第30話 逃げられませんでした

 足をじたばたとさせようにも、膝裏の少し下をがっちり押さえられていて、動かせない。


「降ろしてください! 降ろして!」


 足が駄目なら手だと、拳を握って背中を叩くけれど、一向に堪える気配がない。そして私の声にも反応しない。


 なんでこんなことになっちゃってるのっ?


 廊下で控えていたフローラが慌てて駆け寄ってきて、シルヴィスさまの斜め後ろをついて歩いてくる。


「へ、陛下……? これはいったい?」

「後宮に行く」

「は……え?」

「そなたらはついてこなくともよい」


 そう話を打ち切ると、ずんずんと廊下を歩いていく。

 フローラの呆気にとられた顔が遠ざかっていった。

 できる女にも止められませんでしたー! これは絶望。


 え、もしかして、これってこのまま初夜なの?

 私の初夜、こんなのなの?

 それは嫌だあ!


 すると、廊下の脇道にクロヴィスさまがいたのが見えた。

 私たちの姿を見て、ぽかんと口を開けている。

 そうですよね、呆然としちゃいますよね、こんなの想定できないですよね。


 けれどクロヴィスさまははっとしたように、慌ててこちらに走って追いかけてきてくれた。

 さすがです。きっといい男に成長なさいますよ! 今現在でもけっこういい男ですものね!


 追いついたクロヴィスさまは、シルヴィスさまの前に出るように、一生懸命足を動かしている。

 そして戸惑うように、話し掛けてきた。


「お、伯父上? なにをなさっているのです?」

「クロヴィスさま!」


 八歳のクロヴィスさまに助けを求めるのもどうかと思うけれど。


「助けて!」


 私がそう請うと、意を決したようにうなずき、彼はシルヴィスさまに強い口調で声を掛ける。


「エレノアは嫌がっているではないですか、やめてください」

「クロヴィス」


 けれど、ぴしゃりとシルヴィスさまが返した。低い声だった。


「余はそなたの邪魔はしない。だからそなたも余の邪魔をするな」


 クロヴィスさまは呆然とシルヴィスさまを見上げ。

 そして下唇を噛んで、


「……わかりました」


 と返事して、俯いて足を止めた。クロヴィスさまの姿も遠ざかっていく。


 ですよね!

 私を抱えているこの人、アダルベラスの最高権力者ですものね!

 この国の人は誰一人、逆らえないですよね!

 知ってました! 無理を言ってごめんなさい!


 となると、頼りになりそうなのは。

 私たちの後ろを黙々とついてきている、私の他にはただ一人のオルラーフ国民。

 ローザ、お願いします! 一応、腕っぷしもそれなりに強いし! 不敬だの無礼だの責められたら、この際、お父さまに泣きついてなんとかしてもらうから!


 彼女のその足音に気付いたのか、振り返りもせずにシルヴィスさまは口を開いた。


「ローザか」

「はい、さようでございます」

「なるほど、聞いた通りだ」

「と仰いますと?」

「信頼のおける侍女だと」

「痛み入ります。正確な情報網をお持ちのようですね」

「言うではないか」


 ははは、とシルヴィスさまが笑う。

 いやいやいやいや、今、そんな呑気に話をしていられる状況なんですかー!


「ローザあ! 助けてよ!」

「姫さまがそうお望みならば。けれどその前に確認を」


 言いながら、ローザは小走りで私に近付く。


「なにを確認するのよっ」

「姫さまは、本当にお困りなんですか」


 この状況を見て、困ってないってどうして思えるのよ!


「困ってるに決まってるでしょー!」

「ですが、姫さまを抱えていらっしゃいますのは、ご婚約者である国王陛下です」


 なにを当たり前のことを!


「しかも姫さまは、陛下と恋をしたいと常々仰られております」

「そっ、そうよっ」

「でしたら、後宮に連れて行かれても、特に支障はないのでは?」

「しっ……支障」


 そう言われると、そうかもしれない。


 でも、こんなのじゃない!

 こんなの、『恋夢』のどこにも書いてない!

 他の物語にだって、こんなの書いてなかった!

 あえて言うなら、悪人に連れ去られる主人公がこんなのだった気がする!


 でも、シルヴィスさまは悪人じゃないし。というか婚約者だし。

 あれ? 困らないの?


「あれ?」


 私が首を傾げると、ローザも首を傾げた。


「でしょう?」

「いやいや、おかしいわよ! 危うく納得するところだった!」


 私がそう叫ぶように否定すると、ローザはふむ、と考え込んでいる。


「あえて言うなら、婚姻前というのが少々引っ掛かります」

「あっ、それよそれ! それにしましょう!」


 希望の光が見えてきた!


「けれど和平協定の証として、お世継ぎをもうけるのは急務ですから、どなたも何も仰らないと思いますよ」

「だろうな」


 シルヴィスさまも私の横で首を何度も前に倒し、同意した。

 駄目なんだったら、最初から言わないでよー!


 これはローザも頼りにならない。

 となると、自分でなんとかしなくては。


「放してください! 放してくださいってば!」


 ぽかぽかと背中を叩くけれど、鍛え上げられた背筋は、びくともしない。痛がりもしていない。

 そうこうしているうちに、後宮の私の部屋にたどり着いてしまう。


「ああー……」


 寝所の扉は目前だ。

 けれどシルヴィスさまは、一向に歩みを止める気配がない。

 彼は私を抱えたまま、寝所の扉に手を掛ける。

 万事休す。


「ではどうぞごゆっくり」


 ローザは特に焦った風もなく、そんな声掛けをしている。


「ローザのばかあ! お給金、減らしちゃうからね!」

「それは困ります」

「余が増やしておこう」

「ありがとうございます」


 シルヴィスさまの言葉に、ローザは深々と頭を下げた。

 この、裏切り者!

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