第36話 伯爵家に到着しました
三日目の宿泊は、ブラント伯爵家だった。
到着する少し前に、シルヴィスさまが私に問うてきた。
ま、そのときシルヴィスさまはもう私の前の席に移動していたんですけどね。というか、横に並んだのは初日だけだったんですけどね。次はいつ隣に行こうかと虎視眈々と狙っているんですけどね。
「エレノア、ブラント伯爵を覚えているか?」
「はい」
舞踏会のときに、伯爵と挨拶をした。老伯爵で、物腰の柔らかな人だった。
「少々お年を召していらした、白髪の」
「そう」
シルヴィスさまはうなずく。
「それで、伯爵はいいんだが、あのとき夫人は来ていなかった」
「そうなんですか」
まあそういうこともあるだろう、と私は特に疑問に思わずにそう返した。
けれどシルヴィスさまは眉根を寄せ、こめかみに手を当てて続ける。
「予備知識として言っておく」
「はい?」
「なんというか……気性の激しい人でね。そして頭が固い」
「そうなんですね」
「もしかしたら、礼を失した態度をとられるかもしれない。舞踏会にも参加しなかったくらいだから」
そう言ってシルヴィスさまは小さくため息をついたあと、苦笑した。
「実は余も、王太子であった頃、ずいぶんと口をきいていただけなかった」
「まあ」
それはいくらなんでも不敬に過ぎるのではないか。
「元々、公爵家の三女でね。周りもまあそんなものだと思っているし、なにより伯爵が穏やかな人だから、今では誰もなにも言わない」
「それにしても……」
「言っていることは、そういう意見もあるだろう、ということばかりだ。すべてを受け入れてくれる人ばかりではないというのも、彼女から学んだ」
苦笑いを浮かべつつ、シルヴィスさまは語った。
「だが、もし気分を害するようなことがあれば言ってくれ。極力、接触させないようにしよう」
気を使ってそう提案してくれたのはわかる。
けれど私はその言葉に、首を横に振った。
「いいえ、わたくし大丈夫ですわ。合わないからと避けて通っているようでは、王妃としての務めなど果たせません」
「これは心強いことを言ってくださる」
そう言ってシルヴィスさまは口の端を上げる。
万人から好かれるだなんて、ほぼほぼ不可能だものね。
私なんて王族だし、それだけならまだしも、ようやく生まれた王女だったから、かなり甘やかされて育っているはずだけれど、それでも気に食わないって思われているんだろうなあ、って人はいたもの。
だからといって、その人を避けて通ることなんてできない。
よーし、かかってきなさい、伯爵夫人!
◇
到着したときには、もう陽が沈もうとしていた。
「いらせられませ、国王陛下。それに、エレノア王女殿下」
ブラント伯爵夫妻は、玄関口に立って私たちを出迎えた。
いや正確には、伯爵は私たちを出迎えたけれど、夫人はシルヴィスさまだけを出迎えた。
「せっかくお誘いいただいた舞踏会に出席できなくて申し訳なく思います。体調がすぐれなくて、出席すると却って迷惑ではと思いましたの」
「そうだったか。今はもう?」
「ええ、おかげさまで、もう万全ですわ」
そうにこやかに夫人は答える。シルヴィスさまだけに向かって。こちらには視線を寄越しもしない。
髪には白いものが混じっていて、顔や喉にも皺が刻まれてはいるけれど、しゃんと背筋を伸ばしていて元気そうな夫人だ。
きっと嘘だわね。体調がどうのこうのというのは。
つまり、こんな女が王妃になるだなんて認めませんよ、という意思表示だ。
その証拠に、今、完全に私を無視してかかっている。
おーい、おーい、私はここにいますよー?
と呼び掛けたくなった。言ったらどうなるんだろう。面白いことになるんだろうか。
「夫人。こちらは我が婚約者、オルラーフ王国第一王女であるエレノアだ」
シルヴィスさまは私の肩を抱いて軽く引き寄せると、夫人に向かってにこやかに紹介した。
国王に紹介されては、さすがに無視はできなかったのだろう。
夫人は、不承不承といった様子で、こちらに小さく頭を下げた。
「……はじめまして、王女殿下」
「お初にお目にかかります、伯爵夫人」
それから少しの間、沈黙が流れた。
慌てたように、ブラント伯爵は私のほうに歩み寄ってくる。
「王女殿下もお疲れでしょう、ようこそいらしてくださいました」
「いいえ、大丈夫ですわ。歓迎してくださって嬉しく思います」
そう応えて微笑むと、老伯爵はほっと息を吐いた。
けれど、歓迎、という言葉に反応した夫人は、こちらをちらりと見て、そしてぷいと向こうに顔を向けた。
歓迎なんてしていないわ、とでも言いたげだった。
なるほどこれは、大変そうな人だ。
「夕食をご用意しています、こちらにどうぞ」
伯爵家の使用人が出てきて、案内してくれた。
ついてきた侍女や侍従たち、兵士たちは別室に行くようだ。
というわけで、食堂では伯爵夫妻と私たちの四人がテーブルを囲み、料理人や給仕人が周りに控えている、という状況になった。
テーブルにつくと、その上に置かれた食器を見る。
新品の銀食器。
ローザが言うところの、『逆ですよ』なのだろう。
私の視線に気付いたのか、夫人が私に向かって口を開いた。
「オルラーフ王城では、ほとんどすべてが銀食器なのですって?」
言われた言葉は、いたって普通の世間話のもののように思える。けれど、わかる。嘲るような響きが含まれていた。
話し掛けてきたと思ったら、これ。
感じわるーい。
「ええ。もしや、わたくしのために揃えてくださったのでしょうか」
「そうね、王女殿下のためのものだわね」
そして、口の端を上げた。
私たち二人の間に流れる、殺伐とした雰囲気を察したのか、老伯爵が慌てて声を掛けた。
「お口に合うかはわかりませんが、どうぞお召し上がりください」
その言葉を合図にして、給仕人が動き出した。
温かなスープをいただいている間、シルヴィスさまと老伯爵は、他愛ない話をして。
そして私と夫人は、黙ったまま、スプーンを口に運んだ。
うーん。これは、どうするのが正解なのかしら。
一晩だけの話なのだし、彼女を刺激せず過ごすべき? それとも、おためごかしにご機嫌を伺っておくべき?
でも……彼女の態度に、少々、心当たりがある。
よく知っている人が、こんな感じだったのだ。
あからさまに悪意を向けてくるというのは、案外、対応しやすかったりするものだ。
そんなことを考えているうち、夫人はまたしても話し掛けてきた。
「やはり銀食器でないと、ご安心できないかと思いまして」
「いえ、そんなことは……」
「オルラーフは毒の国ですものね」
毒の国。嫌な言い方をするなあ。
せめて薬の国って言ってほしい。
ううーん。このまま黙っているのも、それはそれで問題な気がする。
私はオルラーフの王女として国を背負ってここにいるのだ。
これは反撃してもいいだろう、と私は判断した。
「オルラーフに限らず、毒はどこにでもありますわ」
「あら、そうかしら?」
夫人は鼻で笑ってそう応えた。
私は、指を揃えた手で、伯爵夫人の皿を指す。
「えっ」
「そちらに菜豆がありますけれど、菜豆は毒です」
私の言葉に、皆が固まった。
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