第39話 説明されました

 廊下の角で、シルヴィスさまとフランツさまはまっすぐに、そして私はクリスティーネさまと右に曲がった。

 どこで宿泊したときもそうだったけれど、シルヴィスさまと私の客間は、極力、距離を取るようにされている。

 一応、婚姻前の男女であることを考慮されているのだろう。

 ありがたいような、寂しいような。


「エレノア殿下」


 隣を歩くクリスティーネさまが話し掛けてくる。


「はい」


 そちらに振り向くと、彼女はこちらに美しい笑みを浮かべて語り始めた。


「さきほどのお話ですけれど」

「ええ」


 アーモンドの並木道の話。それをクリスティーネさまは言いかけたのだった。


「さきほどは言うのを止めてしまいましたけれど、実は続きがありますの」

「続き?」


 新たな伝説でも知ることになるんだろうか、と思いつつ、耳を傾ける。

 けれどクリスティーネさまは思いもよらないことを口にした。


「わたくし、あの話は少しおかしいような気がしておりますの」

「おかしい?」


 頬に手を当て斜め上を見ながら、少し首を傾げてクリスティーネさまは続ける。


「だって、あの並木道が作られたのは、そんなに昔の話ではありませんわ」

「えっ」

「少なくとも、フランツが爵位を継いでからなのです」

「ええっ」


 いつフランツさまが辺境伯となったのかは知らないけれど、少なくとも彼はシルヴィスさまと同じ三十九歳。

 伝説と言えるようになるまでには、短すぎる時間しか経っていないように思える。


「特産のアーモンドを広められるようにと、花がとても美しいですからね、それで道の両脇に植樹したのです」

「そ、そうなんですか」

「ええ、ですから、気落ちなさらないで」


 そう慰めを口にして、彼女は微笑む。

 まさかそんなに新しい並木道だったとは。


 私が考え込んでいると、クリスティーネさまは立ち止まった。どうやらそこが、私が泊まる部屋であるらしい。

 彼女は扉を開けて私を中に促す直前、言った。


「そんな眉唾物の話などなくとも、お二人はとても仲睦まじいように見えますわ」


 そうしてクリスティーネさまは、あの、完璧な笑顔をこちらに向けた。


          ◇


 クリスティーネさまが「ではごゆっくり」と礼をして立ち去ったあと。

 侍女たちも一緒に部屋に入ってきて、荷物の整理を始める。

 ここでは三日間、宿泊する予定だ。ハーゼンバインに滞在する期間よりも、移動時間のほうが長いのはご愛嬌、というやつだ。


「エレノア殿下、残念でしたねえ」


 侍女の一人がそう言って肩を落とす。

 私よりも気落ちしているんじゃないかという様子だ。


「まさか、もう花も終わりだなんて」


 もう一人の侍女も頬に手を当ててため息をつく。


「まあ、現実なんてそんなものですよ。残念がるだけ時間の無駄です」


 ローザだけはいつもと変わらない。


「もう、ローザったらあ」


 きゃっきゃっ、と侍女たちが面白そうに笑っている。

 あれで皆と仲良くやっているんだから、ローザってすごい。いや、受け入れている侍女たちがすごいのか。


 私は客間に設置されたソファに座り込んで、天井を眺める。


「残念だけれど……、でも伝説自体が信じられるものかどうかわからないみたいだし」

「ああ、辺境伯夫人が言ってましたねえ」

「あの本、何年の出版だったのかしら」


 侍女たちが顔を見合わせて首を捻っている。


 マリウスさまに紹介された、ハーゼンバインのことが書かれたあの本。フローラがこの場にいたら、すぐさま出版年を答えたのかな。

 でも並木道ができたのがそんなに新しいのなら、あの本も新しいのだろう。


 満開の花が見られないのは残念だったけれど。

 でも、ここに来るまでに良いことがたくさんあったんだからいいじゃない。

 だって馬車の中ではずっとシルヴィスさまと二人きりだったのよ。

 それで、何度も額に口づけされたのよ。

 うふふふふ。


「姫さま」


 ローザの声がして、頭をそちらに向ける。ローザは私を見て、いつもの苦虫を噛み潰したような表情をしていた。


「なに?」

「にやけていますよ」


 うっ。

 いけない、つい。

 私は慌てて頬を両手で包んだ。顔の熱が、自分の手に伝わる。


「えっ、なにかあったんですか?」

「わあ、聞きたいですー!」


 私の様子を見た侍女たちが、こちらに早足でやってきた。

 はい、臨時の簡易版、女子会開催。

 でもなんだか恥ずかしくて、彼女たちには「隣に並んで肩を抱かれただけ」ということにしたのだった。


          ◇


 その日の夕食は、テーブルを四人で囲んだ。

 もちろんシルヴィスさまと私、そして辺境伯夫妻だ。


「明日の朝、クルーメル方面に向かおうと思う」


 シルヴィスさまが、フランツさまに向かってそう言った。

 クルーメル。アダルベラスと接している国だ。ここハーゼンバイン領はハンネスタとクルーメルの二国と隣り合わせなのだ。


「クルーメル? 出国されるのですか?」


 私が驚いてそう尋ねると、シルヴィスさまは笑いながら首を横に振った。


「いや、国境付近に行くだけだ」

「そうですか」


 なんだ、びっくりした。そりゃそうだ。国王がそんなほいほい他国に行けるわけがない。

 ほっと息をついていると、シルヴィスさまが事もなげに続けた。


「エレノアもついてくるか?」

「えっ」


 驚いたのは、フランツさまのほうだった。


「よろしいのですか?」

「ああ。エレノアももう少しで王妃となるのだし、構わない」


 きっぱりと告げるその言葉に、フランツさまはうなずいた。


「それもそうですね」


 特に反論することもなく、彼はそう答える。


「フランツ殿。そなたからエレノアに今回のことを説明してもらえるか」

「はい」

「今回のこと?」


 私は首を傾げる。先日の舞踏会から続く、国境のこと。大したことではない、と言っていたけれど。


「王女殿下、では僭越ながら私から」


 フランツさまは少しこちらに身を乗り出すようにして、話し始めた。


「実は先日の舞踏会の少し前、領民から、クルーメルに狼煙のろしが上がったという報告がありまして」

「狼煙?」


 では大変なことではないか。すわいくさか、と色めきたってもおかしくはない。


「ところがそれは狼煙ではなく、山火事でした」

「山火事……」


 それはそれで大変だ。

 クルーメル自体も大変だけれど、隣国のこととはいえ、見える距離で山火事になったとすれば、風向き次第でハーゼンバインにも火の手が移る可能性がある。


「こちらはクルーメルの王都からは離れていますから、情報系統が混乱した場合、軍が出動したとしても鎮火まで時間がかかる可能性があります。ですから、国境を越えたのです」

「まあ」

「鎮火はさせましたが、後始末が大変でしてね。なにせ無許可でこちらの軍を出動させて越境したのですから」

「そうでしょうね。けれどご英断だったのでは」

「そう言っていただけると」


 フランツさまは微笑んでそう返してきた。

 国境のことを語る彼は、もう、熊のぬいぐるみではなかった。姿形は変わりはしないけれど、目の力が違う。精悍さを覗かせる眼光は、凛々しい、と評してよかった。


 ふとクリスティーネさまのほうを窺うと、彼女はじっとフランツさまを見つめていた。他にはなにも目に入らない、といった風情だった。


 そのとき、ふと思いついた。

 私はフランツさまのほうに振り返る。


「その、最初の狼煙と思われた煙が」

「はい」

「本当に狼煙で、山に燃え移った可能性は?」


 私がそう問うと、フランツさまはにやりと口の端を上げた。


「ええ、もちろんその可能性も考えました。けれど軍の出動までの時間を考えても、それは違います。それに、クルーメルには実は間諜を送り込んでおりましてね」

「まあ」


 なるほど、私には言えないわけだ。


「その報告によれば、自然発火による山火事で間違いないと。後始末も終わりました。クルーメルからは、越境に対してはお咎めなし、むしろ褒状をいただきました。ですから、もうご安心を」


 そう報告し終えると、フランツさまは笑みを浮かべる。

 やはり彼は、ただの熊のぬいぐるみではなかった。


「まあ、国境はフランツさまにお任せしておけば安心ですのね、陛下」


 私がシルヴィスさまに向かってそう話し掛けると、彼は深く深くうなずいた。


「だからわざわざ余が国境まで出向くこともないかもしれないが」

「いえ、陛下にご足労いただいて現場を見ていただけると安心です」


 二人はそう語り合っている。


 もしかしたら、本当にハーゼンバイン領のことは任せていて。

 今回も来るつもりはなくて。

 けれど私がアーモンドの並木道を見たいと言ったから、来てくれたのかしら。

 それだったら嬉しい。


 それに。

 今回、こうして私にも国のことを教えてくれた。

 私のこと、根っから信用してくれたのかしら。

 あの、過剰な身体検査や、『逆ですよ』の銀食器とか、そういうことは乗り越えて、王妃として相応しいと思ってくれたのかしら。


 それなら、アーモンドの花が見られなくても構わないわ。

 だってまたいつでもシルヴィスさまと二人で見に来れるもの。

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