第33話 謝られました

 馬車に乗り込んだ途端、クロヴィスさまは頭を下げた。


「えっ」

「すまなかった」


 そう謝罪して、彼は頭を上げようとしない。

 私は慌てて声を掛ける。


「あのっ、クロヴィスさま?」

「助けてやれなくて」

「そんな、謝らないでください」


 両手を胸の前で振って、なんとか頭を上げさせようとしたが、彼はそのままの姿勢でいる。


「だって、クロヴィスさまのせいではありませんし。だいたいシルヴィスさまは国王ですもの、誰も逆らえませんわ」

「いや、でも……」

「気にしないでください。本当に。お顔をお上げになって」


 けれど、クロヴィスさまは動かない。


 これは申し訳ないことをしてしまった。やっぱり助けなんて求めるべきではなかった。

 たとえ王弟子息だとしても、できることとできないことがある。

 王女であっても、できないことがたくさんあるように。


「わたくしこそ、無理を言いました。申し訳なく思います」


 私が助けを求めたりしたから、クロヴィスさまが気に病むようなことになってしまったのだ。

 自分の身に降りかかった火の粉は、自分で振り払うべきだった。


「それにあのあと、特になにもありませんでした。ちょっとお話しただけですわ」

「……そうなのか?」


 それでやっとクロヴィスさまはおずおずと頭を上げた。私はほっと息をつく。


「ええ」

「まさか伯父上に限って、暴力的なことはしないとは思っていたが……安心した」


 そう言ってぎこちなく微笑む。

 なので私も微笑み返した。


「今日も射ることができるのですね、わたくし、楽しみですわ」


 話を切り替えよう、と話題を変えると、クロヴィスさまは肩の力を抜いて、楽な姿勢で座り直した。

 本心がどうかはわからないけれど、話に乗ってくれようとはしているようだ。


「エレノアに負けてはいられぬと、あれからまた練習したのだ」


 胸を張ってそう言う。


「まあ、それは楽しみですわ。けれどわたくしも負けられません。練習はしていませんけれど」


 私の軽口に、クロヴィスさまは声を出して笑った。


          ◇


 弓場に到着すると、またたくさんの兵士が出迎えてくれた。

 私たち二人のためなのか、二つの的が、少し前に設置されている。


「もう少し大きな的にいたしましょうか?」


 私たちの前に出てきた兵士の一人がそう問うてきた。


「いいえ」


 私は首を横に振って、そう返す。


「当てたいだけなら、目の前に大きな的を置いていただきますわ」

「王女殿下なら、そう仰るような気がしておりました」


 兵士たちは私の言葉に笑っている。

 どうやら歓迎されているようで、安心した。


 それからクロヴィスさまが弓矢の準備をし、先に一本、射る。

 先日と同じように、パンッ、と的の板が割れた。


「お見事!」


 先日も、今日も、最初の一本を当てている。

 本当に、すごい。


「正確なのですね」

「兵士たちはもっとすごいぞ。私は狙うのに時間がかかるが、彼らは私の半分の時間もかからない。それでいて、もっと正確だ」

「そうなのですか」


 私は兵士たちに向き直る。


「どなたか、それをわたくしに見せていただけませんか?」


 そう声を掛けると、数人が顔を見合わせたあと、一人が歩み出てきた。


「では僭越ながら、私が」


 先日も今日も、一番前に立って私たちを迎えてくれた兵士だった。おそらくは、射手の隊長であるのだろう。腕にも自信がありそうだ。


 彼は弓を構えたかと思うと、すぐさま矢を放った。それは当然のように的を射抜く。もちろん、私たちの的よりも向こうに設置させた的だ。


「まあ!」


 私が驚いている間に、彼は身体の向きを変え、二本目の矢を手に取るとすぐさま放ち、隣の的を射抜く。同じように、またその隣の的を。

 私は唖然として、言葉を発することができなかった。

 あっという間に五つの的を射抜いたあと、彼はこちらに向かって頭を下げた。


「お目汚しでございました」

「すごい! すごいわ!」


 私は思わず拍手をしていた。

 兵士たちは嬉しそうに私のその様子を見ている。


「ねえ、よければ皆さまの練習を見てみたいわ。しばらく、やってみてくださらないかしら?」


 私がそう提案すると、少しの間考えるようなそぶりをしていた兵士たちは、次々と立ち上がると練習場に立った。

 的を設置し直したり、向こうに飛んでいってしまった矢を集めたりしたあと、彼らは誇らしげに練習を始める。


 私は用意された椅子に座って、その様子を眺めていた。嬉しそうに楽しそうに、でも真剣に練習している様は、見ているだけでもわくわくする。


 そうしていたとき、ふと隣に座るクロヴィスさまが話し掛けてきた。


「エレノアは、すごいな」


 私はそちらに振り向く。


「すごい?」

「あっという間に、兵士たちのやる気を出させてしまった」


 クロヴィスさまは、兵士たちのほうに視線を向けたままそう言った。


「いいえ、すごいのはクロヴィスさまですわ」

「私か?」


 そう驚いたように、こちらに顔を向ける。


「ええ」


 私は大きくうなずいた。


「クロヴィスさまほどお上手でしたら、きっと、兵士たちがもっとすごい、だなんてなかなか言えませんわ。クロヴィスさまがそう仰ったから、わたくしは見てみたいと思っただけなのです。クロヴィスさまがとても素直に彼らの実力を認めていたことが、すごい、というだけの話ですわ」

「そうか。エレノアは褒め上手でもあるのだな」


 そう言って、クロヴィスさまは小さく笑った。


「本当ですよ。それは上に立つ者に必要な資質かと思います」


 私の言葉に、クロヴィスさまは口の端を上げた。


「上に立つ者……王者か」


 それは、八歳の表情ではなかった。


「けれど私は王にはなれない」

「……どうしてですか?」

「どうして? 決まっている」


 そしてこちらを見上げてきた。


「エレノアが世継ぎを産めば、その子に第一位の王位継承権が移る。その子の子がまた王位を継ぐ。その次も。私に王位は巡ってこない」


 そうだ。普通はそうなのだ。

 私はそのことに気付き、口をつぐむ。


 けれど私は知っている。クロヴィスさまが王位を継ぐ方法を。

 私の気持ち一つで、彼が王位を継ぐことができるのだ。

 私がシルヴィスさまの提案を拒否しなければ、クロヴィスさまはいずれアダルベラスの王となる。


 私がそのとき出す決断は、ひどく残酷なものになるように、思えた。

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