第29話 担がれました

 はい、第三回女子会開催。

 回を重ねるにつれ、テーブルに並べられたお菓子が豪華になっている気がします。盛り上がってますね。


 そのお菓子を端に追いやり、私はマリウスさまにご紹介いただいた本を広げる。


「ここはどうかしら? とても素敵なの」


 地平線の向こうに夕日が沈もうとしている絵だ。影絵のようになっている木から、長い影が伸びている。


「ああ、そこは残念ですけれど近くに街道が通りまして、もうこのような風景ではないと思います」


 フローラが首を横に振りながらそう指摘する。


「そうなんだ……」


 なかなか難しい。

 ここが素敵と思って、これ以降はあまり目を通していないのだけれど。


 私はぺらぺらとページをめくっていく。

 そして、あるページで手を止めた。


「あら、綺麗」


 小さな可愛らしい花をたくさん咲かせた木が描かれていた。幻想的、と言ってもいいだろう。色はついていなくて白黒の絵だけれど、薄い桃色の花なのだと注意書きがある。

 私の言葉に、侍女たちがいっせいに本に視線を落とした。


「アーモンドの木ですって」

「どこかしら」


 場所を確認しようと本を覗き込んでいると、私が見つける前にフローラがページの一点を指差した。


「ハーゼンバイン領にある並木道って書いてありますね。私も以前、綺麗だと聞いた覚えがあります」

「そういえば舞踏会のときに、クリスティーネさまがアーモンドが特産だと仰っていたわ」


 けれど遠いわね。行くのに何日もかかる。

 だとしたら、お忙しい御身であるシルヴィスさまには難しいだろう。


「うーん……陛下は日帰りできるところがいいわよねえ」

「一応、訊いてみてはいかがです?」

「でもねえ……せいぜい一泊が限界なのではないかしら」


 お仕事の邪魔になるようなことは望んではいけないと思う。

 私は未来の王妃なのだもの、彼の支えにならないと。わがままは言えない。


「あらっ、エレノア殿下、ここ、見てください」

「なあに?」


 一人の侍女が指差すその箇所に目を通す。

 どれどれ。


『この地の、満開に花を咲かせたアーモンドの並木道を手を繋いで歩き切った恋人たちは、永遠にともにあるとの言い伝えがある』


 なにこれ!

 とんでもない情報が書いてあるんだけれど!


「絶対行きたい!」


 わがままを言ってはいけない、とかいうことは頭の中から吹っ飛んだ。


「これは行きたいですよね」

「素敵だわあ」


 侍女たちまではしゃいだ様子でそんなことを口にしている。


「満開の花って、咲いているのかしら」

「時期的には、満開でもおかしくはないですよ」

「一月ほどは咲き続けているのですって」

「だったら、大丈夫なのでは?」


 侍女たちの明るい声を聞いていると、もうここしかない、という気分になってきた。


「駄目で元々。訊いてみるわ」


 私がそう決意すると、侍女たちの間から拍手が湧いた。


          ◇


 というわけで、訊いてみます。


 私はまた王宮の食堂で、シルヴィスさまと向かい合っていた。

 食後のお茶を飲んで一息ついているときに、私は切り出す。


「出掛けたい場所なんですけれど」

「ああ、決まったか?」

「あの、ハーゼンバイン領なんですが……」

「ハーゼンバイン?」

「アーモンドの花が、とても美しいのだそうです。その並木道を見てみたくて」


 手を繋いで云々は黙っておこう。

 その言い伝えについて知っているのかどうかはわからないけれど、シルヴィスさまは私の話にうなずいた。


「ああ、あの辺りの特産だからな。満開のときは本当に美しい」

「まあ」


 満開の花、見たことあるんだ。

 まさかクリスティーネさまと歩いた、なんてことはないわよね。まさか。


「今はどうでしょう」

「そうだな、ちょうどいい時期かもしれない」


 よっし! それはぜひとも行ってみたい!


「いかがでしょう? 遠いので、難しいとは思うのですが」


 ちらりと上目遣いで問うと、シルヴィスさまは事もなげに返してきた。


「では行こう」

「えっ、いいのですか?」


 なんとまあ、あっさりと。


「フランツ殿に確認をしたいこともあるし」

「ああ、もしかして、舞踏会のときに言っていた」

「そう。まあ大したことはなさそうなのだが、現地を見てみようとも思っていたから、ちょうど良い」


 そう話してシルヴィスさまはうなずいたけれど、なにかに気付いたようにぴたりと動きを止めて、それからしばらく自分の髭を撫でつつ、考え込んだ。

 うん? なんだろう。


「……いや、ちょっと待ってくれ」

「はい?」

「……ハーゼンバイン領に行くには、何日もかかるな。宿泊か……」

「あ、やはりお時間が」


 なんだ。やっぱり駄目か。

 ぬか喜び……。

 でもがっかりした顔をしてはいけない。邪魔になってはいけないもの。

 私は懸命に、口元を笑みの形にするようにした。

 けれどシルヴィスさまは続ける。


「いや、時間というより……」

「はい?」

「……宿泊は、まずいだろう」

「そうですか?」

「嫌ではないのか?」

「嫌、とは?」


 私は小首を傾げてそう問うた。

 なぜかシルヴィスさまのほうが、慌てふためいている。


「い、いや、もちろん余は、綺麗な身体のままクロヴィスに嫁ぐという選択肢を残すつもりなのだが」

「……そのようですね」


 まだ諦めていないんですか。

 まあいいですけれど。


 私の表情をずっと見ていたらしいシルヴィスさまは少し考えるような素振りをして。

 それから、テーブルに肘をつき、組んだ手に頭を乗せて、こちらをじっと覗き込んできた。

 そして、ためらいがちに口を開く。


「……どうして」

「え?」

「どうしてそんなに余を信頼されておられるのかな」


 まただ。また、私の感情の動きを何ひとつ見落とさないように、という視線を向けられる。


「どうしてって……」


 私は考える。

 だって、そう決まっているのよ。


 シルヴィスさまは、お優しくて、かっこよくて、素敵なの。

 『恋夢』のフェリクスみたいに。

 そう決まっているの。


「我々は、お互いのことをまだよく知らない、だから会話をしよう、ということだったと思うが」

「ええ」


 でも大丈夫なの。

 だって私たちは魂が惹かれ合っているの。

 恋物語みたいに。

 そう決まっているの。


「つまり、エレノアは余のことをよく知らない。なのにどうしてそんなに信頼できるのだろうか?」


 だって私たちはこれから恋をするの。

 シルヴィスさまは、優しく私を見守る、そういう人でなければいけない。

 婚姻前に無理に手を出すような、そんな人であってはいけない。そんな人であるはずがない。

 私の恋は、物語のように。

 そう決まっているの。


「だってシルヴィスさまは、私の婚約者ですもの。信頼して当然です」


 そうして私は幸せになるの。

 政略結婚だからって、不幸になるって決めつけないで。

 私のために、誰も泣かないで。


 シルヴィスさまは組んだ手を解くと、椅子に座り直し、そして自分の顔を自分の手で覆った。


「もしかして、知らない、などと……いや、それはさすがに」


 口の中でもごもごとそんなことを言っている。


「あの?」


 彼はちらりとこちらに視線を寄越したあと、肩を落とした。


「いくらなんでも無邪気に過ぎる……」


 そう零して、はあ、とシルヴィスさまはため息をついている。


 よくわからないけれど。

 今、子ども扱いされた気がします。

 なんだか少し、苛ついた。


「子ども扱い、なさらないでください」


 私が唇を尖らせてそう返すと、シルヴィスさまはふいに立ち上がった。

 そのとき椅子がガタッと音をたてて動き、私の身体がわずかに震える。


「では、大人の女性として見ることにしよう」


 その場に立ったまま、上から私を見下ろすように、じっと見つめてくる。

 息を呑む。なんだか、怖い。思わず少し、身を引いた。


 シルヴィスさまは落ち着いた様子で私に歩み寄ると、なにも言えずに彼を見上げたままの私の二の腕をつかんで、強引に立ち上がらせた。


「あ、あの?」


 そしてふいに私の腰を持って軽々と持ち上げると、私をどさっと肩に担いだ。


「えっ?」

「では後宮に行くか」

「えええええ!」


 シルヴィスさまの左肩に、私のお腹がある。私の両の膝裏を左腕一本で支えたまま、彼は歩き出した。

 高い視線。食堂の扉が開き、控えていた侍女や衛兵のぽかんとした顔が、下方に見える。

 私は両手をシルヴィスさまの肩の下の辺りに当てて起き上がっていたのだけれど、逆に進むってけっこう怖い。慌てて頭を低くする。


「なるべくじっとしておいていただけると、ありがたいのだが」


 そんなことを言われたけれど、もうとにかくそれどころじゃない。


 どう考えても、これ、大人の女性に対する扱いではないと思います!

 助けてえ!

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