第15話 クロヴィス殿下と踊りました

 そうなると、大人の女の魅力というものをもっともっと身に付けなければならないのかしら。

 そのためには、やっぱりシルヴィスさまの好みというものを把握しないといけないわね。

 年の差だけはいかんともしがたい。

 どうやったって、私だけ年を重ねてシルヴィスさまに相応しいと思われる年齢になることはできないわけで。

 だったら極力、シルヴィスさまの好みに近付けなければ。


 なんてことを考えていたら。


「エレノア殿下」


 声を掛けられて、そちらに目を向ける。

 小さいシルヴィスさま……いや、クロヴィス殿下がこちらを見つめていた。


「はい、なんでございましょう」


 笑みを浮かべてそう応えると、彼はこちらに手を差し出してきた。


「一曲、踊っていただけるだろうか」


 え? 一曲?

 どうしよう。この身長差で踊れるんだろうか。

 頭ひとつ分……いや、それ以上に差がある。

 そうなると、二人で踊るダンスの組み方は難しい。


「クロヴィス殿下、でしたら……」


 でしたら輪舞のときにご一緒するのはいかがでしょう、と提案しようとしたのだけれど。


「あらあら、王女殿下が困っていらっしゃいますよ」

「まだクロヴィス殿下にはお早いのでは」


 そんな声が聞こえる。

 口調は優しい。

 子どもに言い聞かせるような声音だ。


 でもわかる。

 彼は男性として、私を誘ったのだ。

 クロヴィス殿下は顔を真っ赤にして少し俯いている。目には涙がじわりと浮かんできていた。


 そうよ。子ども扱い、よくない!

 と私は、少々私怨が入ったことを思う。

 よし、輪舞ではなく、普通に二人でワルツでもみっちり踊りましょう!


「クロヴィス殿下」

「……なんだ」

「男女逆で組めますか?」

「なっ!」


 侮辱されたと感じたのか、クロヴィス殿下はますます顔を赤くした。

 シルヴィスさまも王弟夫妻も周りの人たちも、口を噤んだままこちらを見つめている。


「わたくしは組めます」

「えっ……」

「できませんか?」


 意図的に、挑発的な物言いをした。

 男ならば、乗ってきなさい!


「で、できるぞ! 逆にすればいいのだな?」

「そうです」


 ああー、これは将来いい男になりそうだなあ。

 と私は一人、ほくそ笑む。

 『恋夢』で言うと『三人目の男』、リュシアンみたい。ちょっと不遜な物言いをする王子さまなのよね。


「では陛下。少し踊ってきても?」


 私がシルヴィスさまにそう問うと、彼は満足げにうなずいた。


「ああ、どうぞ。心ゆくまで」


 私はそれに微笑みで返したけれど。

 言っておきますけど、偽装結婚の話を了承したわけじゃないんですからね! そこのところ、誤解なさらないように!

 と心の中で念じていた。


「では参りましょう、クロヴィス殿下」

「あ、ああ」


 手を取り、広間の空いたところに移動する。

 クロヴィス殿下は不安げな表情をしている。啖呵を切ったものの、本当にできるのかと心配しているのだろう。


 逆の動き。

 簡単なダンスなら、それは特に難しいことではない。案外、逆の動きというものはできるものだ。

 私が男性の型も踊れると言い切れるのは、小さなご令嬢と練習するときなどにそうすることがあったからだ。


 ただ、本番ではやったことがない。当たり前だ、本番で男女逆に踊る機会なんてあるはずがない。

 これは特例中の特例だ。

 けれど言ったからには恥をかかせたりはしません。がんばります!


 組むときは、もちろんもたついた。ひとつひとつ、手の位置を確認しながら組んだ。

 だが、一歩目を踏み出せば、そのまま流れるように踊れる。

 身長差もあって組み方も逆だけれど、こちらはドレスを着ているし、案外、男女逆に踊っているようには見えないのではないか。


「まあ、可愛らしいこと」

「クロヴィス殿下もきっちりリードしていらっしゃる」


 などという声が聞こえたので、外から見たらどうなのかというのは、なんとなくわかる。

 大成功ですよ、と笑いかけると、クロヴィス殿下も笑い返してきた。


 曲が終わってお互いに礼をすると、周りからも温かい拍手が湧いた。

 クロヴィス殿下は満足げな笑顔を浮かべている。


「ありがとう、エレノア殿下」

「礼には及びませんわ」

「いや、ありがとう」


 そう礼を重ねるとまた私の手を取って、手の甲に唇を寄せる。

 ああー、本当にリュシアンみたい。

 私たちは微笑み合って、そして手を取って、シルヴィスさまや王弟夫妻がいる場所へと戻る。


「エレノア、クロヴィス、素晴らしかった」


 シルヴィスさまは嬉しそうにそんな感想を口にする。

 何度でも言いますけれど、偽装結婚の件を受けたわけじゃないんですからね! と心の中で念押しする。


 王弟殿下は小さく拍手をして、私に向かって口を開いた。


「いやあ、エレノア殿下、愚息のわがままに付き合っていただき感謝します」


 やっぱりこの人の言い方は嫌な感じだなあ。

 なので私は、笑みを返した。


「いいえ。わたくし、素敵な殿方にお相手に誘われて嬉しかったのですもの」


 そう応えるとクロヴィス殿下はこちらを見上げて、そして嬉しそうに目を細める。

 くっ。ますますかわいい。


「そう仰っていただけると。なかなかお似合いだったというのは言い過ぎですかな」


 などと続けて王弟殿下は、ははは、と声を出して笑っている。

 隣でシルヴィスさまはうなずいていた。このやろう。


「エレノア王女殿下」


 ふいにフローラに声を掛けられ、私は振り返る。

 フローラは小声で告げてきた。


「御髪が乱れてきてまいりました。お直しいたしましょう」

「あら、本当」


 結っていた髪をそっと手で触ると、少し落ちているのがわかった。


「ではわたくし、少々失礼いたしますわ」


 礼をすると、私はフローラとともに控室に向かった。


          ◇


 控室に到着すると、フローラは部屋の外を窺うようにして、そっと扉を閉めた。

 そしてこちらに近寄ってくると、ひそやかに口を開く。


「……エレノア殿下、ドレスのことはお気になさらないよう」

「えっ」


 言われて初めて考える。

 ああ、王弟殿下のご夫人のドレス。

 まったく気にしていなかったです。


「急に決めてしまったから示し合わせができなかったのね」

「いえ」

「えっ」

「昨日には決まっておりましたから、最低でも朝には通達されたはずです」


 さすが、できる女フローラ。仕事が早い。


「王城にお住いのエルマ殿下が間に合わないということは決してありません。その証拠に他の方々は、王城にお住まいでない方すら、きちんと薄い青は避けておられます。何着か準備しておけば、城内の控室で着替えることも可能ですもの。仮に通達が漏れていたと考えても、そもそも、エレノア殿下のドレスを出席が遅れた方々が、いつどうして把握できましょう? いったん出席して退席したというならともかく」


 そう言われると、確かに。


「じゃあどうして」

「おそらく……ですけれど」


 フローラはさらに声をひそめて「ご内密に」と断ってから、耳打ちしてきた。


「ケヴィン殿下が、その他大勢になられることを嫌がられたのではないかと」


 だから遅れて入場した。

 くっだらない。

 しかも、それを妻のせいにした。

 まったく、男の風上にも置けないわ。

 あんなのだから、夫人は少しおどおどしているのじゃないかしら。妻はもっと大事にするものよ。

 いや、私の好みじゃないだけで、夫人はあんな感じがいいのかしら。よくわからないけど。


 私の婚約者が王弟殿下でなくて良かった。全体的に出ているし。


「ですから、お気になさらないよう」


 実は忘れていましたけれどね。


「ありがとう、フローラ。頼りになるわ」


 そう笑いかけると、フローラも「お任せください」と微笑んだ。

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