第47話 怒られました

 婚姻の儀まであと二週間と迫ったところで、私はシルヴィスさまから夕食のお誘いを受けた。


 食堂に向かうと、いつものように、スープも前菜も主菜も、もうすでにすべてがテーブルに並んでいる。


「お誘いくださいまして、ありがとうございます」


 私は礼を述べながら、席に着く。


「いや、忙しいだろうに、急にすまない」


 申し訳なさそうに、シルヴィスさまは私に向かって謝った。


「いいえ、シルヴィスさまに比べれば」


 私がそう返すと、彼は苦笑する。


「なにかと立て込んでいてね。できる限り、夕食をご一緒するというお約束だったのだが」

「それでもこうして合間を縫ってお誘いくださいましたもの、嬉しく思います」

「そうか。それならいいが」


 シルヴィスさまは、そう返事をして笑った。


 ハーゼンバインへの旅行中からもうずっと、偽装結婚の話は一度たりとも出ていない。

 私はもちろん、意識的に口にしていない。

 偽装結婚なんてするつもりはないのだもの。


 きっともうシルヴィスさまだって、本当に私を妻にするつもりなのではないかしら。だからあれから偽装結婚だなんて口にしないのではないのかしら。

 つまり、シルヴィスさまとお約束した通り、『お互いを好きになったら、普通に結婚』ということでいいのではないかしら。


 シルヴィスさまが私を好きかどうかはわからないけれど。

 少なくとも、私はシルヴィスさまが好きなのだもの。

 彼が自分に自信がないというのなら、自信がつくまで私が何度だって『好きだ』って聞かせるわ。

 そしていつか、本当に私のことを好きになっていただけたらいい。そのために、私はがんばるだけだわ。


 私はちらりとシルヴィスさまを盗み見る。

 彼はちょうど、ワインボトルに手を掛けたところだった。給仕人がいないからだろう。すでに栓は開けられていて、逆にして再度、栓を挿し直していたものだった。

 私はそれをぼんやり眺めながら、思う。


 そうだ、今からもう、『好きだ』って告白しちゃおうかしら。

 ちょっと恥ずかしいけれど、やっぱりそれは、知っていて欲しいもの。

 でも急にそんなことを伝えたりしたら、驚かれてしまうかしら。

 もしかしたら、『余も好きだ』なーんて。うわわわわ。

 それは浮かれ過ぎかしら。もちろん言われたら嬉しいけれど。

 嫌われてはいないと思うのだけれど、どうなんだろう。


 私のこと、どう思っていますか?

 それを訊くのは、少し、怖い。


 シルヴィスさまの手が、ワインボトルの栓に掛けられる。

 そしてそれが抜かれたとき、どこかで嗅いだことのある匂いがした。

 一気に血の気が引いた。頭の中で繰り広げられていた浮ついた考えが、すべて一瞬にして吹き飛んだ。


 シルヴィスさまがワインボトルを傾け、果実酒を銀のゴブレットに注ぐ。

 間違いない。

 これは。


「飲まないで!」


 私はそう叫ぶと同時に、テーブルにバンッと手をついて立ち上がった。そのはずみで倒れた私の銀のゴブレットが、銀の皿に当たり派手な音を立てる。

 シルヴィスさまは驚いたようで、こちらを見て動きを止めた。


「毒です!」

「え?」


 彼は呆然としたまま、こちらを見ている。

 ワインボトルを持ったまま、固まってしまっていた。


「いかがなさいました、姫さま!」


 私の声が聞こえたのだろう。

 食堂の扉が勢いよく開き、ローザが飛び込んできた。


「毒よ」

「あ、本当ですね」


 すん、と空気を匂うと、ローザは冷静に肯定した。


「え……?」


 シルヴィスさまだけは、置いてきぼりをくらったように、ただこちらを眺めているだけだ。


「ちょっと失礼」


 私は自分の席を離れ、シルヴィスさまのほうに歩み寄った。

 彼が持っていたワインボトルを手に取ろうとボトルの首を持つと、シルヴィスさまは素直にそれを手放す。

 彼は、少しだけゴブレットに注いだ果実酒を覗き込んだ。


「……銀食器はなんの反応もしていないようだが……」

「ある種の毒に触れると変色するだけで、すべての毒に反応するわけではありません。銀食器は万能ではないんです。逆に、毒でなくとも反応することもあります」

「そう……そうか。そういえば、揃えたときに聞いたな……」


 そう零すと、黙り込んで髭を弄びつつなにやら考えている。口を開こうとはしない。

 けれどかなり動揺しているのが見て取れた。落ち着かなく身体のどこかを常に動かしている。

 それはそうだろう。

 自分が殺されようとしたのだ。

 それにしてはまだ冷静な態度と言えた。


「なにかしら」


 私はローザに訊いてみる。

 彼女はボトルの口あたりを手で扇ぎ、その匂いを再度、嗅いだ。


「覚えはあるんです。植物……ではありますよね」

「そうね」


 私は倒れたままの自分のゴブレットを手に取り、それに果実酒を注いだ。

 そして、ほんの少し、口に含む。ローザはそれを見つめていた。


 ローザは毒に対する知識はあっても、毒に慣れてはいない。いや、慣れてはいけなかった。彼女が毒見するとしたら、それが毒だと、死んで私に知らせなければならない。

 だから味を確かめるには、私が口に含むべきなのだ。この国内でこれを口にできるのは私一人だ。


 口に入れて少しして、テーブルナプキンにそれを吐き出す。

 果実酒の味が強い。わかりにくい。私はお酒は飲まないし。


「毒人参……かしら」

「ああ、匂いはそれですね」


 そんなことを話し合っていると、シルヴィスさまが立ち上がり、こちらに大股で近寄ってきた。


「シルヴィスさま、これ……」

「今、なにをした!」


 ビリビリと空気が震えるような怒号。

 私は唖然として、シルヴィスさまの顔を見つめた。


「え……」

「なぜ飲んだ!」

「あの、確認しようと思って。毒の種類を」

「どうしてそんなことをする! なにかあったらどうする!」


 とつぜん肩をわしづかみにして、私の身体を揺さぶってくる。肩が、痛い。

 私は慌てて弁明する。


「いえ、あの、わたくし、これくらいなら大丈夫です。飲んでいませんし。匂いでだいたいのところはわかりましたし。毒には慣らされているので」

「昨日までが大丈夫でも、今日も大丈夫だとなぜ言える!」

「え……あの……」


 あまりの剣幕に、次の言葉が出てこない。

 シルヴィスさまは、ばっとローザに振り返る。


「ローザ!」

「はっ、はい!」


 びくりと肩を震わせて、ローザは直立不動の姿勢をとった。


「君もなぜ静観している! なぜ止めない!」

「あ、あの、申し訳ありません!」


 謝罪の言葉を口にし、彼女はばっと腰を折って頭を下げた。

 こんなに動揺しているローザを見るのは初めてだ。どんなときでも飄々としているのに。

 けれど、気持ちはわかる。その怒りに気圧されたのだ。


 それは、今までに見たことがない、シルヴィスさまの姿だった。

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