第37話 ご褒美を要求しました

※ 菜豆(さいとう)=インゲンマメ



 菜豆にフォークを突き刺そうとしていた伯爵は、驚いたようにこちらを見ている。

 しばらく固まっていた夫人は正気に戻ったのか、料理人に振り返るが、もちろん彼は両手を振って慌てて否定していた。


「ま……まあ! なんてこと!」


 夫人はそう叫ぶように声を上げると同時に、テーブルに手をついて立ち上がった。


「私たちが毒を盛ったというの? ひどい侮辱だわ!」

「いいえ? これは火がちゃんと通っていますので、大丈夫です」


 私はしれっとそう返した。


「ああ、なるほど」


 シルヴィスさまがうなずいた。


「豆が柔らかくなるまで火を通さなければ、嘔吐や下痢などの中毒症状を引き起こします」

「中毒……?」

「ええ。生ならほぼ間違いなく」


 私は自信を持ってそう説明した。

 なんせ、生に近い状態で食べたことがありますからね! けっこうしんどかったです!


 夫人は落ち着いたのか、また椅子に座り直す。けれどこちらを睨みつけてはいる。


 私はいろんな毒を、口にしたことがある。

 毒に慣れるためだ。そして毒の味を舌で覚えるためだ。

 オルラーフ王家の歴史は毒殺の歴史。

 そのため王族に生まれた人間は、乳幼児のときはともかく、小さなときから少しずつ毒を口にする。

 もちろん、細心の注意を払ってそれは行われるが、過去には失敗した例もある。

 私は体質もあるだろうけれど幸いにも生き残り、そして丈夫な身体を手に入れた。


 もし途中で命を落としていたら、シルヴィスさまはどなたと結婚していたのだろう。


「菜豆自体は、毒なんです。その毒性を除けば、食卓に上がるようにできるのです」


 毒なんて、そこかしこに存在しているのだ。

 オルラーフだけではない。アダルベラスでだって毒性の強い植物をよく見かける。毒を持つ動物も、鉱物も存在している。

 違うのは、それを精製する技術と知識を持った者がオルラーフにはたくさんいるというだけ。


「……ま、まあ……火を通さないと食べられないものは珍しくもないから……」


 夫人は未だ納得できないようで、口の中でごにょごにょとそんなことを言い訳している。

 んもう。まだ言うのなら、畳みかけちゃうぞ?


「けれど、毒は薬でもあるのです」


 私はにっこりと笑ってそう続けた。

 この言葉に、伯爵も伯爵夫人も、そしてシルヴィスさまも反応した。


「薬でもある?」

「ええ」


 私はうなずく。


「たとえば、……お食事中、失礼」

「構わないわ、どうぞ」


 夫人は引き下がれないと思ったのか、私の話を止めたりはしなかった。


「お通じがないときに飲む、営実というよく効く薬がありますけれど、これは注意が必要です」

「営実?」

「野ばらです」


 三人は、思いもよらない名を聞いた、という顔をする。

 私は、なるべく神妙な表情を作り、そしてゆっくりと告げた。


「量を間違えると、そして飲む人間の体調を考慮しないと、最悪、死に至ります」


 私の言葉に、その場にいた者は全員が黙り込んだ。

 野ばらですものね。白い可憐な花は、皆、見たことがあるでしょう。

 果実は薬になるけれど、毒にだってなるのだ。

 それは営実に限ったことではない。それが毒であるか薬であるかは、結果がどうであったか、だけだ。


「なるほど、要は、我々の使い方の問題か」


 シルヴィスさまがこちらを向いて問う。私はうなずいた。


「そう。その技術と知識がオルラーフにはあるというのね?」


 夫人はこめかみに手を当てて、そう確認してくる。


「そういうことですね」

「その技術と知識は我がアダルベラス王国に、もたらされるのかしら?」

「何事も、使い方次第です」


 オルラーフ王女をどう使うか。

 それは提案でもあったし、脅しでもあった。


 だから私を大事にしてね?

 私に意地悪なことを言わなければ、私だってこんなことは言わなかったんだからね?

 にっこりと微笑んだその表情の裏で、私はそんなことを思っていた。


 すると老伯爵が、ははは、と声をあげて笑い出す。

 驚いてそちらを振り向くと、ブラント伯爵が肩を震わせて笑っていた。


「あなた!」


 憤慨したように夫人が声を掛けるけれど、彼は堪えていないようだった。


「お前の負けだよ、そろそろ素直になってはどうかな?」

「私は別に」


 伯爵は夫人に言い訳を言わせず、こちらに振り向いて、そして頭を深く下げて謝意を述べる。


「我が妻の振る舞いを、私から謝罪申し上げる。エレノア王女殿下」

「いえ」

「妻はこんな風だが、それでもアダルベラスのためを思って言っていることをわかっていただけるだろうか」

「承知しておりますわ」


 私が首肯すると、伯爵も頭を上げて、うなずいた。


「老婆心と笑っていただいて構わない。無礼とお怒りになっても。妻も、そしてこの私も、和平協定の証としてやってきたとはいえ、若すぎる他国の女性が王妃となることを、不安に思う気持ちがないとは言えなかった」

「ええ」

「けれど今、少なくとももう我々は、あなたを歓迎しております」

「光栄です」


 なるほどこの老伯爵も、穏やかな物腰ながら、なかなか食えないお人であるらしい。


「オルラーフは我々にとって、謎に満ちた国であるのです。よければいろんなお話をお伺いしたい」

「わたくしの話でよろしければ」


 それからの食事は、なかなか有意義なものであったと思う。

 夫人のつんけんした雰囲気は無くなりはしなかったけれど、それでもたくさんの言葉を交わした。


 シルヴィスさまはその様子を、楽しそうに眺めていた。


          ◇


 翌朝、私たちは伯爵夫妻に見送られて、玄関を出た。


「あなたのお話は、とても興味深かったわ」


 つんとすまして伯爵夫人はそう口を開いた。


「またいらして」


 それはきっと、夫人にとっては最高の褒め言葉だったのではないだろうか。


「はい、ぜひ」


 私はそう応えると、伯爵夫人に歩み寄って、そして手を広げてその胸に飛び込んだ。


「えっ、えっ? ……まあ」


 ぎゅっとその胸に顔を埋める。

 亡くなった祖母はこんな感じの人だったなあ、なんて思い出す。

 つんとしていて、なかなか甘えさせてくれないけれど、一たび懐に入るととても甘くなる人だった。

 だから、確信をもってこんなことができたんですけれどね。


「いけません、王妃となる方がこんな甘えたがりだなんて。足元を見られますよ。まったく、甘やかされて育ったのではないかしら?」

「夫人にだけですわ」

「あらまあ、困ったこと」


 言いながら、悪い気はしないようだ。そのことに少しほっとする。

 夫人の顔を見上げて、私は念押しする。


「本当に、また来てしまいますよ?」

「またいらして、と言いましたわよ? 聞こえなかったのかしら」


 その憎まれ口も、なんだか今は心地よかった。


「ちゃんと聞きました。ありがとうございます」


 私はそう礼を口にすると、夫人から身体を離す。

 そしてシルヴィスさまの近くに歩み寄って、そしてまた伯爵夫妻に振り返った。


「お世話になりました」

「道中、お気をつけてくださいませ」


 二人に見送られて、私たちは馬車に乗り込む。

 そして動き出した馬車の窓から、見えなくなるまで手を振ると、ふう、と息をついて座り直す。


 私の正面にいたシルヴィスさまは、小さく笑った。


「エレノアはすごいな」

「すごい?」

「たった一日で、あの夫人に気に入られてしまった」


 そう言って私に笑いかけてくる。あの、幼く見える笑顔で。


「少々、誇らしかったよ」


 とは言われるが、実は、あんなに強気に出られたのには理由があった。


「祖母に似ていたのです」


 私がそう明かすと、シルヴィスさまは噴き出した。

 拳を口に当て、肩を震わせている。


「それは、夫人には言わないほうがいいな」

「そうでしょうか」

「エレノアは、年寄りの扱いが上手いのかな」


 やっぱり根に持っている。


「シルヴィスさまを年寄りと言ったことは、取り消しますわ」

「ほう? それはありがたい」


 そう返すと、彼はふいに席を立ち、私の隣に座った。


「えっ」


 私が驚いている間に、シルヴィスさまは私の肩に腕を回した。


「ありがとう、エレノア。大変だっただろう、よくがんばった」


 そう労うと、肩を抱く手に力を込めてくる。

 これは。

 いい雰囲気じゃない? だったら。

 言ってもいいかしら。言っちゃおうかしら。


「でしたら、わたくし、ご褒美が欲しいです」

「ご褒美?」

「あの、あの……また」


 私がそう言うと、小さく笑う声が、頭の上から聞こえる。

 どきどきして待っていると、シルヴィスさまが動いたのがわかった。

 そして私の額に手を伸ばして前髪を上げると、また、額に唇を落としてくる。

 うわわわわ。


「あ、あの、あの……嬉しいです」

「そうか? こんなことならいくらでも」


 そう言って、また額に口づけてくる。


「どちらに対するご褒美なんだろうな」


 苦笑交じりの声が降ってきた。


「どちらの?」

「いや、なんでもない」


 そしてまた、額に唇が触れた。

 なんだか、いつになく、接触してくるような。

 なので私はまた、シルヴィスさまの胸に顔を埋めた。


「わたくし、上手くやれました?」

「ああ、予想以上だ。ああいう、強気なそなたもなかなか良い」

「それは良うございました」


 私は力を抜いて、シルヴィスさまに寄り添った。

 馬車の揺れが、なんだか私を大胆にさせてくれるようだった。

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