄上ばかり」

「もういい。……醜悪に過ぎる」


 そして今度こそ、背中を向けて振り返らなかった。


「連れて行け。それから、外でエルマ夫人が待っているだろう。中に入れろ」

「はっ」


 衛兵たちが、呻く王弟殿下を抱えるようにして、部屋を出て行く。

 それを見送ると、シルヴィスさまはフローラに指示した。


「ハーゼンバイン辺境伯を呼べ。早急に、そして内密に」

「かしこまりました」


 フローラは落ち着いた態度でそう承知すると、頭を下げ、そして部屋を出て行った。


 シルヴィスさまは、そこで私に振り返る。

 私はそのとき、彼の表情から、なにも読み取ることができなかった。


「エレノア、巻き込んでしまって申し訳ない」

「……いえ」

「ここまでしないと、納得しない方々がいるものでな」

「承知しております」


 シルヴィスさまは、アダルベラスの最高権力者。つまり、裁きにおいても彼の言葉は絶対だ。

 けれど段階を踏まなければ、いくら国王といえど信用を失う。

 完全にケヴィン殿下に非があったと言える状況にしなければならなかったのだ。毒を入れたのは誰なのか、はっきりさせなければならなかった。


「心苦しくはあるが、今しばらく、お付き合い願いたい」

「はい」


 私はうなずく。

 確かに、巻き込まれたと言ってもいい状況ではあるだろう。

 けれどそれは当たり前のことで、王妃となる私は今回だけでなく、これから先もそれを覚悟しなければならない。


「姫さま、大丈夫ですか」


 ローザが心配そうにこちらを覗き込んでくる。


「大丈夫よ」


 私は微笑んでそう返した。けれどローザには、微笑みに見えただろうか。彼女は眉尻を下げる。

 確かに、見たくないものを見てしまったような気分ではあった。王弟が王位簒奪を目論み、そして失敗したという場面を目撃した。


 けれど。

 それよりも私の頭の中は、違うことでいっぱいだった。


 こんなときなのに。

 それが少し、情けなかった。

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