第19話 舞踏会が終わりました
クリスティーネさまと、船旅の話とか、ハーゼンバインの特産物の話とか、そういう取りとめのない話をしているときだった。
「エレノア姫!」
クロヴィス殿下が一人でぱたぱたと走ってやってくる。
そして私の前で立ち止まると、荒れた息を整えていた。
くっ。今日もかわいいですね。
「今日も、私と一曲踊ってくれるな?」
勢い込んで、そう誘ってくる。
私がクリスティーネさまに振り返ると、彼女はどうぞ、という意味の笑みを浮かべた。
見れば、シルヴィスさまとフランツさまが、こちらに帰ってきているところだった。
「はい、クロヴィス殿下。わたくしでよろしければ」
私がそう快く答えると、クロヴィス殿下は安心したように満面の笑みを浮かべた。
これはいけない。息の根を止められそうだ。
クロヴィス殿下は私の手首を取ると、引っ張って広間の中央のほうへ向かう。
ちょうど昨日と同じワルツが流れ始めたところだった。
「昨日、あれから母上と練習したのだ。エレノア姫、今日は私がリードするからな、心配せずともよい」
ほう。エルマ夫人と。
顔を上げると、向こうにケヴィン王弟殿下と夫人が並んで立っていた。二人はにこにこしてこちらを見つめている。
エルマ夫人は昨日は笑顔を見なかったけれど、やはり息子の楽しそうな姿は嬉しいんだろうな。
夫人と目が合ったので、口元に弧を描いて会釈すると、彼女は真顔になって小さく頭を下げるとまた俯いた。
うーん、これはなかなか親睦を深めるのは難しそうな人だなあ。
私たちは昨日と同じように男女逆で組んで踊った。
クロヴィス殿下は言った通り、練習してきたのだろう。昨日よりも格段に滑らかに踊っている。
踊り終えて、私は彼に声を掛けた。
「たった一日で、よくここまで滑らかに踊れるようになりましたね」
「練習したからな」
と、クロヴィス殿下は胸を張る。
「クロヴィス殿下は努力家でいらっしゃいますのね」
そう返すと、彼は少し首を傾げた。
「名で呼んでもいいぞ」
「……お名前で?」
私がそう問うと、クロヴィス殿下は大きくうなずいた。
「殿下、などと他人行儀な。クロヴィスと呼ぶがいい」
「では、クロヴィスさま」
「……まあいい。それで」
なにやら釈然としなかったらしい。
けれどさすがに、クロヴィス、と呼び捨てはできなかった。いやもうそれは、淑女として。
「ではわたくしのことも、名前で呼んでくださいな」
「……では……エレノア」
おずおずと、そう呼び掛けてくる。
「はい」
なので私は、にっこりと朗らかに答えた。クロヴィスさまも笑顔で返してくる。
なんというか、微笑ましいのよね。
と胸の内が温かくなってきたときだ。
なんとなく既視感を覚えて、記憶を探る。
……いや。このやりとり、やったことがあるような。
そうだそうだ。シルヴィスさまに名前で呼んでくれとお願いしたとき、似たようなやりとりをしたような。
私はそのことに気付いて愕然とする。
シルヴィスさま、こんな気持ちだったんだ……。
◇
そして舞踏会三日目。
とてもとても心配していたけれど、なんとか三日間は乗り切れそうだ。
私にしては、けっこう顔と名前を覚えられた気もするし、いろんな話もできた。
もちろんフローラの補佐もたくさん受けた。皆様方が、まだ来たばかりだから、と寛容だったということもある。
でもそれでも、有意義な三日間だったのではないだろうか。
目まぐるしい日々だったけれど、楽しいこともたくさんあった。この舞踏会が終わってしまうのが少し寂しくもある。
舞踏会も終盤。
「エレノア!」
今日もクロヴィスさまが駆けてくる。
「また遊んでくれるな?」
「ええ、もちろん」
「では誘いに行くぞ」
「お待ちしておりますね」
などという遣り取りを交わし、それを見ているシルヴィスさまがうなずいているのが、少し腹立たしい。このやろう。
「エレノア殿下」
クリスティーネさまがやってくる。
「おかげさまで、とても楽しい時間を過ごせましたわ」
そうして彼女はやはり完璧な笑顔を浮かべた。
憧れのような気持ちを抱いて、私はクリスティーネさまに向かって口を開く。
「わたくし、クリスティーネさまのような大人の女性に早くなりたいですわ」
その言葉を聞くと、彼女は何度か瞬きしてから、そして小さく笑った。
「おかしな話ですわね」
クリスティーネさまは苦笑しながらそう応えた。
「おかしな話?」
「わたくしは、少女の頃に戻りたいと思います」
「そんなものですか?」
「ええ」
そう肯定して、彼女はうなずく。
「いつから逆転したのでしょうね。確かにわたくしも、早く大人になりたいと思っていたような気がいたしますわ」
クリスティーネさまはくすくすと笑ったあと、口元に弧を描いて続けた。
「エレノア殿下は、今を楽しんでくださいませね」
◇
舞踏会の最後に、私とシルヴィスさまはまた、皆に見守られている中で二人だけで踊った。
私の手を支える大きな手。厚い胸板。ときどきこちらに向けられる、優しい瞳。
『恋夢』のフェリクスみたいに素敵なシルヴィスさま。
この舞踏会が終わったら、改めて伝えよう。
私はあなたと恋がしたいんです、って。
あなたは自分と結婚すると不幸になるって決めつけているけれど、きっとそんなことはない、って。
終わらないダンスを、ずっと踊り続けるように。
そんな風に、二人で生きていきたいのです。
私はそう思いながら、シルヴィスさまを見上げる。
そういえば『恋夢』にも、フェリクスと踊る場面があったな、とふと思い出す。
どうだったかしら。そのとき主人公はなにを考えていたかしら。嫌だ、思い出せないわ。
でもきっと、こんな風に幸せな気分だったと思うわ。素敵な人に包まれているように踊っているのですもの。
けれど、曲は終わる。拍手が湧く。
「エレノア、三日間、よくがんばったな」
そう声を掛けてくると、シルヴィスさまは目を細めた。
私のこと少しは、大人の女性だと認めてくれたかしら?
そうだったらいいのだけれど。
そうして、三日間の舞踏会は、終わった。
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