第9話 落とし穴がありました

「……はい?」


 私はしばらく偽装結婚、という単語を頭の中でさまよわせた。

 ええと、偽装結婚といいますと。結婚を偽装するわけですよね。

 うん? どういうこと?


「姫……エレノアにはアダルベラス王妃にはなってもらうが、余の妻にはならなくともいい」

「えーと、仰る意味が、よく……」

「つまり、余としとねをともにする必要はないということだ」


 私の口は開いたまま塞がらなかった。

 言うに事を欠いて、なにを言い出しているんだろう、この大人は。


「いや、いやいや、いやいやいやいや」


 私は思わず、自分の顔の前で何度も自分の手を振った。


「あのう、わたくし、お世継ぎを産まないといけないんだと思うんですが」


 この結婚は政略結婚で。

 そして、二国の和平協定の証なわけで。

 でもそれは結婚したら終わりではない。

 正確には、二国の血が入った男子がアダルベラス王となる、までが証の条件なのだ。

 気の長い話だけれど仕方ない。


「それなんだが」


 もちろん考えている、と言わんばかりにシルヴィスさまはうなずいた。


「世継ぎはもちろん産んでもらわなければならない」

「そうですよね」


 そのために輿入れしたんですものね。

 でも産むためには偽装結婚なんてしていられないですよね。

 きちんと夫婦にならないといけないですよね。

 仰っていること、おかしいですよね。

 たぶん私の顔には、そう書いてあったのだと思う。


「説明する」


 そう返すと、シルヴィスさまは椅子に深く座り直した。

 私も居住まいを正す。


「余は三十九歳、それに対してエレノアは十六歳、で違いないと思うが」


 私は返事の代わりにうなずいた。


「では余が六十で死んだとしよう。そのときエレノアは三十七歳。未亡人として世を生きていくには少々長いと思うのだ」

「そんな不吉なことを」


 どうして初夜に聞かされているんだろう。いや初夜じゃなかったけれど。


「だがそれが現実だ」


 ここにも現実主義者がいた。


「やはり年の差というものは、いかんともしがたい。そういう辛いことも多々あろうかと思う」

「まあ……」


 それはそうかもしれませんけれど。


「そこでだ」


 シルヴィスさまは、また身を乗り出してきた。

 私は思わず身を引く。


「余は、なるべく早く生前退位の形を取ろうと思っている。老いた王より若い王がいい」

「いや、だからお世継ぎを」


 産まないと、退位もできませんよね。


「王位継承者は、余の息子でなくともいい」

「はい?」


 もう、なにがなんだか。

 まあいい。説明すると言っているのだから、素直に話を聞くことにしよう。


「子ができずに三年もすれば、どちらかに問題があるのではという話になるだろう」

「はあ……」

「三年間、もしかしたらエレノアにはつらい思いをさせてしまうかもしれない」

「はあ、まあ……」

「極力、こちらに非があるように根回しはする」


 いけない。私の頭の許容範囲を超してきた。ぼうっと話を聞くだけになっている。

 なんだか眠くなってきたような。『恋夢』を読んでいたとはいえ、アダルベラスに到着したばかりだから疲れているのかもしれない。

 船を漕いだら怒られるかな、なんてことを考えながら、眠気と戦う。


「余が男として不能であるということにする」

「不能なんですか!」


 私は思わず声を荒げた。一気に目が覚めた。

 それだとお世継ぎなど夢のまた夢になってしまう。

 けれどシルヴィスさまは首を横に振った。


「いや違う。けれど年齢的にも、そのほうが説得力がある」

「説得力」


 その話にはそんなものが必要なんですか。まあ、必要なんでしょうね。

 呆然とする私に構わず、シルヴィスさまはそのまま話を続ける。


「余には弟がいる」


 ケヴィン王弟殿下。あの、全体的に出ている人。

 え、まさかあの人と?

 いやでも王弟殿下でも年の差は二十一のはずなんですが。

 それならシルヴィスさまのほうが断然いいです。

 それ以前に、あの人、既婚者では。


「そして弟には息子がいる」

「はあ」


 なるほど。


「その甥が、第二位の王位継承権を持っている。余が退位するときには弟も年を取っているからな、余は甥を指名するつもりだ」

「はあ」

「そなたは綺麗な身体のまま、その甥に嫁ぐといい。そなたは二代に渡って王妃となるということだ」

「……はあ」


 つまり、シルヴィスさまと結婚して王妃にはなる。その後、褥をともにすることなく、当然お世継ぎは生まれることはなく、そのままシルヴィスさまは退位。

 その後、新たに即位した王と私が結婚する、と。

 で、私がお世継ぎを産んで、作戦完了、と。

 ほほう。

 あまりのことに、私の脳が考えることを拒否し始めている気がするんですが。


「すぐに退位すればエレノアを待たせることもないのだが、申し訳ないが少々待っていただくことになる。まだ甥は幼いのでな」

「ええと、ちなみにその甥という方は、今、おいくつで……」

「八歳だ」

「八……」


 子どもじゃないですか。


「だが、そなたが十六歳で、甥が八歳。八歳の年の差だ。余との差、二十三歳よりはかなり現実的だと思う」

「はあ……まあ……」


 そう言われると、そうなんですけれど。


「その甥である方……ええと、クロヴィス殿下」


 オルラーフで見た資料には確か、そういう名前が書いてあった。そうだそうだ、八歳って書いてあった。


「クロヴィス殿下は納得されているんですか」

「納得? それは必要ないだろう。言ってもいない」

「え?」


 こんな大変なことを了承もなしに。


「これは政略結婚だ。王族に生まれたからには、好いた相手との結婚は諦めてもらうしかない」


 シルヴィスさまは、きっぱりとそう言い切った。

 いやまあ王族の政略結婚って、本来はそういうものではありますが。


「好いた男のところに嫁げないのは、気の毒だと思うが」


 好いた男は今のところいないので、そこはいいんですけども。


「どうだろう、完璧だと思うのだが」


 この人、完璧どころか、とんでもないポンコツなのではないだろうか、という気になってきた。


「どうして」

「うん?」

「どうしてそんなことをお考えに? 別に普通に私を娶っても問題ないと思うのですが」

「先日、余の侍女たちの話を聞いてしまったのだ」

「はい?」

「お気の毒だと言われていた」

「誰が」

「もちろん、オルラーフの姫が」


 いらぬことをー!

 どいつもこいつも年の差を苦痛だと思ってる!

 その人たちには『恋夢』を送りつけてやりたい! フェリクスのかっこよさを思い知ればいいのよ! やっぱり輸入しなきゃいけないわ!


「確かに、親子ほどの年の差では、うら若き姫には辛かろう、と」


 シルヴィスさまはそう口にして、何度も小さくうなずいている。


「好いた男に嫁ぐのが一番だとは思うが、そこは諦めていただきたい。だがせめて、もう少し年の近い男をご用意しよう」

「ご用意」


 そんな、ドレスが必要ならご用意しよう、みたいな口調で。

 私は今、なんの話をしているんだろう。

 もう本当に、訳がわからない。

 なんだかあまりに呆気にとられていたからか、はあ、しか言っていない気がする。

 いやいや、いけない。はあはあ言っている場合じゃない。黙っていたら、本当に偽装結婚なんてことになってしまう。


「わっ、わたくしは、シルヴィスさまと結婚することを嫌だなんて思っておりませんわ」


 これはきっちり伝えておかないと。

 もしかしたらとんでもないポンコツの可能性が出てきたけれど、それでも嫌だなんて思ったりしない。


「無理せずともよい」

「いや、あのですね」

「お気遣いはありがたいが、今は誰もいないのだし、なんでも言ってもらって構わない」


 ならば言わせてもらいます。

 耳の穴をかっぽじって、よーく聞け!


「わたくしは、シルヴィスさまと結婚したいと思っております」

「エレノアは、立派だ」

「は?」


 なにやら感激した風に、シルヴィスさまは目を閉じた。


「国のため、自身の心を殺し、遠い国に輿入れなさった」

「いや、あの」

「苦悩もあっただろう。重責にも耐えかねただろう。けれど、こうしていらしてくださった。それに感謝する」


 だめだ。話を聞いてくれない。

 ふいに、お父さまとお母さまを思い出した。

 彼らは、何度嫌じゃないと言っても泣いていた。

 何度大丈夫だと伝えても、すまない、ごめんなさい、と謝罪して泣いていた。


 急激に、シルヴィスさまが同じような人間だと思えた。二十三歳年上の、親子ほどの年の差の人間なのだと。

 人は、信じたいものしか信じない。


 ローザ、大当たり。

 こんなところに、とんでもない落とし穴が潜んでいましたよ。

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