第41話 二人乗りをしました

 翌朝は、ローザに叩き起こされた。


「姫さま、起きてくださいな!」


 最終的には両手首を握られて、無理矢理起き上がらされた。

 ぼーっとした頭のまま、顔を洗われ、着替えさせられ、髪を結われ、化粧を施される。

 欠伸をひとつするとローザは、はーっと息を吐いた。


「まったく、だらしのない。早く起きてくださいよ。私の仕事を増やすのなら、お給金の追加を要求しますよ」

「実は昨日の夜、眠れなかったのよね……」


 楽しみ過ぎて。

 初日の失敗を、今日もしたわけだ。


 さすがにその頃になると、頭も冴えてくる。自分の身体を見下ろしてみると、身に着けているのはドレスではないことに気付く。


「あれ?」

「今頃、気付いたんですね」


 腰に手を当てて、呆れたようにローザが言う。

 私が身に着けているのは、どう見ても乗馬服だった。白いシャツに黒のジャケット、黒い細身のパンツ。そういえば、片足ずつ上げられて、ブーツに足を通したような記憶がある。

 確かに、なぜ今頃気付いたのだろう、と自分でも疑問だ。


「ここまでやって、やっと気付くなんて、いくらなんでも呆けすぎです」

「だってえ」


 ぐずぐずと言い訳していると、侍女たちはくすくすと笑った。


「陛下が乗馬服で、と仰ったんですよ。だから辺境伯夫人が貸してくださったんです」


 さすがに乗馬服は持って来ていなかったんですよね、と侍女の一人はため息交じりだ。


「ということは、馬に乗るのかしら」

「かと思いますけれど」

「わたくし、乗馬は得意じゃないんだけれど……」


 得意じゃないというか、ほとんど乗ったことがない。

 移動は、馬車か船だもの。

 どうしよう、困った。


「えっ、以前、遠乗りがしたいと仰っていませんでしたっけ?」


 侍女の一人が驚いたように確認してくる。

 言いました。

 でもそれは。


「あのときは、二人で一頭の馬に乗るだなんて寝言を仰っていたんですよ」


 ローザがそう説明すると、ああ、と侍女たちはうなずく。


「でもそのとき、馬は危険だから無理だって」


 そうフローラたちが止めたのだ。


「そうですよね。でも陛下が仰っているのだから」

「単純に、馬に乗るのではなくとも、軽装のほうがいいと思われたのかもしれませんし」

「まあとにかく、陛下に訊いてくださいな。これから朝食ですし」


 それもそうだ。いろいろ考えても仕方ない。

 私は素直に食堂に向かうことにした。


          ◇


「あら良かった、ちょうどいい感じですわね」


 食堂に入った私を見て、クリスティーネさまは微笑んだ。


「お貸しくださって、ありがとうございます」

「いいえ、大きさがどうかと思ったのですけれど。きつかったり、ゆるかったりするところはありませんか? でしたら急いでお直しさせましょう」

「いえ、大丈夫です」


 クリスティーネさまのほうが、身長が高い。だからたぶん、パンツは裾上げをしてから渡されたのだ。さっき見たとき、若干、裾の縫い目が荒かったし間違いないだろう。

 袖口のお直しはさすがに間に合わなかったのか長いけれど、それは折れば大丈夫。

 なのに腰やお腹周りはぴったりなのは、いったいどういうわけなのか。

 美女の身体の造りは、恐ろしいです。


 シルヴィスさまはすでにテーブルについていて、こちらを眺めている。


「おはようございます、陛下」

「おはよう、エレノア」


 彼も乗馬服に身を包んでいる。

 となると、やはり馬に乗るのだろうか。

 うーん、乗馬は苦手だって知らせたほうがいいわよね……。


「エレノア、今日は馬で動こうと思う」


 私が席に着くと、シルヴィスさまは案の定、そう口を開いた。


「あの、わたくし……」


 私はそう言いかけたけれど、聞こえなかったのか、彼はさらに続けた。


「馬車だと時間もかかるし、道が舗装されていなければ入られない。だったら馬のほうがいいだろう?」

「え、ええ」


 そういうことか。そりゃあ、馬のほうが小回りがきくので、いいんだろう。

 どうしよう、まったく乗れないわけでもないし、このままシルヴィスさまの言う通りにしたほうがいいんだろうか。

 なんてことを考えていたら。


「フランツ殿には丈夫な馬を用意してもらっている。二人で一緒に乗ったほうが、なにかと混乱しなくてよい。それでいいか?」

「え、は、はいっ!」


 こ……これは。

 夢にまで見た、『二人で一頭の馬』。

 まさかここにきて叶うなんて。


 信じていなかったけれど、今なら言える!

 神さま、ありがとう!


          ◇


 朝食が終わり、私たちは屋敷の外に出る。

 シルヴィスさまが言った通り、身体の大きな丈夫そうな馬が用意されていた。

 彼はこちらに振り向いて、問うてくる。


「前に乗るか? 後ろに乗るか?」

「ままま、前がいいです!」


 『恋夢』がそうだったんです! それでお願いします!

 シルヴィスさまは私の言葉に、うんうん、とうなずく。


「そうだな、そのほうがいい。眠ってしまっては危ない」

「え……」

「楽しみ過ぎて、眠れなかったのだろう?」


 そう言って、にやりと口の端を上げた。

 私はバッと侍女たちに振り返る。誰だ、教えちゃったのはー!

 しかし三人ともが、慌てたように、小さく首を横に何度も振った。

 ……違うのか。


 すると、背後から小さく笑う声が聞こえた。

 慌てて振り返ると、シルヴィスさまが肩を震わせている。


「本当に眠れなかったのか。楽しみ過ぎると、眠れないのだな」

「あ、あの、その」


 見透かされている。眠れないだなんて、子どもみたいって思われるかしら。

 うろたえている私を覗き込むようにして、そして楽しそうに、シルヴィスさまは訊いてきた。


「大丈夫か?」

「だっ、大丈夫です! 以前よりは眠れましたから!」


 私が慌ててそう弁解すると、シルヴィスさまは、ははは、と声を出して笑った。

 私は両手で自分の頬を包む。恥ずかしい。一生の不覚が今回の旅行で、すでに二回目だ。

 そうしているうち、ハーゼンバイン家の従者が、馬の横に踏み台を置いた。


「こちらをお使いください、王女殿下」

「あ、ありがとう」


 恥ずかしがっている場合じゃなかった。本番はこれからだ。

 鞍は二人用のものなのか、少し大きめだ。前に手摺りがついていて、私はまずそれを握った。

 そして踏み台に足を乗せ、シルヴィスさまに支えられながら、もたもたと馬の背に乗る。


「おぼつかないな」


 不安そうな声をシルヴィスさまが出す。


「なっ、慣れれば大丈夫ですわ!」


 ここまで来たら、絶対に中止になんてしたくない!

 なので私は背筋を伸ばして、怖くなんてないふりをした。

 それを見て、シルヴィスさまは鐙に足を掛け、ひらりと私の後ろに乗る。

 ひええ、近い。手綱を握る手が、私の前にある。

 なんだか後ろから抱き締められているみたいな気持ちになった。

 シルヴィスさまから顔が見られなくて良かった。今、絶対、真っ赤になっているもの。


 屋敷から出て来たフランツさまとクリスティーネさまが、馬の脇に立った。フランツさまが話し掛けてくる。


「いかがですか、陛下。馬の乗り心地は」

「うん、いい馬だ」

「ありがとうございます」


 そう言って頭を下げている。


「従者は本当につけなくてもよろしいので?」

「ああ。ハーゼンバイン領だからな。信用している」

「ありがたきお言葉」

「夕方になっても帰ってこなければ探しに来てくれ」

「かしこまりました」


 ということは、本当に二人きり!

 うわわわわ、なんて素敵なのかしら!


 時間は夕方まで。けれど帰ってくる時間を考えたら、そんなに長い時間は使えない。

 でも十分! というか、それ以上長かったら心臓がもたないかも。今でも、どきどきと脈打って、それがシルヴィスさまに聞こえはしないかと心配なくらいだもの。


「お気をつけていってらっしゃいませ」


 私たちは皆に見送られて、まずは練習も兼ねて、屋敷の庭を馬でゆっくりと歩く。

 両脇にシルヴィスさまの腕がある。背中にときどき、シルヴィスさまの胸が当たる。

 以前、危ない、と皆は言っていたけれど、不安感はまるでない。


「よし、大丈夫そうだ」


 シルヴィスさまは確信を持ったようにつぶやくと、馬の脇腹を蹴った。

 風が頬を撫でていく。風景が飛ぶように背後に流れていく。


 私たちの、小さな旅が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る