第13話 心の中で謝りました

 玉座を降りて、幾人かの人たちと挨拶を交わしたあと。

 シルヴィスさまは話が盛り上がっているようだったので、フローラに断って、私は壁の花と化しているローザのところに様子を見に行った。

 というか、早く報告したくて仕方なかったのだ。


「なんですか、気持ち悪い」


 ローザは私のほうに視線を向けるなり、眉をひそめてそんなことを口にする。


「気持ち悪い?」

「ええ、ニヤニヤしていますよ」


 私は慌てて扇を広げて口元を隠した。

 まずいまずい。そんな顔は皆さまにはお見せできない。というか、すでに見られていたらどうしよう。


「で、なんですか?」


 呆れたようにそう問うので、私はローザに顔を寄せて、ひそやかに告げた。


「いたわよ」

「誰がです」

「いい年した独身の公爵さまが」


 ローザは広間に視線を向ける。


「どなたです?」


 おっ、やっぱり興味がありますか。


「ほら、あの方よ」


 私は自分の身体で自分の指先を隠しながら、マリウスさまのほうをちらっと指さした。

 それで誰のことかはわかったようで、少しの間、ローザはまじまじと彼を見つめていた。

 そしてしばらくすると、ふむ、と考え込んでから口を開く。


「美形ですね」

「そうね」

「若くて美形の独身の公爵さまですね」

「でしょう?」


 私は自分のことでもないのに、得意げにふんぞり返った。

 するとローザはこちらに振り返って、きっぱりと断じる。


「つまり、なにか問題があるんですね。近寄ってはなりませんよ」


 いや、そんな気はないけれど。

 結論出すの、早くない?


「何度でも言いますが、いい男ほど先に売れていくのです。若くて美形の公爵さまが売れていないということは、それ以上の問題を抱えているということなのです」


 なにやら確信したように、そんなことを語る。


「そうなのかしらねえ」

「公爵さまのことを、お気に召されたのですか?」

「ううん」


 私は首を横に振る。

 どうやら人気者ではあるらしい。

 けれどなんというか。軽薄そう、というか。

 そうじゃない。男子たるもの、主人公……いや違った、恋人に一途であるべきなのよ!

 それが私の好みなの。だから『恋夢』が好きなの。


「ああいう、何人もの女性を侍らせているのはちょっと……」

「ええ、権力と財力のあるところに女性が群がる様は、見ていて感慨深いものがあります」


 うんうん、とうなずきながら、ローザはそう述べた。

 どうして感慨深い、なんて感想が出てくるんだろう。


「お互いに、魂が惹かれ合うようにただ一人、っていうのが一番いいのに」


 私はうっとりとしながらそう続けた。

 私とシルヴィスさまもそうなる予定なの。

 今はシルヴィスさまに変なことを言われているけれど、恋愛の成就には艱難辛苦を乗り越えるっていうのは必須だし。

 これを乗り越えてこその愛だわよ。それがあってこそ、最高潮に達するのよ。うん。


「でも『恋夢』の主人公は一途に想われているのに、主人公自身は三人の間で揺れ動いているみたいですけれど」

「それはまあ、そういうもの……だから?」

「都合がいいですね」


 冷めた瞳でこちらを見ながらローザが責めてくる。

 そう言われると、そう、なのかしら。

 いやいや、そんなことはないでしょ。


「いや、主人公はまだ誰のことも好きじゃないのよ。これから好きになるの。そうしたら、そのあとは一途なの」

「詭弁です」


 一言で否定された。


「もうー。あのね……」


 とローザに言い返そうとしたところで、目の前のローザがわずかに眉を寄せた。

 ん? と思って振り返ると、噂の独身公爵さまがこちらに歩いて来ていた。

 そして私たちの前に立ち止まると、口を開く。


「さきほどはどうも、エレノア殿下」

「マリウスさま」


 彼はにこにこと愛想の良い笑顔を振りまきながら、言葉を続けた。


「失礼、お美しい女性が二人で壁の花となっているので、ついお声がけしてしまいました」


 ん?


「こちらは見かけない女性ですが……」

「ああ、彼女はわたくしの侍女ですの」

「そうでしたか」


 返事しながら、ローザのほうへわずかに身体を寄せ、じっと見つめている。

 んん?


 ローザはといえば、大好きな権力と財力をお持ちの殿方だというのに、警戒するように身を引いている。


「お連れの方はまだ来られていないのかな?」


 んんん?


「……私は独身ですので一人です、公爵閣下」

「ああ、そうでしたか、失礼」


 なんだか微妙な空気が流れる。

 んー?


「いや、お邪魔してしまって申し訳ない。では」


 などと話を打ち切って、やはり愛想の良い笑顔を浮かべて立ち去って行った。


「……なんだったのかしら」


 私が呆然としてそう口にすると、ローザがはーっとため息をついた。


「なんとなく、公爵さまが抱えている問題がわかりました」

「えっ、今のでわかったの? すごい! なに?」

「いえ、私の立場では口にすることは憚られます」

「えー?」


 食い下がろうとする私に、ローザはぴしゃりと言う。


「というか姫さま、いつまでここにおられるおつもりですか。そろそろお戻りになったほうがいいのでは」

「あっと、そうね。じゃあまたあとで。ローザは今日は楽しんでいいんだからね」

「権力と財力をお持ちの方が集まっている様は壮観です。私は今日はそれを眺めることで良しとします。楽しもうにも、どうせ非売品ですよ」

「はあ……」


 なにか言いたかったけれど、確かに席を離れすぎている。なので私は慌ててシルヴィスさまのいるところに向かった。


 彼はいつからかこちらの様子を窺っていたようで、私のほうに歩み寄ってきた。


「ローザは楽しんでいるようだったか?」

「ええ、そのようですわ」


 あれを楽しんでいるかと問われると少々疑問だけれど、本人は『壮観です』だの言っているんだから、それでいいんだろう。


 シルヴィスさまは少し視線を泳がせてから、そして私に密やかに訊いてきた。


「マリウス殿は、なんと?」


 マリウスさま?

 私がシルヴィスさまを見上げると、彼はじっとこちらを見つめている。

 その瞳は、何ごとかを心配しているように見えた。


 なんだろう。なにか問題があったかしら。

 なにか無礼なことを言ってしまった? いやそんなことはないと思うけれど。それにシルヴィスさまの位置からなにか聞こえたとは思えない。 


「いえ、ただ、わたくしたち二人が壁の花でしたから話し掛けてくださって、少しお話をしただけですけれど」

「……そうか。それならいい」


 それなら? どういう意味だろう。

 私が釈然とせずに首を傾げていると、シルヴィスさまは、ひとつ咳払いをして続けた。


「いや、やはり先に言っておいたほうがいいかな」

「あの?」


 シルヴィスさまは少しかがんで私の耳元に顔を寄せた。

 うわ、近い。

 私はどきどきしながらも、彼の言う言葉に耳を傾けた。


「マリウス殿は、女性たちには人気があるのだが」


 まあそうでしょうね。

 というか、この様子を見ればわかります。


「彼自身は、人妻でないと食指が動かないらしい」


 衝撃の発言。

 ローザ、大当たり。

 大問題を抱えてた。

 人妻好きだから、ローザが独身なのか人妻なのかの探りを入れに来たんだ。


 ……なるほど。

 それで、『まだ大丈夫か』。

 私がまだ人妻じゃないから食指が動かないんだ。

 なんという問題児だ。


「さすがに王妃に手を出すほど馬鹿ではないとは信じたいが……」


 ため息とともに、シルヴィスさまはそう口にする。


「無理強いされる方ですの?」

「いや、そうではないと聞いているが」

「でしたら大丈夫ですわ」


 そう答えてにっこりと微笑んだ。

 だって私の趣味じゃないもの。単純に。

 いくら美形でも、一途じゃないのは相手役には相応しくないのよ。


「それともシルヴィスさまには、わたくしが簡単になびくような女に見えまして?」

「……そうだな。それは失礼した」


 シルヴィスさまは苦笑してそう謝罪してくる。


 私も心の中で『恋夢』のアルに、


「似ても似つかぬ人でした、ごめんなさい」


 と謝罪した。

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