第12話 シルヴィスさまと踊りました

 シルヴィスさまが挨拶をほどほどに済ませたあと。

 まずは主催者がと促され、シルヴィスさまが差し出した右手に私の左手を乗せ、広間の中央に歩み出る。

 楽団が音楽を奏で始め、私はシルヴィスさまと向かい合う。

 お互い両腕を広げ、歩み寄るように組んだ。


「まあ、素敵」

「これぞ平和の象徴ですな」


 などという声が聞こえてきたけれど、正直なところ、私はそれどころではなかった。


 近い! すごく近い!

 今までダンスで相手役にこんな意識はしたことがないのに、なんだか抱き締められているような気がして顔が熱くなる。

 私の背中にシルヴィスさまの右手が回ってぐっと寄せられたときには、もうダンスなんて忘れて抱きつきたい衝動に駆られたくらいだ。


 曲に乗ってステップを踏む。広間を広く使って、私たちは踊る。

 くるっと回ったときに空色のドレスは広がり、それを見た女性たちの声が聞こえた。


「とても綺麗ね」


 ふふふ、そうでしょう、そうでしょう。ドレスの選択は間違っていなかったわ。よしよし。

 そのあとも私はシルヴィスさまの手の温もりを感じつつ、触れる足や腰に恥ずかしがりつつ、その場にいる人たちに見られながら踊る。

 なにせ私たちしか踊っていないのだ。その他の人たちは、この一曲は、観客として存在している。だからこそおかしな踊りなんて見せられない。


 でもそれ以前に、私はシルヴィスさまと踊るこの時間が本当に楽しくて仕方なかった。

 ときどきこちらに視線を向けて、にっこりと微笑まれると、それだけで天にも昇る心地になった。

 このまま曲が終わらなければいいのに、なんて考えたりもした。


 けれど。

 どこかから、「親子……」「娘……」などと、おそらくは密やかに耳打ちしたのだろう言葉が聞こえてくる。

 どういうわけかこういう内緒話は、しっかりと聞こえてきてしまうのよね。


 少し肩が落ちてしまいそうになったけれど、私は精一杯背筋を伸ばして堂々と踊ることに専念した。

 曲が終わったとき、わっと拍手が沸いて、私はほっと胸を撫で下ろす。


「エレノア」


 私の正面にいたシルヴィスさまが、呼び掛けてくる。


「エレノアがあまりに上手いので驚いた」

「え、そんなことはありませんわ」


 私は頬に手を当て、恥ずかしがって否定してみせた。

 まあみせただけですけどね。

 小さい頃から泣くほど練習させられたんです。もう嫌だと隠れても、見つけ出されて踊らされたんです。アダルベラスで踊って恥をかかないようにって。

 なのでダンスはけっこう得意なんです。


「陛下がとてもお上手なので、わたくしがんばりましたのよ」

「いや、そんなことはない。余が途中で間違ったのに気付いたか? エレノアが修正してくれたのだ」

「そうですの? 気付いていませんでした」


 嘘。気付いた。

 きっと、踊り慣れていないのだ。

 婚約者が幼い頃から決まっていたから、女性を誘ったことも、誘われたことも、ほとんどないのではないかと推測する。もちろん一定水準ではあるのだけれど。

 そういう不器用な感じ、とってもいいと思います。


「お二人とも、とても素敵でしたわ」

「ひらひらと蝶が舞うようで、美しゅうございました」


 などと、周りから賛辞が飛んだ。

 まあ世辞もあるのだろうけれど、ひとまずダンスは合格点というところだろう。


 次の曲が流れ始め、他の人たちも広間に広がって、各々踊り始めた。

 私たちはまた手を取って玉座のほうに帰る。


 席に着いて、ふう、と安堵の息を零していると。隣のシルヴィスさまが広間の隅のほうに視線をやって小さく首を傾げたあと、ああ、とうなずいた。


「マリウス殿か」


 そのつぶやきに誘われて、私もそちらに目を向ける。

 そこには人だかりができていた。壁際に、主に若い女性たちで形成された輪があった。

 女性陣は、国王の婚約者を紹介するというこの舞踏会の趣旨にはさっぱり興味がないようで、きゃあきゃあと華やいだ声を上げながら壁際に集まっている。


「マリウス殿は相変わらずだ」


 隣に座るシルヴィスさまが、苦笑しながらそうつぶやいた。


「マリウスさま?」


 シルヴィスさまに向かってそう問うと、ああ、と気付いたように答える。


「トラウトナー公爵であるマリウス殿。エレノアは……まだ大丈夫か」


 後半は、なぜか安心したように息を吐きながら口にする。


「まだ? 大丈夫?」

「いや、なんでもない」


 そうごまかすように手を振るので、私はそれ以上は問えなかった。

 大丈夫ってどういうことかしら。

 あの人だかりの様子を見れば、どうやら女性たちに人気があるのは確かなようだ。それで、女性を口説くのが趣味とかかもしれない。

 で、私がその毒牙にかかることを心配されたのかしら。

 だとしたら、嫉妬してくれた? ……いや、そんなことはない……わよね。

 それに、まだってどういうことかしら。

 マリウスさまという人は、もう少し年が上の女性がお好みなのかしら。

 もしかして、私がまだ子どもだから大丈夫、という意味なのかしら。

 それはなんだか面白くないわ。


 私がそうやって頭の中でいろいろと考えを巡らせている間に、その公爵さまは人だかりから逃れるようにして、こちらに歩み寄ってきた。

 玉座の前で、マリウスさまは頭を垂れる。


「ご機嫌麗しく、陛下」

「久しいな。元気そうで、なによりだ」


 苦笑しながらシルヴィスさまは応えた。

 そして彼はこちらにも頭を下げると私に挨拶してくる。


「お会いできて光栄です、エレノア殿下」


 森の色の瞳。輝く金髪を後ろで一つにまとめている。身体つきは男性にしては少々華奢だけれど、頼りない感じではない。年の頃は二十代後半か。

 一言で言うと、優男。そして美形だ。

 公爵さまということだから、王族の血が入っているのだろう。

 アダルベラス王族の美形の血脈、すごい。


「こちらこそ光栄ですわ、トラウトナー公マリウスさま」


 すると彼は何度か目を瞬かせて、そして口元に笑みを浮かべる。


「私の名前をご存知でしたか」

「たった今、陛下から聞いたところですのよ」


 ほほ、と笑うと彼は、なるほど、とうなずいた。


「マリウス殿は、相変わらず女性を泣かせておいでのようだ」


 横からシルヴィスさまがそう声を掛けてきた。

 ふとさきほどの人だかりのほうを見ると、女性たちがこちらにそわそわと視線を寄越している。

 するとマリウスさまは軽く肩をすくめて返した。


「人聞きの悪い。私は泣かせたことなどありませんよ。いつも泣かされてばかりです」


 そして二人は顔を見合わせて笑っていた。

 それからマリウスさまは、また人だかりのほうへ戻って行く。というか、彼が行くところに人だかりができた。


「まあ、人気のある方ですのね」


 主に女性に。


「ああ。身を固めれば、あのようなことにもならないのだろうが」


 人だかりを眺めながら、シルヴィスさまはそう話す。


 そのとき私の頭の中で、『恋夢』の本が開かれた。

 独身の、いい年をした、美形の公爵さま。

 『恋夢』のアル。アルベール。ローザ風に言うと、『一人目の男』。


 ちょっとちょっとローザ! 見てみなさいよ!

 本当に、いたわよ!

 ほら、『恋夢』は現実離れした話ではないわ。

 もう馬鹿になんてさせないんだから!

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