第24話 飛びませんでした

「王城を出るぞ。大丈夫だ、それも伯父上の許可は取っている」


 そう話しながら、クロヴィスさまは城門近くに用意されていた馬車に乗り込んだ。

 そして中から、私に手を差し出す。

 私は一瞬手を出しかけたけれど、思わずスッと引っ込めた。


「どうした?」


 クロヴィスさまは、小さく首を傾げる。

 いや、これ、引っ張り上げてくれるということですよね。

 それはいいんですけれど……大丈夫なんでしょうか。

 私の心の内を読んだのか、クロヴィスさまは笑った。


「私でも、エレノアを引っ張り上げるくらいはできる。抱き上げるのは無理だろうが。それとも、見かけよりも重いのか?」

「……それでは」


 からかうように口にした最後の言葉に反応して、私は差し出された手を取った。

 すると、ふっと身体が浮くように、馬車の中に引っ張られる。

 おっ? 意外に力がありますね。

 というか、本当に八歳なんですか。やることがいちいち大人っぽいんですが。

 馬車に乗り込んで座ると、後からローザも乗り込んできた。


「ああ、すまない。侍女殿にも手を貸せばよかった」


 今、気付いたように、クロヴィスさまはローザに声を掛ける。


「いいえ、お構いなく。お気遣い、感謝します」


 すました顔で、ローザは私の横に座った。

 実際のところ、王弟子息であるクロヴィスさまが侍女に手を貸すのは、なにかと問題になってもいけないので、こういう場合、なにもしないのが正解ではある。

 けれど、女性であるローザに気を使って発言したのだろう。


 シルヴィスさまの、『なかなか良い男になる』発言は、本当に欲目は抜きにしたものなんだろうな。


「どちらに向かわれるのですか」

「着いてからのお楽しみだ」


 そう答えて、クロヴィスさまはにやりと笑った。

 本当に八歳なんですかー!

 いやあ、これは、『恋夢』のリュシアン以上かもしれません。


          ◇


 連れて行かれた先は、弓場だった。

 王城にほど近い、軍の練習場の一角。


「弓術?」

「そうだ。筋がいいと褒められたのだ。見ていてくれ」


 先に話が通っていたのか、兵士たちが控えている。


「エレノア王女殿下は、こちらにどうぞ」


 私は用意された木製の椅子に腰かける。

 斜め前でクロヴィスさまが弓矢の準備をしているのがよく見える、特等席というところか。


 見渡せば、十名ほどが練習できる弓場のようだが、今は誰も弓を構えてはいない。皆、後ろでクロヴィスさまを見守っている。

 向こうには、それぞれに的が用意されているのが見えた。四角い木製の板だ。


 クロヴィスさまは、私が彼を見ているのを確認してから、兵士から弓と矢を受け取った。

 足を肩幅に開いて、ふーっと息を吐き、そして自身の動きを確認するようにゆっくりと、矢を持った右手を弦に添え、そして的に向かって構える。

 思わず、息を止める。周りもしん、と静まり返っている。キリキリと弦を弾き絞る音が聞こえてくるくらいだ。

 精悍な顔つき。少年とは思えない。

 そしてクロヴィスさまが右手を離した瞬間、ヒュッという音とともに矢はまっすぐに飛んでいき、パンッと乾いた音をたてて的の板が割れた。


「まあ!」


 私は弾みで声をあげ、立ち上がって拍手した。

 一発目だ。本当にすごい。


「当たりましたね!」

「よかった、恥をかくところだった」


 照れたようにそう笑う。


「お見事!」

「素晴らしい!」


 などと、見守っていた兵士たちも手を叩いている。


「本当に筋がいいのですね」

「でも実は、的が少し近いのだ」


 恥ずかしそうにクロヴィスさまが付け加える。

 言われて見てみれば、確かに隣にある的よりも、少しこちら側にあるようだ。子どもの力だから、兵士たちと同じ距離は難しいのだろう。


「それにしてもすごいですわ」

「ありがとう、喜んでもらえてよかった」


 そう返してきて、歯を出して笑っている。嬉しそうだ。

 クロヴィスさまは、持っていた弓をこちらに差し出した。


「エレノアもやってみるか?」

「いいんですか?」

「いいだろう?」


 クロヴィスさまは私の質問には答えず、そう兵士に尋ねる。


「ええ、構いません、王女殿下」

「いけません、お怪我でもしたらどうするんですか」


 しかしローザが素早く口を挟んだ。


「ええー、いいじゃないの」

「私は、止めたという実績が欲しいのです。私の制止も聞かずに勝手にされたということにしたいのです」


 しれっとローザがそう語り、兵士たちは苦笑している。


「十分に注意を払いましょう。こちらをどうぞ。新品ですから、汚いということもありません」


 そう言って、兵士が私に革の手袋を差し出した。

 私はそれを、おとなしくはめた。なんだかゴワゴワして動かしづらいけれど、していないと危ないんだろう。


「絶対に、顔より前に矢じりがくるように構えてください。引いた弦が顔の前にくるのがいいでしょう。お美しいお顔に傷がついてはいけませんから」

「ありがとう、わかったわ」


 そうね、婚姻前に顔に傷ができたら大変だわ。

 私は弓と矢を受け取ると、細かく姿勢の指導を受けながら構える。

 弦を目の前までがんばって引くけれど、これ、けっこう力がいる。


「視線と矢じりが的に向かって真っすぐになるように。少し上を狙うといいぞ」


 クロヴィスさまが、私の斜め後ろからそう声を掛けてくる。


「はいっ」


 返事をすると同時に、私は持っていた矢から手を離す。


「あっ」


 けれど私が射た矢は、へろへろとすぐそこに、地面に刺さりもせずに転がった。


「ああー……」


 振り向くと、兵士たちが俯いていた。もしかして笑いをこらえているんだろうか。


「力がないのだな、エレノアは」


 声を出して笑いながら、クロヴィスさまがからかってくる。

 よほど面白かったのか、そのうちお腹を抱えて笑い出した。


 いや、笑いすぎでは。

 私は唇を尖らせる。


「初めてですもの、こんなものです」

「へえ、練習すればできるのか?」


 クロヴィスさまは、そう挑発的に問うてきた。


「できますわ!」


 私はむきになってそう返す。

 そして二本目の矢を手に取った。

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