第50話 愚かな人でした

 しばらく俯いたまま、シルヴィスさまは黙り込んでいた。

 王弟殿下は、見下したような視線を彼に向けている。


 周りの者の、自分に向けられた冷たい目にも気付かずに。


 はあ、とため息をつくと、シルヴィスさまは顔を上げる。

 そして王弟殿下を静かに見つめた。その瞳に、彼はなにかを感じ取ったのか、身じろぎして一歩、下がった。


「浅慮なのは、お前だ。ケヴィン」


 冷たい声音。

 私はシルヴィスさまのそんな声を知らなかった。


「は?」

「今、自分がお前よりも先に生まれたことを、神に感謝していた」

「な……」

「そこまで浅はかだと、とても王位を譲る気にはなれない」


 そうだ。

 シルヴィスさまはたぶん、王位にこだわってはいない。

 なにせ、偽装結婚のために早期に王位を降りようとしていたくらいだ。

 自分よりも優秀な者が現れれば、退位するくらいの覚悟をしているのではないか。


「まだ気付かないのか?」


 視線を逸らさず問い詰めるシルヴィスさまに対して、王弟殿下は目を泳がせる。


「……なんの、ことやら……」

「語るに落ちた、とはこのことだ」

「いや、ですから、なんのことか……」

「では、皆に聞こう」


 シルヴィスさまは、侍女たちのほうに視線を移した。


「そなたらは、さきほどのケヴィンの言葉を聞いて、なにを思った?」


 視線を受けた一人の侍女が、周りをきょろきょろと見回したあと、おずおずと口を開く。


「あ、あの……では申し上げます」

「ああ」

「毒が入っていたのは、果実酒だったのか、と……。てっきりお食事のほうかと思い込んでおりましたので」


 侍女のその言葉を聞き、王弟殿下は息を呑んだ。

 ようやく、自分の失言に気が付いたのだ。

 そしてローザが先ほど、なにを指さしたのかにも気付いたのだろう。

 彼女は食事を指さした。決してワインボトルではなかった。

 その場にいた者たちは、ローザの行動に誘導されて、毒が盛られたのは食事のほうだと思い込んだ。

 ワインボトルに毒を仕込んだ、王弟殿下以外は。


「い、いや、それは」


 焦るように王弟殿下は口を開く。

 やはり暑くもないのに、汗をかきはじめていた。


「なにか申し開きが?」


 冷静に、シルヴィスさまはそう問うた。


「いや、私は、そう、私も、思い込んだのです。果実酒に毒が入っていると陛下が思っていらっしゃると」

「余は、そなたが入室してきてから、一度もワインボトルを見ていない。意識的にそうしていた。それでも?」

「そ、それでもです。あるでしょう、そういう思い込みは」

「まあ、あるかもしれないな」


 シルヴィスさまはそう軽く口にして立ち上がると、ケヴィン殿下の前まで歩み寄り、腰に手を当て、彼を見つめる。


「余がいない間に、ずいぶんこそこそと動き回っていたようだな」

「は……」

「有力貴族に働きかけたが、賛同を得られなかったか。金もずいぶん動かしたようだが」


 そうだ、あの日。

 ハーゼンバイン領への旅行から帰ってきたあの日。


 シルヴィスさまは、なんらかの報告を受けていた。帰ってきたばかりだったというのに、早急に対応を迫られていたようだった。

 王弟殿下の動きのことだったのか。


「そのまま大人しく引き下がればいいものを、なぜ実力行使に出た」

「へ、陛下、誤解です。私はただ、アダルベラス王家への忠誠を貴族たちに確認していただけです」

「ほう? まだ言い逃れするつもりか」

「言い逃れなどと。それに、毒を盛ったのは私ではありません」


 なんの説得力もない言葉を、彼は喋り続ける。

 もちろんシルヴィスさまの心を動かすものではない。


「とぼけても無駄だ。調べればすぐにわかる」


 王弟殿下はそこで安心したように、口の端を上げて返した。


「では調べてください。そうですよ、調べてください。疑うならば、それからだ」


 しどろもどろだった王弟殿下が、急に自信を持ったように言い始める。

 なるほど。毒の入手について、なんらかの工作を施しているのだと推測できた。


「……エレノアの侍女殿に罪を被せるつもりで動いているのだな」

「罪を被せる? 罪が明るみになるだけではないですか?」


 その言葉を無視して、シルヴィスさまは続けた。


「更に言えば、それが無理でも最悪、エルマ夫人に疑いがかかるようになっている」


 言い切った。

 その言葉に、ケヴィン殿下はヒュッと喉を鳴らした。

 彼の様子から、シルヴィスさまの考えが間違っていないことが窺い知れた。


 シルヴィスさまは、どこまで把握して、どこまで確信しているのだろう。

 まさか妻であるエルマ夫人を犯人に仕立てようと考えているだなんて、私は思いつきもしなかった。


「やはりな」

「そ、そんなことは」

「情けない。本当に情けない。ケヴィン、ここまで愚かとは」


 シルヴィスさまは苦々しげに首を横に何度も振る。


「なんの疑いもなく調べると出てこないことも、疑ってかかればどうだろうな」

「陛下、聞いてくだ……」

「十分だ。そなたの言葉はもう聞くに値しない」


 すべてを拒絶するような言葉に、王弟殿下は顔色を青くする。

 もうなんの弁解も、そして詫び言すらも聞く気はない、と通告されたのだ。

 それが、アダルベラス最高権力者の決定なのだ。


「あ、兄上」


 縋るような目をして、王弟殿下は呼び掛ける。

 その言葉に、シルヴィスさまが嫌悪の表情を浮かべたことには気付いたのだろうか。


「兄上、私は血を分けた弟ですよ?」

「ここまでやって、慈悲を求めるな。そんな覚悟しかないなら最初から手を出すべきではない。王位簒奪の罪を許すほど、余は愚かではない」


 きっぱりとシルヴィスさまは告げる。

 もう言い逃れはできないと悟ったのか、王弟殿下はその場で膝から崩れ落ちた。


 本当に、愚かな人だ。

 こんな人が王位簒奪だなんて。もし成功していたらと思うと、ぞっとする。

 いや、愚かだからこそ、簒奪だなんて考え付いたのか。


 ケヴィン殿下は崩れ落ちたまま、ぼそぼそと喋り始める。


「ええ、貴族たちにいろいろと言ってはみたし、金も動かしましたけれどね」


 くつくつと喉の奥で笑いながら、座り込んだ王弟殿下は言い連ねる。


「どいつもこいつも、乗ってこない。金は、口止め料も兼ねていたんですが、なんの意味もなかったようだ」


 ふっと笑うと、彼は顔を上げて、シルヴィスさまを見た。


「兄上にここまで人望があるとは思いませんでしたよ」

「……余に人望があったのではない」


 お前になさすぎたのだ、とシルヴィスさまは小さくつぶやいた。

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