第10話 力いっぱい宣言しました

「急にこのようなことを言われても、戸惑われるだろう」

「はい!」


 そこは力強く答えた。


「今はまだ、これは誰にも明かしていない。余とエレノアと二人だけの話だ」


 二人だけの秘密、がこんなことだなんて。

 秘密はもっと甘酸っぱいものであって欲しかったです。


「婚姻の儀までは三月ある。それまでには考えていて欲しい。極力、エレノアに良いようにしたいと思う」


 そこまで言うと、シルヴィスさまは立ち上がった。


「お疲れのところ、こんな話をして申し訳なかった。だが、なるべく早いほうがいいのではないかと思ったので」

「そうですか……」


 いやもう本当に、疲れがどっと押し寄せてきました。

 これ以上は私の頭が動いてくれません。


「ではゆっくりとお休みになるといい」

「はい……」


 私は椅子に座ったまま、シルヴィスさまが立ち去っていくのを見送ろうとした。

 けれど私の横を通り過ぎるとき、思わず声を掛けてしまう。


「シルヴィスさま」

「うん?」

「オルラーフの王女が、自身を愛するようになるとは考えられませんでしたの?」


 私は彼を見上げてそう問うた。

 すると、自嘲的に口の端を上げてシルヴィスさまは答える。


「さすがに二十三もの上の男は、父親みたいなものにしか見えないだろう。そこまで自惚れてはいない」


 そして口を閉ざすと、立ち去って行く。


 彼が出て行ってから、侍女たちが入れ替わりに部屋に入ってきた。

 呆然と椅子に座り込む私に話しかけてくる。


「エレノア王女殿下、寝衣をご用意いたします。お休みになってくださいませ」

「あ……ああ……。そうね……ありがとう」


 私は言われるがままに立ち上がり、連れられるがままに衣装室に行き、されるがままに着替える。

 そうしているうちにローザが部屋に入ってきた。


「遅くなりまして申し訳ありません、姫さま」

「ローザ……」


 うわーん、聞いて聞いてー! と泣きながら彼女に抱きつきたいような衝動にかられたけれど、それをぐっとこらえる。


「食事会は、どうだった?」

「とても良くしていただきましたよ。楽しゅうございました」

「それはよかったわ」


 ローザが帰ってきたことで、任せたほうがいいと判断したのかアダルベラスの五人の侍女たちは、一人、また一人とそっとその場を離れて行く。

 最後の侍女が、水差しとグラスが置かれた盆をローザに渡しながら口を開いた。


「ではもうお休みになられたほうがよろしいですよ。いくら疲れていないといったって、やっぱり身体は疲れているものです」

「そうね……なんだか少し、疲れてきたわ……」


 ふらふらとした足取りで、案内されて衣装室と繋がっている寝所に向かう。

 ローザは私のあとについて入ってきて、アダルベラスの侍女は礼をして扉を閉めた。

 寝所の中はランプが一つ灯っているだけで、薄暗い。

 私は部屋の中央にある大きな天蓋付きのベッドに向かうと、その上にうつぶせに倒れ込んだ。


「やっぱり疲れていらしたんですね」


 ベッドの横にある小さなテーブルの上に盆を置きながら、ローザが声を掛けてくる。


「うん……」


 怒涛の一日だった。

 最後が一番、衝撃だったけれど。


 私は寝転がったまま、上を向く。

 肌触りのいい寝衣。ふかふかのベッド。よく気の付く侍女たち。

 なにも言わなくても、望んだものが手に入る生活。


「食事会、本当に楽しかった?」


 さきほどはアダルベラスの侍女がいたから本音を語れなかったのかもしれない、と思いそう訊く。


「ええ、楽しかったです。こちらの方は誰も知りませんでしたから、これで幾人かは顔見知りができましたので、心強くもあります。皆さん、お優しい方ばかりでしたよ」

「そうなんだ、それはよかったわ」

「姫さまは?」

「え?」


 問われて、ローザのほうに顔を向ける。


「国王陛下とのお食事はいかがでした?」

「それは良かったわよ。楽しかったし」


 そう、あの食事までは、天にも昇る気持ちだったのだわ。


「……ローザ」

「はい」

「シルヴィスさまは……」


 ローザは小さく首を傾げて、私の言葉を待っている。


「フェリクスじゃなかったわ」

「なに当たり前のことを言っているんですか」


 ため息とともに、ローザはローザらしいことを口にした。

 うん。なんだか少し、落ち着いてきた。

 話をされている最中、違う世界に迷い込んだような気がしていたから。

 だからローザのいつもの調子が、少し、心地よかった。


「物語の中の人と違ったから、幻滅してしまったのですか?」


 呆れたようにそう訊いてくる。


「ううん、そんなことはないわ。シルヴィスさまは素敵よ」


 そう答えると、ローザは口元に弧を描いた。


「それは良うございました」


 素敵なのは素敵よ。

 でもおかしなことを言い出したのよ。

 あの顎髭を引っ張って、耳元で「目を覚ませー!」って叫ばなかったことをありがたく思ってもらいたいくらいなのよ。


「ではもうお休みになってくださいませ」

「そうね。そうするわ」


 私はベッドの中に潜り込む。

 ローザはランプの明かりを消すと、そろそろと部屋を出て行った。


 暗闇の中で、ベッドの天蓋を見ながら考える。

 正直、この展開はまったく予想していなかった。

 相手に気に入られないこともあるかもしれないし、私が気に入らないこともありえる、とは思っていた。


 でもそれでも、愛されるようにがんばろうって。愛するようにがんばろうって。そう思っていたの。政略結婚でも物語みたいな恋をしようって。

 なのにまさか、偽装結婚なんて提案されるとは。


 『そこまで自惚れてはいない』ってシルヴィスさまは言ったわ。

 自己評価が低いのね。でもそれはいけない。

 私、本当にシルヴィスさまを好きになれるかもしれないって思っていたの。

 それを否定なんてしないで欲しかった。


 でも、どうしてだろう。

 シルヴィスさまの提案を聞いているうち、愕然とすると同時に、心のどこかでなにかが引っ掛かったような感じがしたの。

 とてもぽかぽかと温かな、それでいて染み渡るように静かな、そんな感触のある気持ちが生まれたような気がしたの。

 だから私は思ったのよ。

 絶対に、この人を離してはいけないって。


 もしかしたら、これが恋というものなのかしら?

 いや、それはおかしいわね。あんな突拍子もない話をされたのだし。

 それに今まで読んできた恋物語には、恋は雷に打たれたような激しい気持ちだって書いてあったわ。

 だからきっと違うのだろうけれど。


 でも、偽装結婚だなんて変な提案をされたのに、嫌いになどなっていないの。腹立たしいだけなの。

 そして、もっと大事な気持ちが生まれたような気がしているの。

 この気持ちがなんなのか、確かめるまでは諦めない。


 だから、決めたわ。

 私は絶対に、シルヴィスさまと恋をする。

 偽装結婚なんて、そんなことをしてたまるものですか。

 あの人がいいのよ。

 私が決めたの。

 文句など言わせないわ。


「見てなさい」


 私はつぶやく。

 そして英気を養うため、ベッドに頭まで潜り込んで眠りについた。


          ◇


 翌朝起きると、もう陽は高くなっていた。

 起き出した気配を感じたのか侍女たちが寝所に入ってくる。


「おはようございます、王女殿下」

「おはようございます、姫さま」

「おはよう」


 起きたらオルラーフ王城の自室とは違う部屋だったから、なんとなくぼうっとしてしまっていたけれど、侍女たちに世話をされるうちに目が覚めてきた。


「もうお昼近いわね。わたくし、こんな時間まで寝てしまって」


 そう反省の弁を述べると、一人の侍女が微笑みを返してくる。


「今日はお疲れでしょうから、いつまででも寝かせてやって欲しいと陛下が仰られましたの」

「そうでなければ、とっくに叩き起こしています」


 とローザが冷めた声で続けた。

 まあ、ローザったら、などと言って侍女たちが笑っているので、どうやら仲良くやっていけそうな雰囲気だ。


 安心したので、昨日のことに思いを馳せてみる。

 アダルベラスに入国して。

 シルヴィスさまがフェリクスみたいに素敵で。

 浮かれながら一緒に食事して。

 そして一気に叩き落されたのだわ。

 夢ならいいのに、とは思うけれど、夢じゃないのよねえ。


「シルヴィスさまに、今日、お時間を作っていただきたいのだけれど」


 善は急げだ。

 私は侍女にそう伝えた。


「今日ですか?」


 侍女が首を傾げる。


「ええ、無理ならいいのだけれど」

「かしこまりました。陛下にそう伝えておきますね」


 そう返されて、私は息を吐く。


 見てなさい。

 私がこのまま黙って言う通りにするような女じゃないってことを見せてあげる。

 覚悟していただきましょう!


          ◇


 夜、シルヴィスさまは後宮を訪れてきた。

 昨晩と同じように、客間に向かい合って座って人払いをする。

 彼はまたテーブルの上で手を組んで、こちらを覗き込んできた。


「もしや昨日の話だろうか。急がなくてもよろしかったのだが、決意されたのかな」

「ええ」


 私は深くうなずく。

 シルヴィスさまもうなずいた。このやろう。


 息を吸い込んで。お腹に力を込めて。

 力強く、言い放つ。


「断固拒否します!」

「え?」

「わたくしは、あなたの妻になります!」


 私はそう声高らかに、宣言した。

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