第52話 その理由がわかりませんでした

 王弟殿下と入れ替わるように食堂に入ってきたエルマ夫人は、落ち着かなく辺りを見回した。

 その様子を椅子に腰かけたまま黙ってしばらく見つめたあと、シルヴィスさまは問う。


「そなたを呼んだ理由はわかるか?」


 呼び掛けられて、彼女ははっとしたように国王のほうに目を移す。


「え……は、はい」


 エルマ夫人は戸惑いつつ、うなずいた。

 ならば彼女も知っているということだろうか。ケヴィン殿下が王位簒奪を目論んだということを。


「本当に、わかるのだな?」

「は……はい」


 なんだろう。なにか様子がおかしい。

 彼女は落ち着かなく視線を泳がせ、自信なさげだ。

 できる限りの情報をこの場から得ようとしているように見える。


「では、申してみよ」

「え」

「ケヴィンがしでかしてしまったことを」


 問われた彼女は、困ったように辺りをきょろきょろと見回す。

 誰か答えを知らないか、と尋ねているように思えた。


「あ、あの……」

「申せ」


 きっぱりと命じる国王の言葉に負けたのか、彼女は自信なさげではあったが、おずおずと喋り始めた。


「あの……殿下が……陛下に……その、暴力を振るって……」


 暴力。確かにそう言えなくもない。

 けれどおそらくは、それは扉の外で聞いていたことから推測した事柄だ。扉の外では物音が少し聞こえた程度だったのだろう。


 知らないのだ、彼女は。

 なのにどうして、知っていると嘘をつこうとしているのか。


「あ、あの……申し訳ありませんでした」

「なぜ謝る」

「え、あの、殿下が失礼なことを……」

「王位簒奪は、失礼という言葉では済まされない」


 その言葉を聞いた瞬間、エルマ夫人の顔から、目に見えて血の気が引いた。

 やっぱり。彼女はこの件に関与していない。


 しばらく夫人は絶句していたけれど、ふいに頭を上げる。

 そして、こう続けた。


「それは……そう、わたくしが、企んだことなのです」


 私は我が耳を疑った。

 今、この人はなにを言ったのだろう。

 彼女の様子を見るに、間違いなくエルマ夫人はなにも知らないと思われるのに。


 シルヴィスさまは小さくため息をつき、告げた。


「エルマ、余の前で虚偽の発言をするな」

「いいえ、わたくしは寄る辺もない身。ただただ、我が夫を王にしたかった。それだけなのです」

「エルマ」

「ですから、罪はわたくしに」


 彼女は頑なに、そう言い張る。

 エルマ夫人がケヴィン殿下の罪を被ろうとしている。

 その理由が、私にはわからなかった。


「ケヴィンは認めた。そなたが罪を被ることはない」

「それは、そう、夫がわたくしを庇ったのですわ」


 彼は、自らの手であんな風にシルヴィスさまを刺そうとした。その時点で、彼自身の意思だったとわかる。

 ありえない。夫人を庇っただなんて。


「では、検めさせてもらう」

「はい。でもなにも出てこないと思います」

「関わっていないからではないのか」

「いいえ、証拠になりそうなものは、すべて処分してしまいましたから」


 どうしても、自分の罪だということにしたいらしい。

 シルヴィスさまは、目を閉じて額に手を当てる。

 しばらく何事かを考え込んだあと、顔を上げた。


「では、身体検査を。部屋も検めろ」


 衛兵と侍女たちに向かって指示する。

 そして続けた。


「たぶん、出てくる。証拠と言えるものが」


 シルヴィスさまのその言葉に、夫人は息を呑んだ。

 そう、さきほどシルヴィスさまが言っていた。『最悪、エルマ夫人に疑いがかかるようになっている』と。

 その言葉で、夫人はわかったはずだ。彼女の夫は彼女を庇うどころか、罪を着せようとしたことを。


「いいのか?」


 シルヴィスさまはエルマ夫人に振り返って、問う。


「は……」

「もし言う通り、そなたが企てたのだとしたら、極刑もありえるぞ」


 その言葉に、エルマ夫人はごくりと唾を飲み込んだ。


「……はい」


 けれど彼女は、曲げはしなかった。

 シルヴィスさまは小さく首を横に振る。


「理解できない」


 エルマ夫人は俯き、そして口の端を上げた。


「理解なんて、あなたにできるわけがない」


 私はそのつぶやきを聴き逃さなかった。


          ◇


 身体検査をするため、エルマ夫人は侍女たちに連れられて食堂を出て行った。

 衛兵たちもエルマ夫人の部屋を検めるために退室していく。


 しばらく食堂内は、シルヴィスさまと私とローザの三人だけになったけれど、私たちはなんの言葉も交わさなかった。

 しばらくして、衛兵が戻ってくる。


「陛下」


 そして耳打ちしたあと、シルヴィスさまになにか手渡した。

 シルヴィスさまはそれを自分の手のひらの上に置いたあと、こちらに振り向く。


「エレノア、それとローザ」

「はい」


 呼び掛けられて、答える。


「そなたらは、匂いでさきほどの毒物がわかるのだったな?」

「はい」


 私は立ち上がり、シルヴィスさまの傍に寄る。


「わかるだろうか」


 テーブルの上に、彼はそっと茶色の小さななにかを置く。覗き込むと、薬包だった。


「開けてみても?」


 ローザが問うと、彼はうなずく。

 けれどすぐに、慌てたように制してきた。


「あ、いや、大丈夫か?」


 匂いを嗅ぐことによって、なにか影響はありはしないかと。


「大丈夫です。匂いで昏倒するものではありません」

「そうか。なら頼む」


 ローザが丁寧に薬包を開く。しかし少し開けたところで、あ、と声を出した。


「これですね、さきほどの毒は」

「……そうか」


 そうつぶやくように零すと、シルヴィスさまは天を仰ぐ。

 ローザはまた丁寧に薬包を包み直していた。


 そのとき、食堂の扉が開いた。フローラだった。

 フローラはこちらまで歩み寄ってくると、一礼する。

 なぜか、彼女の目は赤くなっていた。


「陛下。ハーゼンバイン辺境伯閣下への連絡は、滞りなく。伝騎を出しました」

「そうか」

「それと……私、さきほどちょうど行き合ったものですから、エルマ夫人の……身体検査に立ち会いまして……」


 フローラの声が震え始める。彼女はなんとか平静を保とうとしているようではあった。

 けれど、何度か口を開こうとするたび、やはり声が震えてしまうらしく、上手く喋れないようだった。


「……行こう。他の侍女たちは」


 シルヴィスさまが立ち上がりながら訊く。

 答えられないフローラの代わりに、薬包を持ってきた衛兵が答えた。


「すぐ先の控室にいるはずです。エルマ夫人の身体検査のために空いている部屋を使いましたから」


 その言葉に、フローラはこくこくとうなずく。

 シルヴィスさまは衛兵に連れられ、部屋を出て行く。


「フローラ?」


 私がフローラに呼び掛けると、彼女は口元を手で隠して、目を閉じて俯いた。


「申し訳ありません、私の口からは憚られます……」

「そう……」


 ささやくように言われるその言葉に、私は黙り込むしかできなかった。

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