第26話 再び勝ちました
私はその翌日の晩、ローザとフローラを従えて、王宮に向かって歩いていた。
実は先日、シルヴィスさまを言い負かしたとき、できるだけ一緒に夕食を食べようと約束を取り付けたのだった。
そりゃそうですよ。この三月、もし逃げ回られたら話になりませんからね。私は抜け目ないんです。
初日に一緒に食事をした食堂にたどり着く。
フローラが扉を開け私が中に入ると、シルヴィスさまはすでに席に着いていた。
「お待たせして申し訳ありません」
「いや、余も今来たところだ」
微笑んで、そう柔らかく返してくる。
席を指し示されたので、私は口元に笑みを浮かべたまま席に着く。
「お招きいただき、ありがとうございます」
「このように食事の時間でもとらねば、エレノアと会う機会もなかなかないのでな」
「まあ、嬉しゅうございます」
ほほ、と笑うと、シルヴィスさまも両の口の端を上げる。
いたって平穏な会話。
なのに私たちの周りに、なにやら不穏な空気が漂う。
はい、これはこれから一戦交えようっていう緊張感ですよね!
婚約者である二人にあるまじき雰囲気ですよね!
シルヴィスさまは給仕人たちに下がるよう指示し、そしてローザとフローラにもこう声を掛けた。
「そなたらもよい。我々は二人でゆっくりと話をしたいのでな」
「かしこまりました」
二人は大人しく食堂を出て行った。
ぱたん、と扉が閉まり、辺りが静かになったところで。
私はシルヴィスさまに切り出した。
「どういうおつもりです?」
「どういう、とは?」
私の質問に、彼は本気でわからない、という風に少し首を傾げた。
くそう。その髭を一本ずつ引き抜いてやりたい。
いや、さすがに痛いかな。抜くほうも痛そうでゾワゾワしちゃうかも。まとめて剃ってやる、にしておこう。
ふと、剃ったらどうなるのかな、と思いついて想像を巡らせていたけれど、声が掛かって中断させられる。
「ひとまず、食事を始めよう。すべて一度に出したから冷めてしまう」
人払いをするために、一皿ずつ順番に、ではなく、すべてテーブルに並べてしまっているのだ。
……まあそうですね。目の前に美味しそうなものを並べられて、おあずけのまま話し合うのもなんですし。
髭がなくなったあとの想像も、今度にしておきます。
私たちはまず飲み物を手に取り、一口、口に含んだ。
話し合うにはまずは喉を潤さないと。
そして銀のゴブレットをテーブルの上に戻すと、私は切り出した。
「クロヴィスさまには、偽装結婚の話をされているんですか?」
彼が私を誘うのは、もしかしたらその件を知って、未来の妃である私と親睦を深めようという心積もりかもしれない。
そう思ったのだけれど。
「いや? 誰にも明かしていない。以前にも言ったと思うが」
そんなことを訊かれるとは心外だ、とでも言わんばかりに彼は肩をすくめた。
「そうですか」
嘘かもしれない……けれど、ひとまずここは信じるしかない。
「クロヴィスさまは、なぜわたくしを誘ったのかと思いまして」
「単純に、気に入られたのだろう」
そう返して、シルヴィスさまは匙を手に取り、スープに手を付けた。
私もそれに倣ってスープをいただく。うーん、美味しい。確かにこれは冷めると悲しいわね。
「シルヴィスさまに許可をいただいた、とクロヴィスさまは仰っておりましたけれど」
「その通りだ。一応、そなたは余の婚約者なのだから、誘うにも許可が必要だと考えたのだろう。あれはあの年齢で、しっかりしているからな」
しっかりしている、というのに異論はありません。
「誘ってもいいか、と問われ、断る理由もなかった」
「そうかもしれませんけれど……」
「なんだ、断って欲しかったのか? それなら次回から言ってくれ。角が立たぬよう、余から断っておこう」
パンをちぎりながら、シルヴィスさまは平然として応える。
いや……断らなくてもいいですけれど……。
「つまらなかったのか? 楽しそうにしていた、と聞いたのだが」
「いえ、楽しかったですよ」
それは間違いない。間違いないのだけれど。
「ならば、なにが不満なのだ? さきほどからずっと睨まれているようなのだが」
「わたくし、睨んでます?」
「睨んでいるな」
「ちょっと失礼」
私は少し俯いて頬に手を当て、顔の筋肉を動かしてみた。
いけないいけない。今から好きになってもらおうっていう人を睨みつけては。
「はい、大丈夫です」
私は笑みを浮かべてシルヴィスさまのほうに顔を向ける。
すると彼は横を向いて、小さく噴き出した。
「えっ?」
まだおかしな顔をしているのかしら? 嫌だわ、私としたことが。
「いや……そのように切り替えるのか」
シルヴィスさまは、口元に拳を当てて、肩を震わせている。
「あのう」
「いや、失礼」
咳払いをして、彼は姿勢を正す。
「で、なにが不満なのかが知りたいのだが。正直なところ、年齢が離れすぎているせいだろうか、そなたがどのように考えているのか、余は計りかねているのではないかとも思うのでな」
あ。
そこにたどり着いたんですか。考えてくれていたんですか。
これはシルヴィスさまにしては、かなりの進歩なのではないですか。
思わず表情が緩む。それを見たのか、シルヴィスさまも小さく微笑んだ。
いや、甘い顔を見せてはいけないかしら。
私は咳払いをすると、続けた。
「平等ではありません」
「平等?」
「シルヴィスさまは、わたくしがクロヴィスさまと結婚すればいいと思っているのですよね」
「……すればいい……。うん……まあ、そうなるな」
言い淀みつつも、シルヴィスさまは肯定した。
「じゃあ、クロヴィスさまにお誘いを受けたとき、これはシルヴィスさまの作為的なものだと疑っても仕方ないですよね?」
「……そうなるか?」
「そうです。だから」
私は背筋を伸ばして、要望を口にする。
「クロヴィスさまに会っただけ、シルヴィスさまにも会えるようにしてください。でないと平等だと思えません」
「……そうか?」
「そうです。お互いを知りましょう、とお約束したのに、これでは知る時間がなくなるではないですか」
「……なるほど」
シルヴィスさまは、髭をしごいて、なにやら納得している様子だった。
けれど少しして、こちらに向かって首を傾げた。
「だが、今もこうして一緒に食事をしている。時間が空けば、今後も誘うつもりだ」
そこに気付いてしまいましたか。
「それは元々のお約束だったじゃないですか。だから、それとは別に、です」
代わり映えなく顔を突き合わせて食事もいいけれど。
やっぱりクロヴィスさまと出掛けたように、シルヴィスさまとも出掛けたい。
いつもと違う、これ大事。
そういうわけで、ここは押し切ろう。
「そうだな、わかった」
シルヴィスさまは、とにかく言う通りにしてみようと思ったのか、うなずく。
よし。再び勝った。
「では今度、どこかに出掛けよう」
「っ! はいっ!」
やったー! 言ってみるものね!
「行きたいところはあるのか?」
「ゆっくり考えてもいいですか?」
「ああ」
一つ問題が片付いた、と思ったのか、シルヴィスさまは私を見て笑う。
ああ、食堂の雰囲気が、殺伐としたものから穏やかなものに変わる。
よかった。
これからは楽しく食事をしましょう。
私たちはナイフとフォークを取り、主菜に取り掛かった。
ふと、シルヴィスさまが口を開く。
「知る時間がないと言うならば」
「はい?」
「今、なにか訊きたいことでもあれば、答えられることならば答えるが」
「……答えられないことがあるんですか?」
「政治的な話なら、言えないこともある」
なるほど。それはそうかもしれない。ハーゼンバイン領の話も、まだ私には聞かせたくないようでしたものね。
訊きたいこと。
なにがいいかしら。知りたいことならいくらでもあるのだけれど。
今、一番知りたいこと。
……ある。知りたいのに知らないこと。
そうよね。
侍女たちに訊かなくとも。
私がいろいろ推測しなくとも。
本人に訊けばいいじゃない。
うん。
「どういった女性がお好みなんですか」
私がそう言い終わったと同時に、ガシャン、と銀食器が派手な音を立てた。
シルヴィスさまは、ナイフとフォークを持ったまま、固まっている。どうやら主菜のお肉を切っていた手を滑らせたらしい。
けれど少しして動き出した。
「……いや、失礼」
そんなに動揺させるような質問だったかしら。
「少々……予想外だったもので」
「そうですか」
そして少しの間、沈黙が流れた。
「それで?」
「え?」
シルヴィスさまが顔を上げる。
「質問のお答えを聞いていませんけれど」
「あ、ああ……」
テーブルナプキンでテーブルの上を拭きながら、なにやら考えている。
そして少しして、答えた。
「余を年寄り扱いしない女性かな」
「根に持ってますね。これだから年寄りは」
しまった。ついうっかり。
私の言葉に、シルヴィスさまが固まっている。
「申し訳ありません、つい心の声が」
けれどシルヴィスさまは、それを聞いて噴き出した。
「エレノアは面白いな」
声に出して笑いながら、彼はそう言う。
どうやら今回は、年寄りと言われても面白いと感じたらしい。
「面白い……。実は、クロヴィスさまにも言われました」
「ほう。やはりクロヴィスも気に入っているのだな」
「……それ、褒め言葉なんですか?」
「それはそうだろう。女性に対する褒め言葉は多々あるが、美しいだの可愛いだのという言葉よりも、面白いというほうが褒め言葉だと思うがな」
「なら、いいです」
「よかった」
そうして、私たちはまた食事を再開した。
けれど私は胸がどきどきして、本当はそれどころではなかった。
今。
『クロヴィスも』って言った。『クロヴィスも気に入っている』って。
じゃあシルヴィスさまも、私のこと、気に入ってくださっているんですか。
それは女性としてかしら。
だったらいいのに。
それからの食事は、最初よりも、なんだかとても美味しかった。
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