第25話 当たりました
もう何本の矢を放っただろう。
気が付いたときには、辺りは茜色に染まりつつあった。
まずいまずいまずい。だんだん暗くなり、的が見えなくなってきている。
集中!
大丈夫、なんとなく要領はつかめている気はする。
私はできる。やればできる子なんです!
矢じりを左人差し指の上に乗せ、弦を引き絞る。左腕はしっかりと伸ばして。頭の位置は大丈夫。力を入れ過ぎないで。
狙いを定めると、矢から右手を離す。
すると向こうで、的である板が、パンッと割れた。
「当たった!」
背後で、おおーっ、と兵士たちの声があがる。若干疲れているような声だけれど気にしないことにしよう。
私は振り返ると、欠伸をしているローザに向かってはしゃいだ声を掛けた。
「見た? 当たったわよ!」
「見てませんでした」
「ええー」
「そんなにずっと見ていられません。当たったんですね、ようございました」
気のない返事をしながら、うーん、と腰を伸ばしている。
いや、確かに待たせすぎましたけれども。
「王女殿下、よくがんばられましたね」
兵士が一人、歩み寄ってきて手を差し出してくる。
なので私は持っていた弓矢を彼に渡した。
「ごめんなさい、つい夢中になってしまって。皆さまの練習のお邪魔をしてしまったわね」
「いえいえ、構いません。我々も、初心に戻ることができたような気がします。しばしの休息もとれましたしね」
にっこりと笑ってそう応えてくれたので、私はほっと安堵の息を吐く。
それから手袋を脱ごうとするが、そのとき手が震えているのがわかった。
手袋をしていたのに、指先が痺れたように痛い。腕ももう上がらない。
うーん、夢中になりすぎた。
振り返ると兵士たちが、私が散らばした矢を回収している。
なんかもう、すみません。
私は椅子に座ってこちらを眺めているクロヴィスさまのほうに歩み寄ると、その前に立って胸を張った。
「当たりましたよ」
「そうだな」
口の端を上げて、クロヴィスさまはそう答えた。
「練習すればできたでしょう?」
「ああ、言う通りだった」
そう口にしながら、椅子から立ち上がる。そして腰に手を当て、こちらを見上げてくる。
「少しばかり、待ち兼ねた」
「それは……申し訳ないですけれど」
もじもじしながらそう謝罪すると、クロヴィスさまはぷっと噴き出した。
「本当に当たるとは思わなかった。正直、途中で諦めるかと思っていたのだ」
「だって、悔しくなってしまったのですもの」
「エレノアは面白いな」
そう言って笑う。
面白い? それは褒め言葉なんだろうか。
「さあ、帰ろうか。すっかり遅くなってしまった」
「はい」
私は見送りに出てきてくれた兵士たちに頭を下げた。あちらも慌てたように頭を下げてきた。
「また来てください」
「それは、本音?」
私が笑ってそう問うと、兵士の間から笑いが漏れた。
「ええ、いつでもお越しください」
「ありがとう、また」
それから私たちは行きと同じように馬車に乗り込み、帰路につく。
「楽しかったか?」
クロヴィスさまが向かいからこちらに向かって訊く。
「楽しんでいないように見えましたか?」
「いや」
私の返事に苦笑しながらクロヴィスさまが答えた。
「クロヴィスさまは、的に当たるまでどれくらいかかりましたか?」
そう問うと、彼は片側の口角を上げる。
「少なくとも、エレノアよりは早かった」
「ですよね」
「けれど、あんなに長時間、弓を引くこともなかったな」
そう言って、馬車の中から夕焼けに染まる空に目をやった。
「私は私を努力家と思っていたが、エレノアを見ると、そうでもないのかなと思う」
私は苦笑して答える。
「今日一日のことですから」
「そうなんだが」
「わたくしは単純に、負けず嫌いなだけですわ」
「けれどそれは大事なことと思う」
そう静かな声を出すと、こちらに振り返り、真摯な眼差しを私に向ける。
「私も、負けたくない」
急に、空気が変わった。ぴりぴりとした緊張感が馬車の中に充満していく。
なんだろう。
「私は、弓術に限らず、剣術も、もちろん経済学や倫理学といった座学も、いろんなことを、もっともっと学びたい」
「ご立派です」
「私は早く大人になりたいのだ」
目を伏せ、クロヴィスさまはつぶやくように口にした。
八歳である自分。
十六歳である自分。
ままならないことも多くて、少しもどかしい。
「わたくしも、早く大人になりたいです」
クリスティーネさまはああ言ったけれど、やっぱり早く大人になりたい。
私の言葉に、クロヴィスさまは顔を上げた。
「エレノアもか」
「はい」
私はうなずく。
「大人になったら、何をするのだ?」
「わたくしは……」
なんだろう。何がしたいんだろう。
ただ、シルヴィスさまの隣にあるために、相応しくありたいと思っていただけだ。
おそらくは、クロヴィスさまが思う「大人」とは、種類が違う。
「大人になったら、もっとたくさんのことができるようになる気がします」
「そうか。私は、大人になって大切な人を守りたい」
それはなんと崇高な目標だろうか。
「クロヴィスさまなら、きっとそんな素敵な大人になるでしょう」
「そうだろうか」
「そうですよ」
私たちは顔を見合わせ、そしてどちらからともなく、笑い合った。
クロヴィスさまとお話するのは楽しい。あちらも楽しそうだから、私も嬉しい。
けれど、だからといって、恋をしようという感情ではないのだ。
でも。もしも私が生まれたのが、もう一、二年、遅かったら。
私はこの方の婚約者として、この国にやってきたのかもしれない。
そのとき私は、やっぱり今と同じように、見知らぬ婚約者を愛そうと思っていたのだろうか。
シルヴィスさまのことなんて眼中になかったのだろうか。
わからない。
もしかしたら、大人になったらわかるのだろうか。
今日の一日の終わりを告げる茜色の陽射しが馬車の窓から差し込んで、クロヴィスさまの横顔を照らしていた。
私はそれを見つめながら、そんなことを考えていたのだった。
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