第46話 なにも言えませんでした
数日は、旅に出ている間に滞っていたことをこなさねばならないらしく、シルヴィスさまはなかなか時間が作れないようだった。
私はまだ来賓という立場であるから、自分に関わることだけこなせばいいけれど、シルヴィスさまは仕事に忙殺されているようだ。
こうしている間にも、着々と婚姻の儀は近付いてきている。
けれどあの旅の間に、私の思い違いでなければ、二人の距離は縮まったように思う。
きっともうシルヴィスさまだって、私が本気ということをわかってくださっているのではないかしら。
というか、わかっていなかったら、鈍感にもほどがあります。
その場合、今度こそあの髭を引っ張って、「目を覚ませー!」って耳元で叫んでやりたいと思います。
はい、臨時をはさんで第五回、女子会開催です。
「思うに、陛下は自己評価が低いのですわ」
フローラがそう言った。
私もそんな気はしていたけれど。
「どうしてそんなことになったのかしら」
アダルベラス王国の最高権力者だというのに。
自己評価が低くなるような出来事が想像つかない。
むしろ、傲慢にならないよう自己を諫めなければならないことのほうが多いような気がする。
私だってそうだわ。王女であるというだけで崇められることもあるけれど、それに相応しい人物になれるようにと、いつも戒められていた。
それができているかできていないかは、わからないけれど。
「たぶん……ですけれど」
フローラが声をひそめ、皆がテーブルの中央のほうへ顔を寄せる。
「陛下が王太子として擁立されてから、もうお相手が決まっておりましたでしょう?」
「え、ええ」
そのお相手というのは、言うまでもなく、私だ。
「ですから、どのご令嬢も陛下には近寄りませんでした」
「ははあ」
単純に、女性に言い寄られた経験がない、と。
ついでに言うと、言い寄ることもできなかったはずだ。
でもそれは、シルヴィスさまのせいではないのに。
「それで、ご令嬢たちが誰に群がったかというと、ケヴィン殿下ですわ」
他の侍女たちも、その言葉にうなずく。皆は心当たりがあるらしい。
「それはそれは凄かったそうです。その頃はまだ決まったお相手はおりませんでしたし。私はそのときまだ子どもでしたから、よくは覚えておりませんが、今でも語り草ですわ」
「もちろん、ご令嬢がたのご意思だけではないんですの。私の姉なども、親に焚きつけられまして」
「私もです」
「我が家も……」
どこも一緒なのか、と侍女たちは顔を見合わせている。
「この国の当時の独身で、一番、権力と財力があったんでしょうね」
ローザは一人、納得したようにうなずきながら、そう口にする。
いやまあ、そういうことなんだろうけれど。
ちょっと黙っておいてください。
「ケヴィン殿下がそんなに……全体的に出ているのに」
私がそうつぶやくように零すと、侍女たちが全員同時に噴き出した。
「まあ……今では少々、出てますけど……」
「当時はそうでもなかったかと……」
口元を押さえて肩を震わせながら、侍女たちはそう弁明する。
そこまで皆さんのツボに入るということは、きっと皆、同じように思っていたんですね。
フローラがひとつ咳払いをして、続ける。
「ご兄弟ですから、近すぎて比較してしまったのではないでしょうか。陛下の御心を推し量るなどおこがましいことですけれど」
「なるほど」
同じ王子でありながら。
片や、令嬢たちを群がらせ。
片や、女性は誰も寄ってこない。
自己評価が低くなっても、仕方ないのかしらね。
「それで、ケヴィン殿下に群がっていた女性たちの中から、エルマ夫人が選ばれたのね」
「違います」
「えっ」
私の推測を、間髪を入れずにフローラが否定した。
「政略結婚ですわ。エルマ夫人は、当時の教皇猊下の孫娘ですの。教会との繋がりを強固にしたい王族側からの申し出と聞き及んでおります」
「へえ」
そういえば、シルヴィスさまが政略結婚だと教えてくれたわね。
それでも最初は上手くいっていたように見えた、とも。
するとフローラはまた、テーブルの中央に向かって顔を寄せ、私たちもそれに倣った。その様子を見てから、彼女はひそやかに口を開いた。
「ところがその教皇は、二年前にその座を降りられまして、完全に退いておられます。噂では、暗い癒着で利益を得ていて、それが原因で引きずり降ろされたとか」
「ははあ」
「まあ、噂話ですから、どこまで信用していいものかはわかりませんけれど」
でもそれが本当ならば、エルマ夫人の立場はない。
そのことが原因で、ケヴィン殿下はエルマ夫人のことを軽んじるようになったのだろうか。
始まりは政略結婚だけれど。でも、自分の子どもを産んでくれた女性なのに。
やっぱりなんだか嫌な感じだ。
◇
その数日後、私はクロヴィスさまとお茶会をすることになった。
弓場では疲れるのではないかと、どうやら気を使ってくれたらしい。
王宮の中庭の四阿で、私たちは向かい合って座る。
シルヴィスさまはあいかわらず公務に追われていて、あの旅以降、会えていない。
「伯父上は、お忙しそうだな」
「ええ、そのようです」
「……婚姻の儀も、近付いているしな」
「はい」
もう、そのとき着るドレスも完成に近い。
教会での洗礼も終わった。
式が終わってから、王都を少し馬車で回る予定だけれど、すでに場所取りをしている民もいると報告が上がっている。
少しずつだけれど、でも着実に、その日は近付いている。
私は、アダルベラス王妃になる。
「エレノアは」
「はい」
「この政略結婚を、嫌だと思ったことはないか?」
クロヴィスさまのその言葉に、息が詰まりそうになる。
けれど、答えはひとつだ。
「ありません」
「そうか」
私の返事に、クロヴィスさまはわずかに目を伏せる。
「それなら、いい」
八歳の少年とは思えない、どこか、達観したような表情をしていた。
「伯父上は、私の憧れの大人なのだ」
「そうなのですか」
「私から見ると、なんでもできる人のように思える」
そう言って口の端を上げる。
けれど少しして、テーブルの上で拳をぎゅっと握った。その手が震えている。
「私は……どうしてなにもできないのだろう」
「クロヴィスさま?」
「大人になったら、できるようになるのだろうか」
できますよ、と安易には答えられなかった。
彼ができないことが何なのか、推し量れなかったのだ。
恋愛だとか、それだけではないような気がする。
そしてそれは、簡単に立ち入ってはいけないことのように思えたのだ。
なにも口にすることができずにただ彼を見つめていると、クロヴィスさまは少しして、ひとつ、息を吐いた。
そして顔を上げて、こちらに向かってにっこりと微笑む。
「大丈夫だ。すまない、弱音を吐いてしまった」
「い……いえ」
私はなにか彼に言うべきなのだろうかと、いったん口を開いた。
けれど出てくる言葉はなくて、結局、黙り込んでしまう。
私がクロヴィスさまにできることなど、なにもない。
そんな気がした。
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